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蝉しぐれ (文春文庫)  藤沢周平

1988年に発刊された長編小説で、初出は新聞連載でした。この作品は、テレビドラマ(2003年)や映画(2005年)、その他にも宝塚公演、舞台公演でも原作として使われた著者の代表的作品と言えるものでしょう。

著者は1997年にすでに故人となられていますが、直木賞受賞作「暗殺の年輪」(1973年)や、吉川英治文学賞「白き瓶―小説長塚節」(1986年)など数々の名作が残っていますので、これから折をみて読みたいと思っています。

実はこの小説、Amazonの「オールタイムベスト小説100」に出ていたので、なにも考えずにブラッと買ってきましたが、実は10年ほど前にたぶん映画化に合わせて書店に平積みされていたのだと思いますが、その時に買って一度読んでいました。

読み始めてから、だんだんと先のストーリーが見えてきて、調べるとそういうことかと気がつきました(遅いわ!)。でも読んだのがもう10年前のことでもあるので、もう一回ちゃんと読もうと決意して読み進めました。

内容はお得意の時代小説で、貧しい下級武士の子供が、親友とともに大人へと成長していく姿を描いたものです。

またこの「蝉しぐれ」と同時に買ってきた司馬遼太郎著「城をとる話」も既読で、こちらは数ページを読み、あ!これは読んだなとすぐに内容を思いだしたので中断しました。いよいよ老人性健忘が始まってきたのか、最近こうした過去に買った本をまた買うという症状に陥っています。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

博士の愛した数式 (新潮文庫) 小川洋子

この小説は2003年に発刊され、翌2004年には本屋大賞を受賞するなどして一躍有名になりました。そして2006年には寺尾聰主演で映画化され、私もこの映画をテレビで見て、原作を読みたくなって買ってきました。

小説の主人公というか語り手は、事故で記憶喪失になった初老の男性の世話をするため家政婦紹介所から派遣されてきた女性ですが、映画では十数年後に教師になった家政婦の息子が昔のことを思い出して生徒達に語るという設定に変わっていました。

その記憶喪失の初老男性は、記憶喪失といっても、交通事故に遭った20年ぐらい前までの記憶はちゃんと残っているものの、それ以降の記憶はきっかり80分間しか持たないという特殊な記憶喪失です。つまり1時間前の記憶はあるけれど、2時間前の記憶はまったくありません。

事故に遭うまでは大学で数理、数式、数論を教えていたいわゆる数字オタクで、数字や数列の記憶力は天才的で、あらゆる数字に意味を持たせてしまう特殊な才能を持っています。

映画「レインマン」(1988年)に出てきた自閉症でダメ人間とされていたダスティン・ホフマンが、数字だけは抜群の記憶力を持っていて、その記憶力を使って弟役のトム・クルーズがカジノで大儲けするシーンなどをふと思い出しました。

また若年性アルツハイマー病患者を描いた萩原浩著「明日の記憶」(映画は渡辺謙主演で2006年公開)と同様、患者と介護する人との感動話しということが共通していて、なかなかいいものでした。

著者別読書感想(小川洋子)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

砂の女 (新潮文庫) 安部公房

1962年の著者の代表的作品です。勅使河原宏監督のモノクロ映画(1964年)を何年か前にテレビでみたことがあり、今回その原作小説を買ってきました。映画では若い頃の岸田今日子がとてもセクシーでした。

小説は戦後の高度成長期に入り始めた頃に書かれたもので、都会では毎日多くの勤め人が満員電車で通勤し、会社の歯車となっていった頃の話しです。

この小説の主人公は教師で、日々の忙しい仕事の合間に、趣味の昆虫採集をするためにやってきた海岸の砂浜で道に迷い込み、その日はそこにあった小さな部落に泊めてもらおうと住民に頼みます。その砂丘地帯の中にある部落では、砂嵐を避けるためか蟻地獄のような大きな穴の中にはしごで降ろされ、世話係の女とともにそこで1泊することになります。

ところが翌朝になっても縄ばしごは降ろされず、出るに出られなくなります。穴は深くて自力ではそこから這い出すこともできず、女からは穴の中にたまる砂を毎日かき出す仕事を要求されることになります。

その仕事をさぼれば、毎日差し入れられる水の補給を停められ、仕方なくその与えられた無意味とも思える作業を女と共におこないます。

やがてそのような閉鎖された社会の中で暮らす日々が徐々に身体に染みついていくと、監禁された不自由な生活であってもそうすることが生きる希望へとつながっていくという人間の不思議な感情と精神状態に陥っていきます。

それらがなにを意味しているかは様々な意見や感想がありますが、通常は現代の権力者にうまく言いくるめられ、貧乏で不自由な生活の中でもそれが当然と思い込み、搾取されながら社会の底辺で生きていかざるを得ない庶民のことを描かれ、また不合理なことでも毎日それを繰り返しやっていると不思議にも思わなくなる会社に飼い慣らされてしまったサラリーマンへの痛烈な批判、そしてそれらの問題を見失ってしまった社会へ警鐘をならしているものではないかと思われます。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫) 米原万里

2001年に単行本、2004年に文庫版が発刊されたノンフィクションで、日本共産党幹部だった父親の仕事の関係で、中学校の途中まで過ごしたチェコで、ソビエト学校時代の友達を探し、ヨーロッパを訪ね歩いた記録です。

