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光圀伝 (角川文庫)(上)(下) 冲方 丁

2012年に単行本、2015年に文庫化された、水戸黄門様として有名な徳川光圀(1628年~1700年)の伝記風歴史小説です。

著者の作品は、過去に「天地明察」(2009年)、「マルドゥック・スクランブル」(2003年)を読んでいます。本書のような歴史物から、SFまで幅が広い作家さんです。

なんでも地元水戸市では、観光振興や話題作りのため、この作品を原作とした大河ドラマの制作をNHKに提案しているのだとか。

但し、民放で制作される勧善懲悪の好好爺の水戸黄門様と違い、夜な夜な屋敷を抜け出し、頻繁に吉原通いをし、酔った勢いで将軍からもらった刀で無宿人相手に試し斬りをする、侍女に手を出してはらませたりと、それが通用した時代と若気の至りとは言え、そのイメージの落差に眉をひそめる人も多そうで、そういうことを考えると大河ドラマでは実現しそうもありません。

そうしたやんちゃな若いときに、老成した宮本武蔵や沢庵和尚と出会って、武蔵に漢詩を褒めてもらうシーンなどは著者の創造力を堪能できる小説の醍醐味です。

上記に書いたように、光圀は若いときには無鉄砲な若者でしたが、やがて妻をめとり、本来は水戸徳川家の光圀の後を継ぐべきだった兄の長子を後継に据えることで、義を果たしたいと新妻に頼みます。

また明暦の大火で、多くの重要な歴史史料が焼けてしまったことを憂い、才ある妻とともに修史事業に邁進していくことで、後世に名を残すことになります。

知らなかったのですが、水戸、尾張、紀州の徳川御三家の当主とその世子(跡継ぎ)は、それぞれの領地(水戸、名古屋、和歌山)に住まうのではなく、常に江戸に住まうというのが当時のしきたりだったということ。

数年ごとの参勤交代でかかる多額の経費は不要だった代わりに、将軍の許可がないと滅多なことでは地元に帰れず、不自由なことも多かったでしょう。

したがって、三男として生まれた光圀ですが、兄は幼児の時に病死したり、病弱だったことから、当主(父親の徳川頼房)から世子を命ぜられ、それ以降の人生のほとんどは江戸住まいとなります。

若いときから、常に死に別れが身近につきまとい、正妻にいたっては5年しか連れ添っていなかったり、兄から預かった世継ぎの養子もすぐに病死、若いときに意気投合して親友となった儒教家も若くして亡くなったりと、ツキがない人です。

この小説では、引退前の光圀がどういう人生を送ってきたのか、なぜその時代の大名として今でも語り継がれるようになったのかなど、フィクションの小説とは言え、知らないことが多く面白かったです。

★★★

著者別読書感想(冲方丁)

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たんぽぽ団地のひみつ (新潮文庫) 重松清

2015年に単行本「たんぽぽ団地」、2018年に改題されて文庫化された、著者のお得意の高度成長期に建てられた団地を舞台とする長編小説です。

著者の作品は、社会問題を鋭く捉えた作品から、ほのぼのとする小説まで様々で、2000年頃からボチボチ買って読んできました。

調べると過去16作品(冊数では19冊)を読みましたが、年間5冊以上も上梓される売れっ子多作作家さんゆえ、全然追いついていません。一番最近読んだのが2018年に読んだ「ファミレス(上)(下)」(文庫版2016年刊)で、こうして振り返ると著者の作品を読むのは1年に1話ペースです。今年はもう少し増やそうと思います。

ストーリーは、小説やドラマによくある時空もので、1960年代に次々建てられたニュータウン団地、そこで生まれ育ち生活してきた子供達が、やがて大きくなった時に、忘れ去られ、取り壊されていくそれらの団地の想い出を回想するというもの。

1960年代を象徴するツールとして出てくる「ガリ版」は、私の年代では小学生時代に実際よく使っていたもので、つい最近、松本市にある国宝「旧開智学校」の中にそれが展示されていたのを見て、懐かしさひとしおでした。

思い出すのは小学校の上級生になった頃には、それまでのガリ版印刷から、画期的なコピー機が導入され、ちょうどその両方を経験したことを思い出します。最初に使ったコピー機は感光紙を使った湿式タイプで、1枚単価がやたらと高価なもの(と先生に言われた)でした。

小学生を主人公として、やんわりとした中に、懐かしさと人の温かさなどが伝わってくる良い作品でした。

★★☆

著者別読書感想(重松清)

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涙香迷宮 (講談社文庫) 竹本健治

2016年に単行本、2018年に文庫化された長編小説です。この著者の作品を読むのは今回が初めてです。

小説のタイトルにもなっている「涙香」とは、実際に明治から大正時代にかけて新聞業界等で活躍した「黒岩涙香(本名:黒岩周六)」のことで、この人物が書き残したとされる詩文をめぐるミステリーがテーマです。

