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時のみぞ知る クリフトン年代記 第1部 (新潮文庫)(上)(下) ジェフリー アーチャー

書店で平積みされていた文庫新刊「死もまた我等なり クリフトン年代記 第2部」を見つけて手に取りましたが、その前に発刊されているこの前作を読まなければ途中からになってしまうので、先にこの作品を探して買ってきました。

外れがない著者の長編小説で、この第一部上下巻を読む限り、過去に読んだ同氏の作品「ケインとアベル」「チェルシー・テラスへの道」「運命の息子」を足して3で割ったような感じです。

副題になっているハリー・クリフトンという英国生まれの主人公が、そのたぐいまれな才能を開花させ、極貧の中からのし上がっていくという著者のいかにも好きそうなストーリーで、ロンドンから200kmほど離れた港町ブリストルが舞台です。

時はまだ第二次大戦勃発前のことで、造船所に勤めていた父を生まれたときに戦争(第一次大戦)で亡くし、母親とその兄、母親と暮らしているハリーは、ろくに学校にも行かず、造船所の中に置いてある客車を住まいにしているホームレスのような老人に興味を覚えます。

そこからハリーの目覚ましい奮闘と活躍が描かれますが、なぜ周囲の人達が、ハリーの頑張り以上に優しく接してくれて、また挫折を味わってもその後うまくリカバリーできるのか、そういった謎が次第に明らかになっていきます。

こうして1900年初頭の英国の姿を見ると、当時から先進国であったのは間違いないものの、貧乏人の子供は貧乏なまま一生を終え、金持ちは代々途方もなく金持ちで、その子供に引き継がれていくという、いわゆる世襲社会と貧富の格差が大きいことがわかります。

貧しい家で、しかも父親がいない主人公は、本来なら小学校を出た後は亡くなった父親の後を継いで地元の造船所で働き、油まみれでその一生を終えるはずでした。

しかし様々な幸運や才能に恵まれて、造船所のオーナーの孫が通う名門校へ入ることができ、しかもそのジャイルズと親友になり、やがては、その妹エマとも婚約することになります。

ここまででもある程度のネタバレしてしまいましたが、実はもっと恐ろしい罠が潜んでいて、エマとの婚約を破棄せざるを得なくなり、その失意を払拭するため、まもなく戦争になることを予想し、いずれは戦艦に乗って戦おうと、その前に単身でキューバ行きの船に乗り込み船乗りとしての訓練を自分に課すことになります。

波瀾万丈の人生ドラマと言っては陳腐な表現ですが、なにか勇気を与えてくれる小説です。この第一部では何度目かの危機一髪で突然終わってしまいますので、第二部を読まないわけにはいかないでしょう。

著者別読書感想(ジェフリー・アーチャー)

  ◇   ◇   ◇

湾岸リベンジャー 戸梶 圭太

いろんなジャンルの作品を多く描いている著者ですが、この作品はストーリー性と言うよりは、エンタテーメントを意識した娯楽作品となっています。2001年に発刊され、10年後の2011年にようやく文庫版が登場しました。

戸梶圭太氏の作品は、過去に映画にもなった「溺れる魚」を2001年に、そして今年「判決の誤差」(2008年初出、文庫版2011年)を読んだきりです。いまいち続けて読みたいと思わないのはなぜでしょう。ちょっと感性が合わないからかな。

タイトルに使われている湾岸といえば、楠みちはる氏のコミック&アニメ「湾岸ミッドナイト」を思い浮かべる人は相当なクルマ好きですが、この小説の舞台も同じく首都高湾岸線で、結婚したばかりの妻を事故で失った元ラリーストが、事故が起きるきっかけを作った暴走族を捜し復讐をしようというものです。

こういう設定、昔なにかで読んだなぁと思って調べてみると、1979年に田中光二氏の「白熱(デッドヒート)」という小説にありました。

「白熱」はその後映画にもなりましたが、妻ではなく後輩が挑んだ暴走レースで命を落とし、その時の相手を探すため全国の走り屋が集まる場所へと出掛けていくというものでした。

結婚したてで愛し愛されていたと思っていた流れが、途中で変わってしまうのは、妻の遺品の中に見つけたメモリーカードで、その中に結婚指輪をしたまま他のさえない男と嬉しそうに不倫をしている妻の姿を見つけてしまい愕然とします。

その部分がこの小説に必要だったのかはともかく、いまいち最後ははちゃめちゃで、タイトルの「湾岸リベンジャー」とはまったく関係しない理解しにくい終わり方をしてしまいます。

  ◇   ◇   ◇

新・世界の七不思議 (創元推理文庫) 鯨統一郎

邪馬台国はどこですか?」や「作家 六波羅一輝の推理シリーズ」など数多くの作品を出し続けている著者の2005年初出の作品です。著者の本名は源氏名で覆面作家さんです。

以前読んだ「邪馬台国はどこですか?」でちょっとした衝撃と感銘を受けて、その後著者の本を数冊読みましたが、どれもなかなかユニークな視点と発想で、他にはあまりみかけない意外性ある面白い作品が多いのが特徴です。

この作品は「早乙女静香シリーズ」の2作目で、すでに3作目の「新・日本の七不思議」も出ています。このシリーズは新宿にあるあまり流行っていない場末のバー「スリーバレー」の中で、歴史学者の早乙女静香や雑誌ライター宮田、バーのマスター松永などが、古代の謎を披露し、それを斬新な手法で解いていくという古代ミステリー小説なのですが、いずれも酒の席での軽目の話しとなっていて、あまり深掘りされることがないのが少し残念なところ。

「邪馬台国はどこですか?」についても従来の学者の説をすべて否定してしまう独自の論を展開しますが、やや納得するには材料が物足りない感じがあり、いつかまた続編が出てくるのでは?と勝手に期待しています。