著者はロシア語通訳として著名だった方で、その関係で世界を旅する機会が多く、その旅のお供をする様々な書籍の批評にも優れた方でした。

過去には、「ガセネッタ&シモネッタ」と「打ちのめされるようなすごい本」を読みましたが、書評がメインの「打ちのめされるようなすごい本」では、著者に癌が見つかり、余命少ないとわかってからも、凄まじい闘病生活の模様が書かれていました。そしてその治療の甲斐もなく2006年に56歳の若さで亡くなっています。

最初はこの本は自身の経験を元にした小説だと思って買ってきて読み始めましたが、前述のように中・東欧への探訪実録記でした。

いくつかは盛っているな?と思う箇所もありますが、それにしてもユニークな友達達とその出自で、ベルリンの壁が崩れ、ソ連邦が崩壊したり、激変してきた東欧の歴史に翻弄されてきたことがよくわかるというか、すっかり忘れていたことを思い出せるノンフィクションでした。

著者別読書感想(米原万里)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

田舎暮らしができる人 できない人 (集英社新書) 玉村豊男

エッセイストやテレビのコメンテーター(以前)として知られている著者は、ひげを生やした風貌や話しの節々に、田舎暮らしのことがよく出てきて、根っからのアウトドア派の方かと思っていましたが、本人も妻も東京生まれの東京育ち、30代後半に田舎に生活の場を移した方だったのですね、知りませんでした。

数多くの著作物や、田舎に居を移してから始めたという絵画、それに今では酒税免許をとってワイナリーやレストランまで経営するという、結局はなにをやらせてもうまくできる多才な方です。

年齢的に著者は団塊世代より少し上の兄貴的な存在で、ちょうど雇用延長の65歳が過ぎ、都会人のあこがれで一気に田舎志向が強まってきている団塊世代に甘辛両面でアドバイスをしようと書かれたものと思われます。

正直に、このマルチな才能をもつ著者夫婦がうまく田舎生活ができたからと言って、多くの標準的な凡人夫婦が真似できるようなことではないと思いますが、それなりの覚悟をもって、あるいはうまくいかなかったときの予防線を張っておいて、田舎暮らしを始めるのは悪いことではないでしょう。その指南本、入門書としては最適ではないでしょうか。

定年後の田舎暮らしをする上でキーとなるのはやはり妻ということは、先々月にNHKの土曜ドラマでも放映された村上龍氏原作の「55歳からのハローライフ」の中の「キャンピングカー」にも出てきましたが、なんとなく理解ができます。

妻からすれば都会に住む便利さや、友人づきあいなどを捨ててまで、田舎住まいをしたいと思う人は少なく、本能的に様々な田舎独特の新たな仕事や面倒事を押しつけられることがわかると書かれていました。確かに普段家のことはなにもしてこなかった旦那にはわからないことでしょうね。


【関連リンク】
 7月前半の読書 陽だまりの偽り、日曜日たち、人生を無駄にしない会社の選び方、佐賀のがばいばあちゃん、真夜中の神話
 6月後半の読書 月に繭 地には果実(上)(中)(下)、人間失格、去年はいい年になるだろう
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陽だまりの偽り (双葉文庫) 長岡弘樹

少し前に読んだ短編小説集「傍聞き」(文庫版2011年)がとてもよかったので、それより前に出ていたこの作品を買ってきました。この作品は2005年に著者としては単行本デビューの作品で、その後2008年に文庫化されています。

この作品も短編小説集で、それぞれのタイトルは、「陽だまりの偽り」「淡い青のなかに」「プレイヤー」「写心」「重い扉が」の5編が収録されています。

本のタイトルにもなっている「陽だまりの偽り」は、学校校長まで勤め上げて引退したプライドの高い高齢の男性が、物忘れが多くなってきて、自分でもアルツハイマーの疑いをもちつつ、それを誰にも知られたくないという思いがあります。

そして同居している嫁から孫へ送るため託された仕送りの現金をどこかで紛失したことから起きる騒動です。認知症患者が増えていく中、こうしたことが当たり前に起きる社会となりそうです。

その他、忙しく働くシングルマザーと息子が乗ったクルマが夜中に人を轢いてしまったことで起きる葛藤劇の「淡い青のなかに」、「プレイヤー」は役所の立体駐車場で起きた転落事故から、昇級問題へと発展していくちょっと不可解な物語。

「写心」は親から受け継いだ写真館の経営に失敗し、闇金からの借金を返すために子供の誘拐を計画した男が主人公で、誘拐した後、まったく思いもよらない展開へ進んでいきます。

最後の「重い扉が」は犯罪を通して描かれる父と息子の関係と、なかなか日常的ではない風景ばかりで、そんなのありえねぇと思ってしまいますが、まぁ楽しく読めました。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

日曜日たち (講談社文庫) 吉田修一

著者の作品は、「悪人」や「さよなら渓谷」など、世の中の理不尽でもあり不可解なところを鋭く突いていて、面白く読ませていただいています。

この作品は連作短編集で、2003年に発刊、2006年に文庫化されています。

九州から家出をしてきたらしい幼い二人の兄弟が、各物語で微妙な味付けで登場してきます。

ただ私にはその意味というか、役割がどうもよくわからずに、最後まできました。

各編はそれぞれ違った主人公が登場し、タイトルは「日曜日のエレベーター」「日曜日の被害者」「日曜日の新郎たち」「日曜日の運勢」「日曜日たち」とすべて日曜日でまとめられています。

