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NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」も佳境に入り、いよいよ最終回は関ヶ原の戦いへと突入します。

関ヶ原の戦いと言えば、一般的には、「徳川」対「豊臣(石田三成)」の戦いという図式がよく使われますが、本当のところは家康も光成もこの時点では二人とも豊臣家の一家臣であり、秀吉亡き後、誰がリーダーになるかという身内の争いです。

織田信長が本能寺で襲われ自害した後、共に信長の家臣だった明智光秀と豊臣秀吉が、どちらがその後を継いで天下を取るかで、山崎天王山で闘ったのと同じと言っていいでしょう。

「徳川」対「豊臣」という構図は、関ヶ原の合戦の15年後に起きた「大阪の陣」(1614~15年)のことで、徳川家康とその子秀忠が、大阪城を攻撃し、豊臣秀吉の子豊臣秀頼を自害に追い込み、豊臣家を滅亡させたことを言います。

さて歴史好きでない人でも、また関ヶ原ってどこ?っていう人も、過去に「関ヶ原の戦い」があったことぐらいは、小学校か中学校で教わっていると思います。

その関ヶ原にちょっと行く機会があったので、あらためて「関ヶ原の戦い」について極めて簡単にまとめておきます。

JR関ヶ原駅




【プロローグ】
西暦1590年豊臣秀吉が天下統一を果たしたものの、その晩年のおこないは各地の大名達には不満が残るものでした。

跡継ぎを期待された側室淀殿(織田信長の妹お市の長女で茶々)との子秀頼は、秀吉が亡くなった1598年(慶長3年)は6歳という年齢で、全国の大名や武将達を束ねられる力はありません。

秀吉の死後、後を託された有力家臣団の五大老(徳川家康、前田利家、宇喜多秀家、上杉景勝、毛利輝元)と五奉行(前田玄以、浅野長政、増田長盛、石田三成、長束正家)の中から、筆頭の徳川家康が他の重鎮達の意見を無視して、独自の振る舞いをおこなうようになります。

それを苦々しく思っている石田三成始め、反徳川の大名(毛利、宇喜多、上杉)や武将達もいました。

豊臣時代に主として軍務を担っていた武断派は徳川派というか、官僚然とした石田光成を嫌い、それに対し豊臣政権を支え政務を担ってきた石田光成、大谷吉継、小西行長などが文治派と呼ばれています。

やがてはこの武断派と文治派の勢力が険悪な関係になっていきます。現代企業でも技術派と営業派の対立や、製造と販売の対立が起きてどちらが社長の座を取るかで体制がガラリと変わることがあります。

そして石田三成襲撃事件や、徳川家康暗殺未遂事件などが起き、両勢力の間に、きな臭い動きや策謀が渦巻いています。この二つの勢力の間に入って仲裁をしていた五大老のひとりで重鎮の前田利家が1599年に病死したことで一気に関係が悪化します。

徳川家康に謹慎を言い渡されていた石田三成は、東北で勢いを増していた上杉景勝と手を組み、徳川家康を東北へおびき出し、その隙に五大老のひとり毛利輝元(長州)を前面に立て、徳川家康を討とうと考えます。

そして石田三成は徳川家康と共に東北の上杉征伐へ出掛けていった各大名や武将の家族を大坂に集めて人質にとり、自分に味方するようにし向け、同時に大坂や京都で留守役をしていた徳川派陣営へ攻撃を始めます。このとき人質になるのを善とせず自殺したのが徳川派についた細川忠興の正室細川ガラシャです。

【決戦】
東北で大きな勢力を持ち、徳川家康とは仲が悪い上杉景勝や常陸の佐竹義宣、西で大きな勢力を持っている大名毛利輝元、宇喜多秀家、小早川秀秋、島津義弘などをまとめあげ、豊臣家をないがしろにする徳川家康を東西から挟み撃ちにすれば勝てると踏んだ石田三成は前述の人質作戦など、様々な策謀を配し、徳川が東北遠征から反転し大阪へ戻ってくるところを仲間とともに討つ作戦です。

但し西軍の総大将を押しつけられた毛利輝元は、この作戦に躊躇があったのか大阪城に残り、関ヶ原には参戦していません。

対する徳川家康も、石田三成が近々自分に反旗を翻すことは織り込み済みで、石田三成を嫌う武将達や褒美を餌にし、各地で味方に取り込み「西の毛利・石田連合軍」対「東の徳川連合軍」が、亡き豊臣秀吉の後の世の中をどう作るかを決める天下分け目の決戦がいよいよ近づいていました。