しかしその名前や由来こそ知っていても、それにまつわる謎や背景を詳しく知らない一般の人にとっては、本文中で丁寧に解説をしてくれていますので、お酒のうんちく話しとともに、雑学的知識の勉強になります。

さて、一般的に世界の七不思議(古代)といえば、紀元前二世紀にビザンチウムのフィロンが記したという「7つの驚異的な建造物」が元になった

 1.ギザの大ピラミッド
 2.バビロンの空中庭園
 3.エフェソスのアルテミス神殿
 4.オリンピアのゼウス像
 5.ハリカルナッソスのマウソロス霊廟
 6.ロドス島の巨像
 7.アレクサンドリアの大灯台(フィロンが書いた時は「バビロンの城壁」)

が定番となったようです。

その他にも「中世の七不思議」や「コットレルによる世界七不思議」、「自然の七不思議」、「自然現象七不思議」など様々な人や団体、言い伝えなどがあります。

最近になってからは、スイスに本部を置く「新世界七不思議財団」が定めた「新・世界七不思議」ができ、

 1.チチェン・イッツァのピラミッド(メキシコ)
 2.イエス・キリスト像(ブラジル)
 3.万里の長城(中国)
 4.マチュ・ピチュ(ペルー)
 5.ペトラ(ヨルダン)
 6.コロッセオ(イタリア)
 7.タージ・マハル(インド)

が選ばれているそうです(wikipedia)が、この本で取り上げられる新・世界の七不思議は、
 
 1.アトランティス大陸
 2.ソールズベリのストーンヘンジ(英国)
 3.ギザのピラミッド(エジプト)
 4.ノアの方舟
 5.始皇帝(中国)
 6.ナスカの地上絵(ペルー)
 7.イースター島のモアイ(チリ)

が選ばれています。

これらの謎解きにずっとつき合わされた古代史の世界的権威、ペンシルベニア大学のハートマン教授は、念願だった早乙女静香との京都旅行が、延期に次ぐ延期となりますが、果たして来日中の間に京都へ行くことができたのか?は謎のままです。

ストーンヘンジと神社の鳥居、ピラミッドと盛り塩、ノアの箱船と桃太郎の童話、モアイ像と大仏など、意外な組み合わせ満載で、今回の謎解きもなかなか新鮮且つユニークで面白く読めました。まだ買っていないけど「新・日本の七不思議」も楽しみです。

著者別読書感想(鯨統一郎)


【関連リンク】
 10月前半の読書 私の男、恋愛時代(上)(下) 、小説・震災後、通天閣
 9月後半の読書 脳に悪い7つの習慣、コンダクター、ガセネッタ&シモネッタ、その街の今は
 9月前半の読書 緋色の研究、眠れぬ真珠、王国記 ブエナ・ビスタ、心に龍をちりばめて

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756
私の男 (文春文庫) 桜庭一樹

タイトルからすれば、「これは恋愛小説に違いない」と当然思い込みます。私もまったく予備知識はなしで読み始めました。これから読む人はそれがいいと思いますし、以下のこの感想も読まない方がいいです。

著者の桜庭一樹氏の小説は今回初めて読みました。しかもこの感想のために調べるまで女性作家とは知りませんでした。

「私の男」は2008年の直木賞受賞作です。が、この方小説以外にもコンピュータゲームのシナリオを書いたり、エッセーや漫画の原作など多才な人です。

若い人に人気のライトノベルなどもたくさんありますので、詳しく知らないのは私のような50過ぎたオヤジだけかも知れません。

さて、この「私の男」、通常の小説のスタイルとは違い、現在から過去へとさかのぼっていきます。

幸せそうだけどなんだかちょっと影のあるヒロインが資産家の男性との結婚が決まり、婚約者と指輪を買い、父親も加わって一緒に食事に出掛けるという人生の中でもっとも幸せで微笑ましいところからスタートします。

しかしそこで明らかになる風変わりなヒロインの父親がタイトルの「私の男」だと信じたくはないものの、それに向かってヒロインと父親の過去が徐々に顕わになっていくという内容です。

ちょっと現実的には考えにくそうですが、あり得ないとも言えなくもなく、読んでいくにつれ暗澹たる気持ちになり、やがてはつらくなっていきました。

この二人にもっと他に方法がなかったのだろうか、なぜ周囲の人達はこうなるまでほったらかしていたのかと、小説と言うことを忘れ、思わず独り言を言いそうになったり。

ま、直木賞受賞作ですから余計なケチや野暮なことは言えないですが、暴力、殺人、不倫、大津波、近親相姦など、衝撃シーンのてんこ盛りで、おそらく映像化するにはもってこいのドラマじゃないかなと思っていたら、すでに映画化が決まっていて、来年2014年に公開されるとのことです。私は見たいとは思わないですけどね。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

恋愛時代 (幻冬舎文庫)(上)(下) 野沢尚

著者の野沢尚氏は元々テレビや映画の脚本家として頭角を現し、その後小説を書き始めた方です。

プロの作家からするとシナリオライターに人の機微を深く掘り下げた本格的な小説が書けるものかといいたいところでしょうけど、当然書けちゃうわけですね。

ただ惜しむらくはこの著者は2004年に自殺してしまい、もう新しい作品を読むことができません。

この「恋愛時代」は1996年に初出の長編小説で、2001年にタイトルに惹かれて読んだ「破線のマリス 」(初出1997年、文庫版は2000年刊)よりも前に書かれた作品です。

ストーリーは、2年前に離婚して別々の生活をおくっている男性と女性の二人の主人公が、心の中に今でも様々な葛藤を抱えつつ、日常の生活の中では一緒に食事をしたり、カラオケに行ったりと仲良くしています。