大都会で暮らす若者を描いた作品ですが、各編ともなにかちょっと納得がいかない終わり方なのは、私の感性のなさからくるものか、それともこういうのがいま流行っているのかは定かではありません。

あるいはもっと刺激的で喜怒哀楽が散りばめられ、ジェットコースターのような展開を、知らず知らずに私が小説に期待をしてしまっているのかもしれません。そうじゃないことを願いたいばかりです。

著者別読書感想(吉田修一)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

人生を無駄にしない会社の選び方 新田 龍

なんというか、昔は割と似たような仕事をしてきたことがある私にとって、この書籍に書かれていることの感想を書くのは、表も裏もよく知っているだけにちょっと難しいのですが、これはこれから初めて就職をする学生や、初めて転職をする人にとっては、役立つものだと思えます。

つまり就職や転職の初心者向けの入門書としてはよくできていますし、文句のつけようはありません。

私から言わせると、「え?こんなことも言ってあげないとわからないの?」とか「これを知らずに転職をするつもり?」ってことが結構あり、なるほどなぁってあらためて感心させられました。

著者は高校や大学などで、就職講座などを開いているということを考えると、そうした社会の掟をまだ知らない人達に向けては、このような懇切丁寧なな説明と解説が必要なんだということなのでしょう。

ただ私から言わせてもらうと、どんな会社に入ったとしても、タイトルにあるように「人生を無駄にした」と言えることは決してなく、それもやはり社会人としての経験となり、自分の見る目のなさを思い知ることができたりします。

最後に決断をするのは自分の責任であって、誰のせいにもしてはいけません。

あえて「人生を無駄にした」と言えるのは、就職や転職に失敗したとしても、それに対してなんの自己反省もなく、「上司が悪い」「社風が悪い」「残業が多い」とすべて責任を他者に押しつけて「自分はなにも悪くない」という自己中心的な考えに陥ってしまうことなのではないでしょうか。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

佐賀のがばいばあちゃん (徳間文庫) 島田洋七

漫才師の著者が子供の時代の話しを書いた小説で、当初は自主出版だったものが、やがて大ヒットし、その後映画やテレビドラマ化もされて、知っている人も多い作品ですが、私は映画もテレビも見てなく、前から気にはしていました。

著者の島田洋七氏は1950年生まれですから、ほぼ団塊世代に近く、戦後の混乱期を幼年期に過ごしてきたたくましい世代です。

父親は生まれてまもなく原爆の後遺症で亡くなり、最初は母親に育てられますが、小学生低学年の時に佐賀の祖母に預けられ、中学校を卒業するまでの8年間を祖母と二人で暮らすことになります。

とにかく著者は根っからの漫才師、どこまでが実話でどこから作り物かはわかりません。

でもこうした芸能人や作家さんの貧しい時代の話しって、田村裕氏の「ホームレス中学生」なども同様ですが、世の中の人には好意的に受け入れられるようで、どうしても面白くして売らんかなの気持ちがかいま見えてしまい、個人的にはちょっと控え気味です。

一般的な読者がこうした貧乏物語を受け入れやすいのは、「あぁこの人よりはずっとマシな生活をおくれていた」という安心感や優越感からくるものなのでしょうかね。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

真夜中の神話 (文春文庫) 真保裕一

2004年に単行本、2007年に文庫本が発刊されている500ページを超える長編小説です。著者の作品は、十数冊を読みましたが、当たり外れが少なく、とても気に入っています。

この本を買って、読み始めるとなにか既視感を感じ、調べると文庫が発刊されたと7年前にに買って読んでいました。またやってしまいましたが、結局面白くて最後まで読み通しました。

中でも巨大ダムの監視員がテロリストと戦う「ホワイトアウト」、ヤクザと日本に密航するベトナム人が主人公の「黄金の島」、素人が集まって衆議院選挙に立候補しようとする「ダイスをころがせ!」、織田信長に仕える光秀に焦点をあてた「覇王の番人」など、まったく主人公も小説のジャンルも違う小説を次々と書いていく才能の高さには驚くばかりです。

この小説はAmazonのレビューを読むと「著者の作品ワースト3のひとつ」など、あまり評判は芳しくはないようですが、私的にはすぐにでも映像化ができそうな壮大なスペクタルミステリー作品として評価します。映像化するには、海外ロケなどかなりのお金がかかりそうですけどね。

主人公は、夫と子供を交通事故で失った研究者の女性。その主人公が乗った飛行機がインドネシアの山奥に墜落してしまいます。しかし乗客の中でただひとり山の民に救い出され、そして奇跡的に回復をします。

そのことから、山の民には科学では証明できない奇跡があるのでは?という憶測と、コウモリを自由に操る吸血鬼伝説などともつながって、主人公やそれに疑念を抱くグループが再び山の中へと戻っていきます。

さすがに数年前に一度読んでいるので、最後のどんでん返しは、途中で思い出してわかっていましたが、それなりに楽しめる内容です。

著者別読書感想(真保裕一)


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831
月に繭 地には果実(幻冬舎文庫)(上)(中)(下) 福井晴敏

この小説は「ガンダム」シリーズなどで有名なアニメ監督の富野喜幸氏の1998年の作品「∀ガンダム」をノベライズしたもので、2001年に単行本、2005年に文庫版が発行されています。