正直、この「黒岩涙香」という人物のことは初めて知りました。Wikipediaによると「日本の小説家、思想家、作家、翻訳家、ジャーナリスト。翻訳家、作家、記者として活動し、『萬朝報(よろずちょうほう)』を創刊した。」とありますが、その多くは古い文体で書かれた翻訳本であまり馴染みがないと言うことでしょう(現代訳のものもあるでしょうけど)。

Amazonで検索すると「幽霊塔」や「鉄仮面」「巌窟王」など、多くの名著の翻訳本が普通に並んでいます。その訳本自体を読んだことはありませんが、子供の頃に漫画や絵本になったものは見たり読んだことはあります。

残されたミステリーを解くのは、主人公であり、囲碁のタイトルを総なめにしているプロ棋士の牧場智久という設定です。この牧場智久を主人公とした作品は他にも何冊かあるようです。

主人公が関わるきっかけは、囲碁の途中に殺されたと思われる事件が起きた時、たまたま刑事と一緒にいたことからですが、それと並行して、囲碁や連珠にも造詣が深かった涙香が残した茨城にある別荘というか荒れた隠れ家の中を調査しようと同好の士達が集まることになり、それに参加します。

隠れ家の各部屋に書かれていた「いろは文」(いろはの48字を使い、かなを重複させず、意味が通るように作られた誦文で七五調(色は匂へど 散りぬるを/我が世誰ぞ 常ならむ/・・など)の中に秘められた謎を解こうとします。

そしてその隠れ家の中で毒殺事件が起きます。しかも台風の影響で、すぐには警察や救急車も近づけず、世間と隔離された山の中の隠れ家です。

その殺人事件の犯人捜しと、涙香が作ったとされる「いろは文」に隠された謎とを解いていくという流れですが、そのために著者は48種以上の「いろは文」を作成せざるを得なく、そのたいへんな苦労が忍ばれます。

事件としてのミステリーはやや平凡な気もしますが、上記のように涙香が考えた(とする)誦文など、なかなか手間のかかった力作であると同時に、半ば埋もれてしまた黒岩涙香という超絶多才な人物を掘り起こしたということで、よい作品だと思います。


★★☆

 ∟ ∟ ∟ ∟ ∟ ∟ ∟ ∟ ∟ ∟ ∟ ∟

高熱隧道 (新潮文庫) 吉村昭

1967年に単行本として発刊されたノンフィクション小説です。完全なノンフィクションではないのは、登場する人物や企業が、それぞれモデルはあるものの、実際の名称からは変えていたりするからです。

戦前の1936年に着工した黒部川第三発電所(仙人谷ダム)を建設するため、その工事資材を運び込むためのトロッコを走らせるトンネル軌道工事が小説のメインとなっています。

時は、第二次世界大戦前の世界中がきな臭くなっていた頃、関西の軍需工場へ電力を供給する必要があり、国家的事業として、建設会社が地元の漁師でも立ち入らないという難攻不落な道を切り開いていく実話を元にしています。

また一般的に黒部ダムというと馴染みが深いのは、映画「黒部の太陽」で有名な黒部第4ダムで、こちらは戦後に建設されたもので、この小説の話しとは違います。

小説のタイトルになっている通り、このトンネルを掘削していく途中で、異常なほど高温の熱水帯にぶつかり、勢いよく熱湯があふれ出てきて工事は難航を極めます。その温度は100度を軽く超えるという凄まじいものです。

現代のようにシールドマシンがあるわけでなく、人力で岩盤に穴をあけ、その中にダイナマイトを詰めて爆破していくという工法でトンネルを掘削していきます。そしてダイナマイトがトンネル内の熱で自然発火してしまい暴発するなどして多くの犠牲が伴います。

そうした難工事の上、厳しい冬には大きな雪崩(泡雪崩)で鉄筋の宿舎が吹き飛ぶなどして、このトンネル工事だけでも300名を越える犠牲者を出します。

請け負った建設会社の工事監督や現場土木技師は、計画を立て、工事の方法を考え、命令する立場ですが、当然ながら灼熱のトンネル内で身を削りながら作業をするのも、ダイナマイトの誤爆で吹き飛ばされるのも、突貫工事のため現場宿舎に泊まり雪崩に巻き込まれるのも、岩を満載したトロッコが暴走して押しつぶされるのも人夫達です。

そうしたことから、命令を下す側と、お金のためとはいえ、次々と仲間が死んでいく人夫側とで、次第に不穏な空気が流れ出します。

トンネルが完成した時、普通は「黒部の太陽」でもそうだったように、関わったみんなが肩を抱き合い、うれしさで感動するところ、この小説のラストでは、人夫のリーダー役の人夫頭の助言で、監督や現場土木技師達は、誰にも告げず、そっと静かにその現場から逃げ去るように去って行くところが、この工事が只者ではなかったことを象徴しています。

★★★

著者別読書感想(吉村昭)

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