しかしある時喧嘩になってお互いに再婚相手を探して紹介するということになり、それを互いに実行していくというコミカルな中にも男女間の深い心理状態をうまく描いているなかなかの作品です。

まぁ、互いにムキになり結婚相手を探すという辺りで、最終的に落ち着く先は読めてしまいましたが、主人公以外の登場人物がそれぞれに魅力があり、それが映像として見せるためのドラマ脚本家としての最大の腕の見せ所だったのかなぁと思いつつ、後半へ突入していきます。

小説では主人公二人が交代で語っていくスタイルをとっていますが、互いの心理描写がやや冗長で、どうでもいい部分が長々とあり、中だるみというか途中で退屈する場面もあります。それを救っているのは先にも書いた主人公二人に恋をする脇役達です。

脇役といっても、引退も近い女子プロレスラー、中学時代の同級生、名門ホテルチェーングループ総裁の跡取り息子、離婚協議中の大学教授など、様々なタレントで、これはドラマにすると絵になります。

二人の主人公のように、こんなに周りからモテモテの人生だったらなにも苦労はしないのにと思わなくもないですが、やはり最終的には人気アイドルタレントを使った映像化を視野に入れた作品だったのかも知れません。

しかし現在のところこの作品の映像化は2006年に韓国でテレビシリーズとしてドラマ化されただけで(日本国内でも放送されました)、国内では制作されていません。

あとこの小説の中で男性主人公(書店の店長)が勤める本は、それなりに面白いことを巻末の解説で池上冬樹氏も保証しています。

小説の中で登場してくる小説とは、

マイクルコナリー「ラスト・コヨーテ
宮本輝「ここに地終わり海始まる
ロバート・ジェームズ・ウォラー「マディソン郡の橋
ローレンス・ブロック「八百万の死にざま
ジョン・ダニング「死の蔵書
リチャード・ニーリー「心ひき裂かれて
桐野夏生「ファイアボール・ブルース
ベン・ホーガン「モダン・ゴルフ
サガン「ある微笑
ピート・ハミル「愛しい女
原田康子「挽歌
ジャック・フィニイ「ゲイルズバーグの春を愛す
遠藤周作「わたしが・棄てた・女
村上春樹「ノルウェイの森

の14作品で、半数はすでに読んでいますが、あと残りをメモしておいて今後読んでみようと思っています。

こうして今まで食わず嫌いだった新しいジャンルや著者の本を増やしていくのはなかなか効率がいいです。

著者別読書感想(野沢尚)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

小説・震災後 (小学館文庫) 福井晴敏

東日本大震災が起きた2011年3月11日の約半年後の10月に単行本が発刊され、その半年後には早くも文庫化されています。

多くの人が大震災と原発事故に茫然自失とし、この先日本の社会、経済、生活がどうなるのだろうと先行きに不安を覚える中で、即座にこれだけの作品を書いて世に出すというのは超人的としか言いようがありません。

著者は言うまでもなく「亡国のイージス」や「終戦のローレライ」などの軍事ものや、「川の深さは」の警察ミステリーもの、「平成関東大震災 いつか来るとは知っていたが今日来るとは思わなかった」のSF近未来小説まで様々なジャンルに秀でた作品を残す作家さんですが、どれもエンタメ的にはたいへん面白いです。

内容は2011年3月11日に起きた東日本大震災とその後に起きた福島第一原子力発電所の事故をそのまま小説で使い、東京都郊外に住む普通の一家がそれぞれに悩み考え、そして行動を起こしていく姿を描いています。

主人公は一家の主でもあるサラリーマンの男性で、同居する父親は元防衛省に勤務というところがちょっとミソ。

震災後に家族で気仙沼方面へボランティアへ出掛けたり、ネットにはまっている中学生の長男が、原発事故を今までそれを無責任に容認してきた父親を含む大人達に対して反発し、やがて大きな事件を起こしていくという姿など、普通にをありえます。

最終章では私も今までまったく知らなかった方法で発電し、世界に打って出るチャンスではないかという「こんな時だけど、そろそろ未来の話しをしようか」で始まる主人公が中学生とその父兄達に向けての演説はなかなか読み応えがあり夢のあるいい語りです。

著者別読書感想(福井晴敏)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

通天閣 (ちくま文庫) 西 加奈子

先に読んだ柴崎友香著「その街の今は」と同じ香りがする小説です。著者は2004年にデビューし、16作目の「ふくわらい 」が今年の直木賞候補となったこれからまだまだ有望な若手作家さんです。

この「通天閣」はデビューから4作目、2006年に発刊された小説で(文庫版は2009年刊)、2006年の「その街の今は」に続き、2007年の織田作之助賞を受賞しています。

主人公は大阪の下町にある通天閣のそばに住んでいる、まったく縁もゆかりもない男女二人で、その二人の話を中心にして展開していきます。

ひとりは40才を過ぎても独身のまま、100円ショップに卸す商品を包装している小さな工場勤務の男性。

もうひとりの主人公の女性は同棲していた男性が突然米国に留学することになり、その帰りをひたすら待ちつつも、やがてはふられてしまうことに。

その女性は、生活費を稼ぐため、なんばの怪しげなスナックで働くことになり、そこのオーナーに気に入られて黒服のギャルソンを任されています。

それらの主人公の周りにはこれまたユニークな面々が揃い、日々の生活が淡々と流れていきます。

そして見ず知らずだった男女が、ある日なんばで飛び降り自殺志願者が現れた現場で、すれ違うことになりますが、実はこの二人は、、、ってところで最後のオチというか実際はオチにはなっていませんが、ワケありの二人の関係が、読者だけには知れることとなります。

大阪なのでオチがなくていいのか!という声もありますが、それでいいのです。

著者別読書感想(西加奈子)