実際のアニメと、この小説では内容に少し違ったところがあるそうです(アニメを見ていないのでよくわかりませんが)。

著者は富野喜幸氏と「ガンダム」の大ファンで、大きな影響も受けているとされています。また2007年には「機動戦士ガンダムUC」シリーズの小説版も書いています。

正直なところ、ガンダムが世に出たときには、私はすでにアニメというかテレビからは卒業していて、ストーリーはもちろんのこと、一度もそのアニメを見たことがありません。

果たしてそんな私がこれを読んで理解できるのか?とやや不安ながらも上・中・下の長編(3冊で1100ページ超え)に挑戦してみることにしました。

ストーリーは、地上が核戦争の果て荒廃し住めなくなり月や宇宙へ移住した人間が、2000年の時を経て、再び修復してきた地球へ戻ろうとしますが、その地球には宇宙へ移住せず、細々と地上で生き延び、原始的な生活から新たな歴史を作ってきた民がいて、その相容れない双方で闘いが勃発します。

主人公のロランは、先遣隊のモルモットとして、地球に住むのに問題がないかを自らの身体で調べるため、身分を隠して送り込まれた月の人間で、そのモルモット期間が過ぎて地球の人間になりきろう思っていた時に、突然、月から強行侵攻してきたモビルスーツの戦闘集団と自衛のために戦う羽目となります。

その後、月の女王と、親衛隊長、攻撃部隊、地球の軍隊、月の支配をもくろんでいる貴族などの話しが中心で、ガンダムを知らなくてもひとつのSF小説として楽しめる内容となっていてホッとしました。

ただ兵器のモビルスーツや攻撃用の武器などは、ある程度想像力がないと、どういったものかさっぱりわからないということにもなりかねません。ま、わからないところはどんどん飛ばして読むに限ります。

こうした壮大な地球と宇宙のSF物語は、若い頃ならば夢中になるのはわかります。が、やはり小説とはいえそのストーリーや内容がいかにもアニメチックで、リアリティさも真に迫るものもがなく、ちょっと退屈な思いをするのは中高年の域に入った私にはやはりちょっと無理があったかなぁとちょいと反省です。

そのようなことを考えると、巨匠アーサー・C・クラークが描くSF小説は、ストーリーがよく練られ、リアリティも抜群で、よくできているなぁと今さらながら驚かされます。

著者別読書感想(福井晴敏)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

人間失格 (集英社文庫) 太宰治

有名な太宰の代表的な作品ですが、実は今まで読んではいませんでした。太宰の他の作品「走れメロス」「斜陽」はかなり前に読んでいます。

なるほど、左翼活動や学生運動に熱狂していた私より上の団塊世代の人達が、こうした人間の条理・不条理、子供時代から恵まれた環境にいながらも自己否定し自ら破滅の道へと歩んでいく主人公の行動や思考は格好の議論の的であったのだろうと想像がつきました。

物語の内容は、小説家と画家などいくつかの違いはありますが、太宰自身の私小説とも言えます。

国会議員の父親をもち、裕福な家庭にありながら、その家とは距離を置き、自分では働かずに女性の部屋に転がり込むという荒んだ生活の末、夫が刑務所に入っている人妻と江ノ島の海で入水自殺を図り自分だけが助かります。

その後も何度か自殺を図ろうとしたり、愛人の服を勝手に質にいれたり、雑誌に金儲けだけのために絵を描いてお金を得ると酒や麻薬の一種である鎮痛剤を手に入れて、やがて薬物中毒に陥り、精神病院へと入れられることになります。

実際の太宰は、この人間失格を著したすぐあと、1948年(昭和23年)に愛人と三鷹市の玉川上水にて入水自殺をはかり、亡くなったことは有名な話しです。この小説では異常をきたし、精神病院へ入れられたところで終わっています。

この小説を原作に過去二度映画化されていて、最近では2010年に太宰治生誕100年を記念し、荒戸源次郎監督、生田斗真主演のものがありましたが、そんなのがあったとも知らずまだ観ていません。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

去年はいい年になるだろう(PHP文芸文庫) 山本弘

2010年に発刊されたSF小説で、奇妙なタイトルです。この著者の作品は2006年に発刊された「アイの物語」を昨年読みましたが、それも摩訶不思議な世界へ連れて行かれました。

この小説の中でも「主人公が未来に書く小説」として、その作品の話しが登場してきます。

主人公は著者自身で、時は2001年9月11日、そうアメリカ同時多発テロの場面から始まります。

もしこの小説が2011年以降に書いていたとしたら、物語の出だしは2011年3月11日だったろうと思われます。それは読むとわかります。

いわゆるタイムスリップ小説ですが、多くの同種の作品と違って、タイムスリップをするのは主人公ではなく、未来の人間が送り込んできたアンドロイドだということ。タイムマシンにのって未来から人型ロボットがやってくるわけです。ドラえもんみたいですね。

300年以上未来の人間がアンドロイドを現代に送り込んできた理由というのが、平和主義の元、過去の戦争や災害、事件や病気など、その時代の人々が不幸になる原因を極力取り除いていくことです。

織田信長が鉄砲隊を組織し戦っていた頃からすでに440年が経っていますが、武器の威力と命中精度は格段にあがったものの、相変わらず人の思考はそう変わっていないように思えます。

今からあと300年ぐらいで世界中の国が戦争を放棄できる考えに達するというのはあまりにも楽観的すぎるかも知れません。

過去の歴史を変えることで、当然に未来も変わってしまう、いわゆる「パラレルワールド(いくつも枝分かれした新しい世界と歴史が生まれていく)」になるわけですが、そうやって本来起きたはずの悲劇をなかったことにする未来人がとった驚愕すべき計画という奇想天外なストーリーです。

梶尾真治著の「黄泉がえり」でもそうでしたが、不幸にも亡くなってしまった人との再会や、時間を巻き戻してもらいたいと願う気持ちは誰しもが望むことで、この小説では、例え歴史をねじ曲げることになったとしても、テロや戦争、災害、事故、自殺などで最愛の家族や恋人を失うことがないようにしていこうというものです。

ただしそのやりかたは世界中の軍隊を無力化(攻撃兵器だけを無力化し輸送機など非武装兵器は除外)したり、国民を痛め苦しめる独裁国の幹部を捕らえ、穏健で民主的なリーダーに交代させたり、将来重病に罹る人に検査を受けさせて早期発見早期治癒したり、殺人事件や強姦が起きる日時、場所をあらかじめ警察に通報しておいたりと、かなり手荒で、強引な手法を含みます。

そのため「どこかの国が世界中に混乱を巻き起こして征服を考えているのでは?」とか「未知の星からの侵略者か?」といった現代人の誤解を解いていくため、大量にアンドロイドを投入し、この計画の広報活動や市民との直接対話にも力を入れます。

そして市民対話のひとりとして選ばれたSF作家の主人公の元へ、未来の自分と何度かコンタクトをとったことがあると言うアンドロイドがやってきて、このままでは将来主人公の作家は統合失調症(2001年時点では精神分裂症)で自殺をすることや、まもなく癌が発見されて亡くなる家族の寿命なども教わります。

そして未来の自分から託されたビデオメッセージや、未来に書くことになる小説原稿まで手渡されます。

締め切りと戦い、頭を抱えながら知恵と創造力をひねりださなければならない小説家にとって、これほどありがたいことはないでしょうけど、気持ちの中では複雑な思いにかられてしまいます。著作権は未来の自分にあるわけで、それをそのままいますぐ利用することでなにも問題はありません。

しかしこの小説は、未来が変わらない時に書かれたはずの小説で、今回アンドロイドの介入により枝分かれして別の未来になるとわかっていながら同じ小説を発表していいのかとジレンマに陥ることになります。

読んでいると、未来と過去がごっちゃになってきて、現在の自分が未来を考えるときには、元々の世界の未来なのか、それとも変わってしまったあとの未来なのか、複雑で混乱します。

SF作家としては、こうした皮肉とカオスに満ちた世界はお得意なのでしょうけど、文化系の人間が、いちいち理解しながら理路整然として読むには結構たいへんでした。


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827
絆 (講談社文庫) 江上剛

著者は元銀行員でビジネス書やビジネス系の小説が多い作家さんですが、この小説は二人の幼なじみの少年二人が、昭和の時代をそれぞれ違った道で生きてきた大河ドラマ的な小説で、2007年に単行本、2009年に文庫版が発刊されています。

私は著者の作品では過去に「非情銀行」だけ読んでいますが、著者と私は4歳違い(著者のほうが年上)ということもあり、生きてきた時代はほぼ同年代と言ってもいいでしょう。

この作品の中で、主人公がまだ少年だった頃の描写は、著者が子供の頃の情景を元に描いたものと考えられますが、それは現代の日本からすると、考えがたいほど貧しく、そして差別や古くからの風習がまだ根強く残っていた社会で、大阪万博が開催された1970年頃以前は、それが田舎というか地方の現実だったことを思い起こさせます。

いまでこそ格差社会などという名前を付けて貧富の差や勝ち組負け組などと騒いでいますが、昭和30年代と言えば、今よりももっと差別や貧富格差は激しく、それこそ子供を育てるお金がない人は、実質的に子供を売り飛ばすがごとく赤子の時に養子へと出したり、「捨て子」と言って、親から捨てられ養護施設に収容される子供の数は決して少なくありませんでした。

この主人公も丹波の田舎町で母ひとり子ひとりの貧しい暮らしをしていましたが、小学生の時に唯一の肉親の母親に先立たれ、意地悪なお金持ちの同級生の家に引き取られることになり、その同級生と母親に奴隷のようなひどい扱いを受けながら、どうにか高校まで進みます。どうしてこの家に引き取られたのかは最後のほうで明かになります。

引き取られた家の同級生が女性を襲い、その共犯にされそうになり、同級生を殴ったことから、家出同然に大阪へ飛び出しますが、捨てる神あれば拾う神もあり、そこで偶然知り合った愛知県尾西市(現一宮市)にある染色会社の社長に気に入られて入社することになります。この子供時代の苦労話しはまるで男性版「おしん」です。

主人公は工場で働き、やがては子供がいない経営者に信頼されて養子となり、会社の跡継ぎになってからも、この幼なじみとの縁は切れず、逆に様々な場面で騙されたり無理難題を押しつけられ、それでもあきれるほど我慢を続ける主人公には、さすがに読んでいてもあきれるばかりです。しかしそれは最後の最後でひっくり返されます。

巻頭に「アセ興株式会社 社長森雄三氏」に捧げる旨のことが書かれていますので、この小説のモデルとなった方なのでしょう。現在その会社は匠染色という社名に代わり、経営者も変わっているようです。