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752
脳に悪い7つの習慣 (幻冬舎新書) 林成之

著者の林氏は、危篤患者に対する救命療法である脳低温療法を開発するなど、脳医学のスペシャリストで、東大学閥とは距離を置いて独自の研究と理論を展開している現場主義のお医者さんです。

脳を活性化させるには、いろんな人が様々な理論や方法を主張し、自分の主張こそが正しいというでしょうから、我々はそれら数多くの話しをフンフンと聞いたり実践するしかなく、いったいなにが本当のことなのかは神のみぞ知るってところです。

実際のところ脳の仕組みや役割、連携の仕組みなどまだわかっていないことが多く、この2009年に発刊された新書もひとつの考え方ということで、読むのがいいでしょう。

脳科学が今よりは進むはずの100年後に、現代の脳科学(脳に限らず科学全般)は未来人にどう映るのか見てみたい気がします。幕末の頃に登場した写真機に魂が吸い取られてしまうと噂が広まったり、笑い話になっていることも多々あるような気がします。

内容は、7つの悪い習慣をなくしていくことで、脳の働きをよくしていきましょうと単純明快です。

「脳に悪い習慣」とは?」
 1)「興味がない」と物事を避けることが多い
 2)「嫌だ」「疲れた」とグチを言う
 3)言われたことをコツコツやる
 4)常に効率を考えている
 5)やりたくないのに、我慢して勉強する
 6)スポーツや絵などの趣味がない
 7)めったに人をほめない

私に当てはめると2)と6)以外はすべて上記に当てはまる悪い習慣を実践しています。だから記憶力が悪く、頭の回転もよくないのでしょう。えらく納得ができます。せめて40年前にこの本と出会っていれば、もう少し違った人生を歩んでいたかも知れません。それが今より素晴らしいものであったかどうかは別としてですが、、、

ものは試しに、子供によく読ませてみようかと思っています。親の遺伝の壁を果たして破れるか興味あるところです。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

コンダクター (角川文庫) 神永学

著者の作品は今回初めて読みますが、1974年生まれと言うから39歳、2004年にデビューした、この世界では若手の作家さんです。

「心霊探偵八雲シリーズ」や「天命探偵真田省吾シリーズ」など探偵ものがお得意と見えますが、今回読んだ作品はそれらとは一線を画し、タイトル通り音楽の世界を舞台としたミステリー仕立ての作品となっています。

またこの作品を原作とした野奇夜氏作のコミックも評判をとっていますが、それだけコミックに向いた奇想天外な内容とも言えるかも知れません。

この本に登場する最初は脇役と思った登場人物が、最後には主役となっていて、他の小説にもこの人物が登場してくるものがあるそうです。詳しくは書きませんが。

ストーリーは音楽学校で同期だった男女が一堂に会し、演劇のバックオーケストラを担当することになります。コンダクターと言うべき指揮者は、同期の中でも優秀な男性で、国費でドイツ留学をしていたところ、途中で日本へ帰ってきた男性です。

その男性とピアノをひく男性の間には女性を巡る争いが過去にあり、それが今回の再び再燃することになります。なにかドロドロした気配を感じながら読み進めていくと、いろいろなところに張られた伏線が、一気に表に出てきます。

なかなかのトリック使いだとは思いますが、細かなところではかなり無理がありそうです。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

ガセネッタ&(と)シモネッタ (文春文庫) 米原万里

過去に主に書評集などを読んだ著者の作品が目に留まったので買ってきました。以前に書きましたが、この方はロシア語の同時通訳として、そしてエッセイストや作家としても名を馳せていましたが、2006年にガンのため56歳で亡くなりました。この作品は2003年に文庫として発刊されたものです。

2011年に読んだ「打ちのめされるようなすごい本 (文春文庫)」の感想

中学時代までチェコに在住し、当時のチェコではもっともまともと言われていたソ連人向けのインターナショナルスクールへ通いロシア語をマスターし、同時に日本人としてのアイデンティティを失うまいと、日本から書籍を取り寄せ、片っ端から読みふけっていたことで幅広い知識が増え、首脳会議や国際会議などの同時通訳などをこなすまでになります。

通訳というのは翻訳家とは違い、通訳中にわからない言葉に出会ったとき、考えたり調べたりということができず、とっさの判断でなにかを決め打ちするしかなく、そういうことが起きないよう、絶えず新しい言葉をインプットしておかなければなりません。確かに日本語でも十年前と今では、通常の会話で使われる言葉や略称、流行語などどんどん変わっていきますから、通訳の人はたいへんなことですね。

また医学界の通訳でも、講演などで出てくる話は医学用語だけでなく、身体と同じような役割をする自動車のパーツの名前や、その病気に罹ったとされる歴史上の人物なども知っていないといけません。

特にジョークの場合、まず通訳なしでもわかる人がどっと笑い、その後に通訳してくれるのを待っている人達が「なにか面白いことを言ったぞ」とワクワク期待されることほどつらいことはないそうで、しかもそのジョークがロシアの歴史やことわざを知らないと通用しないジョークだったりすると、もうお手上げだそうです。

日本人が講演でよく使う日本のことわざも、同じような意味のロシア語があって、それを知っていればいいですが、それを知らないと、そのことわざの意味を短時間で説明しなければなりません。

例えば「弘法も筆の誤り」を同時通訳でロシア人に対して訳せと言われても、同じことを示すロシアのことわざをとっさに思い出せなければ、その意味をわかりやすく解説しなくてはなりません。まったく同時通訳者の集中力や幅広い知識はもの凄いものだとわかります。

著者別読書感想(米原万里)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

その街の今は (新潮文庫) 柴崎友香

1998年にデビューした若手作家さんの作品で、2006年に発表され、惜しくも受賞は逃しましたが芥川賞候補になった作品です。同作品は同じく2006年に関西を舞台とした優秀な作品に贈られる織田作之助賞を受賞しています。

大阪生まれで大阪育ち、作品にもそのコテコテの濃い大阪の街と人がふんだんに登場してきます。ジャンルや内容はまったく違いますが、同じく大阪の街を描いた万城目学氏の「プリンセス・トヨトミ」や宮本輝氏の「道頓堀川」、織田作之助の「「夫婦善哉 」、谷崎潤一郎の「細雪」をちょっと思い出しました。

文庫の解説にも書かれていましたが、この作品には悪人は出てこないし、物語の中で人が死ぬこともなく、また精神異常者もでてこない最近では珍しいパターンの小説です。

そんな刺激のない淡々とした日常を描いた小説が楽しいのか?面白いのか?と聞かれると私的にはYESでとっても新鮮です。

次々と人が死に、若くして白血病やガンに罹っていて死にかけている恋人や、ストーカーや殺し屋やギャングが暴れ回り、味方と思っていた人が実は精神異常者で主人公が危機に瀕するとか、小説や映画の中ではそれが普通になってきていてもうお腹がいっぱいです。

ある高校の教師が、生徒達に夏休みの宿題で「人が誰も死なない小説で感想文を書いてくること」という宿題をだしましたが、これって探すと結構難しかったりします。すぐに思い浮かびますか?

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748
緋色の研究 (新潮文庫) アーサー・コナン・ドイル

1887年に発表されたシャーロック・ホームズシリーズの最初の作品です。ワトソン博士が英国軍に軍医として入隊してから派遣されたアフガニスタンで負傷し、英国に戻ってくるまでの回想と、その後のホームズとの出会い、そしてアメリカ人が空き家で何者かに殺されるという事件がロンドン市内で起き、その謎を解き見事に犯人を捕まえるホームズの活躍をワトソン博士が記録として書いたという設定でこれがその後長く続くホームズシリーズの原型となりました。

これが書かれたときには、その後世界的な大ヒットをおさめ、長くシリーズ化され、何度も映画化され、世界でもっとも有名な探偵小説になるとは著者自身も想像もしていなかったでしょうが、今読んでも素晴らしい内容だと感心します。この作品が発表された1887年といえば日本は明治20年、伊藤博文が初代内閣総理大臣に任命された(1885年)すぐあと、大日本帝国憲法公布(1889年)の2年前のことです。

ストーリーは、第一部としてワトソン博士の自身の紹介というか軍隊時代の回想の後、知人を通じてロンドンで部屋を探していたところ、ちょっと変わり者だがと断りをいれた上で同じようにルームシェアの相手を探していたホームズを紹介されますが、意気投合して一緒の家に住むことになります。その時も初めて会ったばかりなのに、軍医として南方へ行っていたことを当てられ驚きます。

ある日刑事からの使者がホームズを訪ねてきて、殺人事件の協力を要請されます。ホームズと一緒に殺人現場へ出向き、現場を鑑定し刑事にアドバイスをおくり、さらにホームズ自身が犯人に罠を仕掛けて、協力者を尾行するところまでいきますが、まんまと逃げられてしまいます。

手掛かりが消えて、どうするのかと思っていたら、別の推理を元に、犯人を自宅へ呼びつけることに成功し、鮮やかに捕まえます。しかしそれができた理由が、ワトソン博士や刑事達、もちろん読者にも、どうしてそれができたのか謎だらけです。

そこで第二部として、なぜホームズに犯人がわかったのか、この事件の裏に隠されていたものがなにかが説明されていきます。

その第二部はロンドンからいきなりアメリカのユタ州はソルトレイクで起きた過去の悲惨な出来事の回想となります。この小説の中では、当時の新興宗教だったモルモン教のことを悪の権化のごとくめちゃくちゃに悪者仕立てとしています。たぶんアメリカでは、当時でもそのままの内容で発表することはできなかったでしょう。

当時のモルモン教は一夫多妻を基本としていて、そのため妻となる若い女性が不足するので、あれやこれやと犯罪行為含めて若い女性を集めていたとか、上層部は世襲制で、露骨な特権が与えられていたとか、まるで日本で過去に問題となった新興宗教か独裁国家のように描かれています。
このドラマチックかつ壮大なスケールの探偵小説を、著者は英国内の数多くの出版社に持ち込んだものの、どこにも断られ、結局アメリカの出版社でようやくこぎつけました。それを知ると、今や大ベストセラーとなってこの12月には映画化もされる「永遠の0」が、いくつもの出版社に持ち込んだものの、どこにも相手にされず、結果的に零細な出版社でようやく書籍にはなったもののあまり売れず、それが文庫化されてから口コミで拡がって大ブレークしたという百田尚樹氏のツイートを思い出しました。

出版社には時の権力者に対してはコメツキバッタのように頭を下げ、札束を思い描いたり数える能力はあっても、将来有望な新人を発掘し、育てようとする意識や、新しいことにチャレンジする能力は今も昔も、そして西洋東洋問わずないということでしょうかね。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

眠れぬ真珠 (新潮文庫) 石田衣良

いや~、まったくものすごいメロドラマでした。メロドラマってのが当たっているかは置いて、45歳の独身女性(不倫相手あり)と27歳の将来有望な映画監督の卵とのとろけるような恋愛ドラマです。文庫の解説に小池真理子氏が絶賛しながら書いているところなんかみてもやっぱりメロドラマですよ、これは。

出だしはこんな感じです。「北の空に開いた天窓を見あげた。星はない。夜空より一段暗い雲の影もない。濃紺のガラスを薄く切りだして、ななめにはめこんだ平面の空だった。仕事と少々のラブアフェア以外なにもない自分のような退屈な空だ。」