著者別読書感想(江上剛)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

裁きの鐘は:クリフトン年代記 第3部 (新潮文庫)(上)(下) ジェフリー・アーチャー

時のみぞ知る:クリフトン年代記 第1部死もまた我等なり:クリフトン年代記 第2部に続く第3部です。2014年4月1日に文庫版が発売されました。

簡単に1部と2部のあらすじを書くと、貧乏な家の生まれだった主人公と名門家で大金持ちの少年が、寄宿舎で知り合い親友同士となります。

しかしその後この二人は父親が同じで異母兄弟ではないかという疑いがかかり、その親友の妹と恋仲になっていた主人公は、恋人と結婚することをあきらめ、逃げるように一人アメリカへ旅立ってしまいます。

イギリスからアメリカへ向かう客船に船員として乗船中に、Uボートの攻撃を受け、船は沈んでしまいますが、主人公は幸い近くの船に救助されます。このどさくさを利用して、新しく生まれ変わるチャンスだと考え、アメリカへ上陸する時には沈没で亡くなった同僚の船員の名前を告げます。

ところが名を騙った同僚船員は殺人犯として手配されている男で、主人公は捕まり、裁判にかけられ、そして弁護士にもうまく騙され結果的に有罪判決を受け、刑務所で服役することになります。

イギリスに残してきた親友の妹の恋人は、主人公の子を産み、そして主人公が生きていることを信じ、ニューヨークまで追いかけてきますが、その居場所が判明したとき、主人公は刑を減免してもらうのと引き替えにアメリカ軍に入隊し、ヨーロッパ戦線へ旅立ったあとでした。

ここまでが1部と2部のおおまかなあらすじです。

さてこの3部は、第二次大戦が連合国軍の勝利で終わり、主人公は勲章を得て帰国を果たし、そして恋人と無事に結婚することができて平穏な日々をおくっています。

ところが名門家の財産を引き継いだ妻の兄である親友が、結婚相手に選んだ女性が、財産目当てと思われる高慢な貴族階級出身者で、母親が亡くなった後の財産を巡って一悶着が起きます。

結局はその女性とは別れることになりますが、主人公とその親友に対して執拗な悪意を持つ学生時代のライバルと組み、イギリスの国会議員である庶民院の選挙で邪魔をされたり、インサイダー取引に利用されたりと散々な目に遭います。

また、主人公の息子は成績は悪くないものの、数々の校則違反を犯し、卒業間近に停学処分を喰らうことなったり、奨学生として入学が決まっていたケンブリッジ大学の推薦が取り消されそうになる事態が発生します。

さらに両親が用事でアメリカへ渡っている隙に、ロンドンへ遊びに行き、同級生の家へ行くと、今度はそこの父親に利用され、本人が知らないうちにアルゼンチンから偽札の運び屋の仕事をすることになります。

もうジェットコースターのように次々と危険と謀略がいっぱいで、これはもう漫画の世界と言っていいでしょう。

この第3部は第二次大戦が終わってしばらく経った1950年代までで、最終的にはサッチャー首相が登場する1980年頃までの第10部まで続くそうで、前回に書いた宮本輝氏の「流転の海」シリーズや五木寛之氏の「青春の門」シリーズと同様、現在74歳の著者が、あと何年かかるかわからないシリーズの最後までちゃんと書けるのか?ってちょっと心配なところもあります。

もしかすると、緻密に計算され、人間の機微をうまくとらえ、しかもウィットに富んでいた「ケインとアベル」のような過去の多くの作品から、ただ乱雑で派手なばかりのB級アクション映画のようなストーリーへと最近毛色が変わっていることからすると、すでに実際は誰か別人のゴーストが書いているのかなぁって気もしないでもありません。

著者別読書感想(ジェフリー・アーチャー)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

男の作法 (新潮文庫) 池波正太郎

鬼平犯科帳」や「剣客商売シリーズ」「真田太平記」など多くの時代小説を残した著者ですが、1990年に亡くなっています。この本は1981年に発刊されその後文庫化されたもので、やはり数多くあるエッセイ作品のひとつです。

実は私はこの著者の本では20年前に「鬼平犯科帳」を1冊だけ買って読んだものの、あまり面白いとは思わず、その後は一冊も手に取ることはありませんでした。なんというか波長が合わないというか、いまいち肌に合わない感じがしています。

しかし実際に数多くのファンがいるわけで、20年も経ってあまり食わず嫌いもなんだかなと思って、これから少しずつ読んでみようと思っています。で、いきなりエッセイかい!って気もしますが、まずは著者のことをよく知ろうと思ったわけで。

このエッセイでは江戸っ子気質そのままの著者が考えてきた料理、酒、服装、家、妻、女などの様々な作法や考え方について、、インタビューをうけて好き放題に語ったものをまとめた形式になっています。

したがって決して厳格なマナー本ではなく、しかも30年以上前の話しでもあるので、平成の男子がそのまま真似をするとただ変人扱いされてしまうこともありそうです。

あと文章は口語をそのまま使っていますので、「あれ」とか「これ」とか「こうして」「こういうふうに」とか、いったいなにを言っているのか読む側にはさっぱり想像がつかず、イライラするような部分もあり、もう少しなんとかならないのかなぁと思ってみたり。熱烈な池波ファンならそれも味があっていいと許せるのでしょうね。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

きみの友だち (新潮文庫) 重松清

元々小説新潮に掲載された短編連作の小説で、2005年に単行本、2008年に文庫化されています。2008年には石橋杏奈主演で映画も作られていますが、あまり評判にはならなかったようです。