登場人物は、主人公の中年女性は自立している版画作家で、身よりはなく親が残してくれた逗子の家で1人住まい。主人公の不倫相手は銀座で雇われ画廊店主をやっています。この不倫相手の男が一見ちゃらんぽらんで嫌なヤツかと思いきや、なかなかいい味を出しています。

その不倫相手には主人公以外にももうひとり若い愛人がいて、それが小説にはいまや不可欠の要素となってきた感のある精神異常者。それにもう1人、主人公が年齢差を越えて恋をしてしまうのが、映画制作でトラブルがあり、今は逗子のカフェでウエーターとして働いている、いつも困ったような顔をしている若い男性。大まかにこの4人で物語は進行していきます(その他に脇役は何人もいますが)。

初出は2006年(文庫は2008年)で、以前にテレビドラマ化された作品「美丘」とほぼ同時期に書かれた作品です。

解説で小池真理子氏も書いていますが「男性作家は女性心理を、女性作家は男性心理を見事に書くことを要求される」を実践し、45歳で肉体の衰えを気にしながら、また更年期障害にも悩まされつつ、中年男性と若い男性の間で揺れ動く女性心理を見事に描ききっています。世の女性なら一度はこういう恋もしてみたいだろうなと、中年オヤジの私が勝手に想像するのは反論など恐れず自由でしょう。

仕事や恋愛で日々の生活に疲れ切った独り身の女性にとって、この小説は一時とはいえ鬱憤を晴らす清涼剤として役に立つのではないかなと想像しています。50過ぎの平凡な毎日を淡々と過ごしているオッサンが読むにはちょっと刺激が強くてキツかったです。

著者別読書感想(石田衣良)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

王国記 ブエナ・ビスタ 花村萬月

花村氏の小説は過去に「笑う山崎」や「セラフィムの夜」「ゲルマニウムの夜」などを読みましたが、中でも自伝的小説の百万遍シリーズ「百万遍 青の時代」「百万遍 古都恋情」「百万遍―流転旋転」は自身の生々しい体験が詰まっているようで、きわどい描写もあちこちにありますがエンタメ小説として傑作と言える作品です。

著者の花村萬月氏は1955年生まれと言うことで私とほぼ同年代ですが、複雑な家庭で育ち、小学校から全寮制の福祉施設におくられ、高校は3日で退学という変わった過去の持ち主です。その著者も今や作家として大成功を収め、京都の花園大学で客員教授を務めるなど名士と言ってもいいでしょう。

この「王国記 ブエナ・ビスタ」は1999年に単行本が発刊されています。1998年に出版された芥川賞受賞作品「ゲルマニウムの夜」の続編にあたるもので、著者の子供の頃に入園していた福祉施設が舞台となっています。「ブエナ・ビスタ」と「刈生の春」の2編が収録されています。

「ゲルマニウムの夜」では福祉施設から逃げだし、人を殺してしまうことになり、その後、警察の手が届かないカトリック系の救護院へと舞い戻ってきてからも、神への冒涜をし続ける生活が綴られています。内容的には「ゲルマニウムの夜」ほど刺激的でも活動的でもありません。どちらかと言えば、少し落ち着いて、福祉施設の中で精神社会に対する反発を身体の内に貯め込んでいた一時期だったのかもしれません。

著者別読書感想(花村萬月)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

心に龍をちりばめて (新潮文庫) 白石一文

2010年に「ほかならぬ人へ」で父親の白石一郎氏と同様、直木賞作家となった著者の2007年の作品です。

この著者の作品も女性を主人公とした作品が割と多いのですが、先に読んだ石田衣良著の「眠れぬ真珠」と同様に、中年に足を踏み入れた独身の美しい女性が主人公です。

2006~2007年頃というより、そうした設定は、ハーレクイーンズシリーズのように、現代においては女性の読者層にウケがいい永遠のあこがれのテーマなのでしょうかね。 

主人公がまだ2歳の時に目の前で未婚の母親が自殺してしまい、児童養護施設からある福岡の一家に引き取られ養子として育てられます。その後ひとりで東京に出て、フリーのフードライターとして自立しています。

主人公が里帰りをした時に、幼なじみで、子供の頃に親を亡くし似た境遇だった男性とバッタリ出会います。その幼なじみは、背中に龍の入れ墨を持つ元ヤクザで、現在はヤクザ家業から足を洗い、田舎町で焼き鳥チェーン店を経営しています。

主人公の女性には新聞社に勤務する資産家の家系でエリート男性の恋人が東京にいます。

しかしその男性が政治家を目指すことになり、自分が今まで築き上げてきた仕事を捨てることに抵抗があるのと、過去に一度裏切られた経験から「一度裏切った人は二度裏切る」という思いがあり、また男性の両親とは肌が合わないことで悩みます。

恋愛小説とも言える小説ですが、自殺、養子、愛人、麻薬、暴力、ヤクザ、婚約破棄など、ストーリーは結構重く暗い内容です。しかし最後のワンシーンで少しは気が楽になった思いがしました。これだから白石一文氏の小説はやめられないんですよね。

著者別読書感想(白石一文)

【関連リンク】
 8月後半の読書 遠野物語、傍聞き、九月が永遠に続けば、瑠璃を見たひと
 8月前半の読書 MOMENT、星々の舟、パラダイス・ロスト、瓦礫の矜持
 7月後半の読書 氷の華、終わらざる夏(上)(中)(下)

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遠野物語 (集英社文庫) 柳田國男

柳田國男氏は明治8年生まれの民俗学者だった人で、島崎藤村や田山花袋、国木田独歩、南方熊楠などとも交流があり、埋もれてしまいがちな日本の各地に残るスピリチュアリズムを広く紹介した初めての人かも知れません。

その中でもこの「遠野物語」は有名で、岩手県遠野出身の民話蒐集家佐々木喜善氏が語る遠野に伝わる民間伝承を筆記・編集し、1910年に350部余りを自費出版したのが最初です。文庫にはこの「遠野物語」の他、「女の咲顔」「涕泣史談」「雪国の春」「清光館哀史」「木綿以前のこと」「酒の飲みようの変遷」などが収録されています。

内容は天狗、河童、座敷童子など日本の古くから伝わる妖怪にまつわる話しから、山人、マヨヒガ、神隠し、山霊、古くから伝わるしきたりなど多岐に渡り、極めて短い簡潔な文章で全部で119話あります。ただ119話といっても1話で完結するものばかりではなく、2話、3話でひとつの話しとなっているものもあり、読んでいるとどこまでが前の話と関わっているのか、全然関係ない話しなのかわからないときがあります。

もちろん今でも文庫として販売されていますが、すでに著作権は切れていますので、青空文庫で無料で読むことも可能です。

「遠野物語」の一部を大胆に引用してみましょう。

一七
旧家にはザシキワラシという神の住みたもう家少なからず。この神は多くは十二三ばかりの童児なり。おりおり人に姿を見することあり。
土淵村大字飯豊の今淵勘十郎という人の家にては、近きころ高等女学校にいる娘の休暇にて帰りてありしが、或る日廊下にてはたとザシキワラシに行き逢い大いに驚きしことあり。
これは正しく男の児なりき。同じ村山口なる佐々木氏にては、母人ひとり縫物しておりしに、次の間にて紙のがさがさという音あり。
この室は家の主人の部屋にて、その時は東京に行き不在の折なれば、怪しと思いて板戸を開き見るに何の影もなし。しばらくの間坐りて居ればやがてまた頻《しきり》に鼻を鳴らす音あり。さては座敷ワラシなりけりと思えり。この家にも座敷ワラシ住めりということ、久しき以前よりの沙汰なりき。この神の宿りたもう家は富貴自在なりということなり。

三一
遠野郷の民家の子女にして、異人にさらわれて行く者年々多くあり。ことに女に多しとなり。

三二
千晩ヶ岳は山中に沼あり。この谷は物すごく腥《なまぐさ》き臭のするところにて、この山に入り帰りたる者はまことに少なし。昔何の隼人という猟師あり。その子孫今もあり。白き鹿を見てこれを追いこの谷に千晩こもりたれば山の名とす。その白鹿撃たれて遁げ、次の山まで行きて片肢折れたり。その山を今片羽山という。さてまた前なる山へきてついに死したり。その地を死助という。死助権現とて祀れるはこの白鹿なりという。

五七
川の岸の砂の上には川童の足跡というものを見ること決して珍しからず。雨の日の翌日などはことにこの事あり。猿の足と同じく親指は離れて人間の手の跡に似たり。長さは三寸に足らず。指先のあとは人ののように明らかには見えずという。

八四
佐々木氏の祖父は七十ばかりにて三四年前に亡くなりし人なり。この人の青年のころといえば、嘉永の頃なるべきか。海岸の地には西洋人あまた来住してありき。釜石にも山田にも西洋館あり。船越の半島の突端にも西洋人の住みしことあり。耶蘇教は密々に行われ、遠野郷にてもこれを奉じて磔になりたる者あり。浜に行きたる人の話に、異人はよく抱き合いては嘗め合う者なりなどいうことを、今でも話にする老人あり。海岸地方には合の子なかなか多かりしということなり。

九十
松崎村に天狗森という山あり。その麓なる桑畠にて村の若者何某という者、働きていたりしに、頻《しきり》に睡くなりたれば、しばらく畠の畔に腰掛けて居眠りせんとせしに、きわめて大なる男の顔は真赤なるが出で来たれり。若者は気軽にて平生相撲などの好きなる男なれば、この見馴れぬ大男が立ちはだかりて上より見下すようなるを面悪く思い、思わず立ち上りてお前はどこから来たかと問うに、何の答えもせざれば、一つ突き飛ばしてやらんと思い、力自慢のまま飛びかかり手を掛けたりと思うや否や、かえりて自分の方が飛ばされて気を失いたり。夕方に正気づきてみれば無論その大男はおらず。家に帰りてのち人にこの事を話したり。その秋のことなり。早池峯の腰へ村人大勢とともに馬を曳きて萩を苅りに行き、さて帰らんとするころになりてこの男のみ姿見えず。一同驚きて尋ねたれば、深き谷の奥にて手も足も一つ一つ抜き取られて死していたりという。今より二三十年前のことにて、この時の事をよく知れる老人今も存在せり。天狗森には天狗多くいるということは昔より人の知るところなり。

一〇三
小正月の夜、または小正月ならずとも冬の満月の夜は、雪女が出でて遊ぶともいう。童子をあまた引き連れてくるといえり。里の子ども冬は近辺の丘に行き、橇遊《そりっこあそ》びをして面白さのあまり夜になることあり。十五日の夜に限り、雪女が出るから早く帰れと戒めらるるは常のことなり。されど雪女を見たりという者は少なし。


一七は座敷童
三一は山男
三二は山の霊
五七は河童(カッパ)
九十は天狗
一〇三は雪女

とまぁこのような内容が訥々と書かれています。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

傍聞き《かたえぎき》 (双葉文庫) 長岡弘樹

「迷走」「傍聞き」「899」「迷い箱」の各短編小説を集めた作品です。どの作品もピリッとひと味もふた味も効いていてなかなかのショートストーリーに仕上がっています。うまいですねぇ。

「迷走」は逆恨みによって刺された検事を病院へ運ぶ途中、救急隊員が、なぜか病院へ搬送するのではなく、その周囲の道を迷走させた理由とは?「傍聞き」とは「かたわらにいて、人の会話を聞くともなしに聞くこと」の意ですが、その手法を使うと、話しが例え嘘でも真実味を帯びて聞こえることをうまく利用したトリックです。