短編ごとに主人公というか登場人物は変わりますが、その中心にいるのは小学生の時に、自分の不注意でクルマにはねられ松葉杖の生活を余儀なくされた少女です。

あえて言うまでもなく、もうすぐ思春期を迎えようとする、心身ともに不安定な今どきの10代の少女や少年のキラキラした姿を、中高年の著者が描き、そして「きみたち」として描かれたものを、中高年の私が読むという、こっぱずかしい側面もあります。

収録されている短編は「あいあい傘」「ねじれの位置」「ふらふら」「ぐりこ」「にゃんこの目」「別れの曲」「千羽鶴」「かげふみ」「花いちもんめ」「きみの友だち」の各編から成り立っています。

途中少し中だるみするところもありましたが、上記の足の悪い主人公の元へ集まってきた、成長した彼女ら彼らが登場する最後の短編で、あらためて友達の意味を考えさせられるいい仕上がりとなっています。

今まで著者の作品の中では「その日のまえに」や「カシオペアの丘で」などの、壮年や中高年男性が主人公で、昔の仲間や友達、恋人、故郷などを懐かしく振り返るというテーストの作品を中心に12作品読んできました。

こうした思春期の少年少女を主人公とした作品も数多くあるのは知っていましたが、「いまさら少年少女ばかりが主人公の小説なんて」と思う気持ちもあり、なかなか手を出せませんでしたが、こうして読んでみると、今の若い人の悩みや考え方が多少は理解できるようになったかなと、勝手に自分に言い訳めいたような気分になります。

著者別読書感想(重松清)


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塩狩峠 (新潮文庫) 三浦綾子

1968年に発刊された小説で、実話を元にした感動作品です。これを原作として映画もできましたが1973年と約40年も前なので目にした方は少ないでしょう。

私は著者の作品ではデビュー作で代表作の「氷点」を15年ほど前に読んでいますが、こちらは繰り返しテレビドラマ化がされていて、最近、と言ってももう8年前になりますが2006年にヒロイン石原さとみ主演でありました。

タイトルになっている塩狩峠は北海道の道央と道北と結ぶ境にある険しい峠で、1899年(明治32年)には国鉄の前身の官設鉄道天塩線(現在の宗谷本線)が敷設されています。

そこで1909年(明治42年)に実際に起きた鉄道事故で、身を挺して犠牲となった鉄道院(国鉄の前身)職員の長野政雄氏がこの小説の主人公のモデルです。

明治時代といえばまだ仏教が当たり前の日本ではキリスト教やその信者は差別的にヤソと呼ばれ、大都会東京でも一般世間からは変わり者と言われ、のけ者にされていました。

主人公の母親もキリスト教徒であったため、子供を産んですぐに姑に家から追い出されてしまいます。主人公はその姑が亡くなるまで、母親はずっと前に死んだと聞かされていました。

姑が亡くなり家に母親が戻ってきたと思ったら、今度は父親が急死してしまい、中学(旧制、現高校)を卒業した後は一家の大黒柱として働かざるを得なかった主人公ですが、札幌に住んでいる中学校時代の親友から北海道へ来て仕事をしないかと誘われます。

自分の母親や妹、そして親友の妹で好きになった障害者の娘さんもキリスト教の信者ということもあり、北海道へ渡って鉄道会社に就職していた主人公は、やがては自然とキリスト教へ入信することになります。

私自身、キリスト教のことはよくわかりませんが、こうした自己犠牲と宗教というのはとても相性がいいようで、この鉄道事故が起きた後は日本でもキリスト教と信者が大層持ち上げられ、見直されるきっかけとなったそうです。

しかしその後日本は宗教とは直接関係がないとはいえ、自己犠牲を美徳とする教育とマスコミの煽動を徹底しておこない、国全体で多大な代償を払う太平洋戦争へと突入していくわけですから、そうした自己犠牲を清らかに賞賛する社会の風潮は美徳と言うだけでなく、なにか恐ろしいものだという感じもします。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

医療にたかるな (新潮新書) 村上智彦

昨年2013年に刊行された新書で、その刺激的なタイトルもあり、ベストセラーになりました。著者は負けん気の強い方なのでしょう、ユニークな経歴で、まず最初は薬科大学を卒業したものの、医者から「薬剤師のクセに」と一段も二段も下に見られて腹が立ち、それならばと医学部へ入り直し医者へ。

しかし実家が半端なくメチャクチャ裕福でないと薬科大学と医学部の両方を卒業するなんて絶対に無理でしょうね。

大学病院で勤務していたとき、北海道瀬棚町の町長に請われて町営の病院へ移り、再建と町民の意識改革に手を尽くしたものの、町長が替わったとたん政策が大きく変わってしまい、新町長と喧嘩別れして新潟の湯沢町の病院へ。その後財政破綻した夕張市の管財人からの依頼を受けて夕張市へ行きます。

そこでは既得権益者やたかり、甘え体質が蔓延していた役所や住民達とも対立し、一方的な批判記事が書かれたり、議会でつるし上げにあったりと散々な目に遭いながらも、1億円を超える当面の資金を自分で工面し、無駄をなくし予防医学を中心とする医療改革をおこなっていく過程が書かれています。

批判は国の制度や自治体や役所の問題だけでなく、医療現場にたかろうとする北海道の住民体質に向けても舌鋒鋭く、持論を述べています。

実際に双方の言い分を聞いてみないとどっちがどうでという判断は難しいのですが、とかく新しい風を吹き込もうとすれば、先日「政治家の殺し方」でも書いたように過去何十年間にわたり強大な力を蓄えている既得権益者との激しい戦いがあり、この著者もそれに巻き込まれることになります。