「899」は近所のアパートに住む女性に恋する消防士が、その女性部屋で消火活動をするときの心理状態と意外な行動を。「迷い箱」は受刑者が社会復帰するまでの更生保護施設の施設長の女性と、そこを退寮していった元受刑者の気持ちを描いた作品となっています。

各編主人公は救急隊員、女性刑事、消防士、更生保護士と公務を職業とする人達ですが、これらの小説には多くと言うかほとんどの小説に登場してくる便利な精神異常者などは出てこず、なにげない日常に起きているテーマでうまくショートストーリーにまとめてあります。

そうしたショートストーリーでは、古くはサキの「サキ短編集」や、「賢者の贈り物」や「最後の一枚の葉」などを書いたO・ヘンリ短編集、比較的最近ではジェフリー・アーチャーの「十二の意外な結末」や「十二枚のだまし絵」などが秀逸な短編集です。

この著者の作品は今回始めて読みましたが、今後もチェックしていきたいと思います。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

九月が永遠に続けば (新潮文庫) 沼田まほかる

著者沼田まほかる氏(65歳)の経歴は変わっていて、団塊世代の女性らしく早く結婚するものの、やがて離婚、得度して僧侶になったかと思えば、建設コンサルタント会社の経営をし倒産。その後57歳で出したこのデビュー作「九月が永遠に続けば」が、道尾秀介氏「背の眼」に勝ってホラーサスペンス大賞を受賞するという快挙を得ました。

ストーリーはある事情で離婚した女性が主人公で、その主人公の高校生の息子がある日、神隠しにでもあったように忽然と行方を消してしまいます。その消えた長男を探し出す物語となっています。

主人公は別れた元夫が再婚した女性の連れ子と交際している男性と知り合い、やがて深くつき合うようになりますが、その男性が事故か事件か不明ながら駅のホームから転落して死亡します。それが長男の行方不明とタイミングが同じだったので、息子がなにかの事情でその男を突き飛ばして殺したのではないかと疑い始めます。

この小説でも、レイプ事件の被害者や、近親相姦に悩む姿など現代の精神的病巣についての話題が登場してきます。先日読んだ直木賞受賞作品、村山由佳氏の「星々の舟」でもそうでしたが、女性作家はこうした創作設定を比較的軽く扱い過ぎてヘキヘキしないでもないです。もちろん女性作家だけでなく売れっ子の東野圭吾氏の「白夜行」などでも、主人公の敵が次々とレイプされる設定などもありますから、女性作家特有のものではないのでしょうけど、なにか軽薄すぎて嫌な感じがします。

最近のミステリー小説、特にホラーというジャンルでは精神異常者やレイプ犯罪、幼いときの虐待の心的外傷後ストレス障害(PTSD)などが、お約束のように必須となっているとはいえ、そういうものに頼らない本格的なミステリー小説はないものかなと心待ちにしているところです。

この文庫の解説を読むと「登場人物はみなどこにでもいる普通の善良な人」と書いてありましたが、善良はともかく、子どもの頃から何度もレイプされたり、大人になってからもその時と同じような設定でしか夫婦の営みがもてないなんて普通の善良な人々ではないでしょう。

あと、主人公を支える近所の関西弁男が女性の恋愛心理を表すのに「遠野物語」から引用していてびっくり。しかし出ていたその内容「村の娘が栃の木に恋してしまい、舟を造るために伐採された木を追いかけて一緒に滝壺へ・・・」というお話し、同時に読んでいた「遠野物語」にはなく、似たような話しで「飼っていた馬に恋し、やがてその馬と結婚した娘さん」の話しはあったけどなぁと思って調べてみたところ、「遠野物語」の続編にあたる「遠野物語拾遺」にその引用された話しが出ていました。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

瑠璃を見たひと (角川文庫) 伊集院静

この作品は1992年に初出ということで、同年に直木賞を受賞した「受け月」の前後に書かれたものと推察がされます。また同年には篠ひろ子と再婚し(最初の妻夏目雅子さんは1985年に死去)、同氏にとっては絶頂と言える時期だったかもしれません。

主人公は神戸の名門資産家に嫁いだものの、満たされぬ思いを感じてある日突然夫を捨てて出奔します。そして亡き父親の遺言にあった「なにか困ったことが起きたときにここへ電話をしなさい」というの実行します。

そこには父親と若くして亡くなった母親の知人で、謎の中国人女性が待っていて、何も聞かずに住む場所や仕事を提供してくれます。そしてその女性に頼まれ、それを対で持つと富と権力が手に入るという伝説の彫刻を探しに香港、フランス、ベルギーへと旅立つことになります。

そこまでもなにかあり得そうもない不思議なストーリーですが、ここから後半にはいるとさらに中国マフィア、ナチの残党、囚われの身となったままでシルクロードへの旅、ジンギスカンに滅ぼされた西夏文明の遺跡と、奇想天外、斬新奇抜、空前絶後、荒唐無稽な話しがジェットコースターのように進んでいきます。ちょっと待ってくださいよねぇ、と言ったところです。

本のタイトルにもなっている瑠璃色とは「やや紫みを帯びた鮮やかな青」ということで、このストーリーでは探し求めるタオティエという彫刻に使われている翡翠の色と、北京の西千キロほどにあった西夏の都の遺跡に残る伝説の瑠璃色に光る湖などを現しているものと思われますが、読む前はもうちょっとロマンティックな物語を想像していました。

この小説の中には日本人はほとんど登場せず、主人公を含め日本に住む中国系、または華僑など外国に渡った人、元ベトナム難民などアジア系の人達ばかりです。悪役で日系ドイツ人などは出てきますが、ちょっと毛色の変わった登場人物ばかりでそこのところは面白く読むことができました。

著者別読書感想(伊集院静)


【関連リンク】
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