あと残念なこととして、この新書では触れられていませんが、既婚の著者の自宅(単身赴任?)で、著者の愛人と思われる二人の女性が刃傷沙汰を起こした事件が2012年に起き、自分が借金までして作った「医療法人夕張希望の杜」の理事長を辞職するに至っています。

著者の医療に関する信念と、プライベートのスキャンダルとは関係がないと言ってしまえばその通りですが、せっかく改革者として既得権益者やそれに与するマスコミに対して正面から攻勢をかけていたのに、つまらないことで勢いをそがれてしまうことになったことは無念なことでしょう。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

オレたちバブル入行組 (文春文庫) 池井戸潤

テレビドラマで人気を博した半沢直樹シリーズの第1作目の小説として有名です。この文庫が発売された2007年から2008年前半頃には店頭に平積みをされていた時期がありましたが、当時はそれほど人気が高かったわけではありません。

私も著者の本では、デビュー作の「果つる底なき」や「BT’63」をすでに読んでいましたが、「またお得意の銀行小説(著者は元銀行マン)か」ぐらいに思い、買うことはありませんでした。その後出てきた主人公は銀行員ではない「空飛ぶタイヤ」「鉄の骨」「下町ロケット」などは面白く読ませていただきました。

しかしご存じの通り2013年にはテレビで大ヒットし流行語大賞にも選ばれるほどの人気となり、再び書店では「半沢直樹フェア」が仰々しく開催されていました。

著者にとってはこうしたテレビや映画で作品が映像化され、それがきっかけでベストセラーとなり、その影響で別の作品も一緒に売れるのはとっても旨味があるでしょう。

それだけに作品の映像化による原作使用料は、大ヒットして興行収入58億円と言われる映画「テルマエ・ロマエ」でさえ、その原作者ヤマザキマリ氏に支払われた原作使用料はたったの100万円だったというように、おそらく信じがたいほど安くても我慢せざるを得ないのが現状かも知れません。ヒットするかどうかまだわからない時に契約するわけですからね。

物語は、主人公の半沢直樹がバブル真っ盛りの中、就職活動をおこない、悠々と都市銀行の内定をとり、順調に階段を駆け上がっていたところ、バブルが弾けてしまいます。

支店の営業成績を上げるため、支店長命令でろくな審査もせずに企業融資をおこなったところ、それが不良債権になってしまい、あとは支店長以下に責任を押しつけられ、窮地に追いやられそれを同期の仲間達にも助けられ奔走するというものです。

「すさまじきものは宮仕え」とはよく言ったもので、特にエリートが集まる大手企業ではこうした社内政治力学や、上司の不正行為、ミスが発生したときのスケープゴート探し、子飼いの部下や社内派閥の構成、ゾンビとか妖怪と呼ばれても権力にしがみつく老人など、事実は小説より奇なりということは、大手企業に勤務したことがない私ですら知っていますが、今の若い人達は、こうした現実ではあり得ないようなビジネス下克上物語で少しは溜飲を下げたりするものでしょうか。

著者別読書感想(池井戸潤)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

それでも、警官は微笑う (講談社文庫) 日明恩

昨年読んだ武本・潮崎シリーズの「そして、警官は奔る」の前作になります。つまり2作目を読んで面白かったので1作目も読もうと買ってきました。著者のその他の作品では「鎮火報 Fire's Out」を読みましたが、こちらは消防士が主役の小説で、こちらもとても面白かったです。

著者の名前は日明恩と書いて「たちもりめぐみ」と読みます。普通の人は読めませんよね。ということは、書店によって著者順に並べてあったとしても「タ」のところにちゃんと置いてあるかどうか怪しかったりします(多くの書店員さんは賢いから大丈夫かも知れませんが)。

そしてこの著者は警官や消防士という、男臭くて汗臭い男を主人公とした小説を書きますがなんと女性です。

主人公の武本は高卒で警視庁に入り、硬派で真面目一方のたたき上げの刑事。コンビを組まされている後輩の潮崎は、大卒で国家試験を通り警視庁に入庁してきたキャリアではないもののエリートで、しかも実家が茶道の名門家元とかで、警視総監クラスの上流社会にコネをもち、警察組織の中でどう扱っていいか困って、本人希望で現場の所轄に配属された刑事。年は若く経験も少ないものの、役職は武本よりも上というありがちな設定です。

そしてこの二人は経歴と同様に、性格も対照的で、無口で人嫌いな主人公と、とにかくよく喋り、誰とでもすぐに仲良くなれる潮崎は、お互いに自分にない、いいところを認め合っています。

前述の通り、このシリーズの2作目は昨年春に読んでいますが、その時謎だった二人の関係や主人公の武本、潮崎二人の素性がこれを読んでようやくわかりました。やっぱりシリーズものは最初から読まなきゃダメですね。

第2作目を読んだときの感想文では「堂場瞬一氏の作品と共通する匂いがある」ような事を書きましたが、この1作目を読むと暴力的指向性が楡周平氏の作品のイメージに似たところがあるなぁって感想。いずれにしても刑事や知能犯を派手目に描くと味付けは似てきてしまうのは仕方がないところで、最近ちょっとそういう作品が多すぎるかなぁという気がします。

著者別読書感想(日明恩)


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