石田三成率いる西軍が集結して陣を構えたのが岐阜県大垣市にある大垣城とその周辺、東軍は東北や江戸から反転して戻り、いったんは名古屋の清洲城周辺に終結します。

そして決戦の場所として選ばれたのが西軍が陣を張る大垣城の近く、小高い山々に囲まれた狭い窪地の関ヶ原です。

ここは江戸や信州、三河などから京都や大阪へ向かう要衝の地で、西軍としては待ちかまえるには最良の場所です。今の場所で言えば東海道新幹線の岐阜羽島駅と米原駅の中間点に当たります。

◇東軍徳川家康についた主な大名、奉行と当時の領地
浅野幸長(紀伊)、福島正則(尾張、安芸)、細川忠興(丹後、豊前、肥後)、、黒田長政(筑前)、池田輝政(美濃)、井伊直政(上野)、松平忠吉(駿河、武蔵)、加藤嘉明(伊予)、田中吉政(三河)、京極高知(丹後)、筒井定次(伊賀)、藤堂高虎(紀伊、伊予)、蜂須賀(阿波)、本多忠勝(上総、伊勢桑名)など

◆西軍毛利輝元(石田三成)に付いた主な大名、奉行と当時の領地
宇喜多秀家(備前)、毛利秀元(長門長府)、長宗我部盛親(土佐)、石田三成(近江)、小西行長(肥後)、島津義弘(薩摩)、安国寺恵瓊(安芸)、織田秀信(岐阜)、長束正家(近江)、木下頼継(越前)、大谷吉継(越前)など

▼当初は毛利輝元側(石田三成側)についたが寝返って徳川についた大名、奉行と当時の領地
小早川秀秋(筑前)、吉川広家(出雲、安芸)、朽木元綱(伊勢安濃)、小川祐忠(伊予今治)、脇坂安治(大和、淡路)

そしてついに西暦1600年10月21日(旧暦慶長5年9月15日)、霧が立ちこめる早朝、関ヶ原周辺に陣を構えた東西本隊合わせて約16万の兵士が対峙します。

開戦の場所


双方の主力隊合計の兵員数はおよそ8万人ずつで、当初の戦力は互角です。地形を上手く利用した布陣を敷く西軍に対し、複数の部隊が連携し合い戦略に優る東軍という構図です。

東軍の主力徳川本隊は、家康率いる東海道経由部隊と、家康の子秀忠率いる中山道経由部隊に分かれて岐阜へ向かったものの、中山道経由の部隊が西軍についた真田昌幸率いる信州上田城攻めで翻弄され、それに時間を費やした結果、関ヶ原の戦いには間に合いませんでした。もし予定通りに到着していれば兵力は東軍が上回るはずでした。

決戦の火ぶたは東軍の福島正則(兵力6千名)対西軍の宇喜多秀家(兵力1万7千名)の先陣で切られました。

両軍入り乱れて壮絶な戦闘を繰り広げます。このとき兵器の主力は鉄砲と弓、槍、刀で、一部では新兵器の大砲も使われました。

開戦直後は石田光成率いる西軍が地勢の有利さから優勢であったものの、東軍の徳川勢と内通していた吉川広家や、西軍兵力の約2割を占めていた小早川秀秋(兵力1万5千名)の寝返りが起き、それに呼応するかのように西軍として参戦に躊躇っていた大名や武将も雪なだれのように東軍徳川側につき、戦局は一転して東軍優勢となります。

歴史に「もし」はないですが、小早川氏や吉川氏が寝返りをせず、西軍として戦っていれば、西軍が勝利を収め、徳川家康の天下はなく、したがって、日本の首都は今でも大阪という事になっていたかも知れません。

しかし実際は、味方と思っていた勢力の相次ぐ裏切りで、石田三成などの西軍は混乱し退却をしはじめ、中には包囲した東軍陣地の中央を突破して退却する「島津の退き口」と言われる奇跡的な離脱劇なども展開され、戦いの趨勢はわずか半日でついてしまいます。

決戦の場所


笹岡山石田三成陣から関ヶ原全景を望む


関ヶ原には首塚と呼ばれるところが何カ所かあり、その所以は、兵士が討ち取ってきた敵方の大将や武将と思われる首(顔)を集め、そこで記録を付けその後葬った場所です。持ってきた首の重要度に応じて報奨金が与えられ、浪人の場合だと仕官が許されたりします。

後の剣豪宮本武蔵も若いときにこの関ヶ原の戦いで一旗揚げようと西軍の足軽に加わり戦いましたが、多勢に無勢、負け戦となり這々の体で逃げ帰りました。

戦死者はこの狭い関ヶ原だけで、双方合わせて3万人とも4万人とも言われています。戦国時代とはいえ、1日の合戦でこれほど多くの血が流れた激しい戦闘は、後にの徳川対豊臣の最終決戦「大坂夏の陣」の「天王寺・岡山の戦い」以外にはなかったでしょう。

徳川家康最後陣


ちなみに当時1600年頃の日本の人口は今の1/10の1200万人ぐらいでした。そう考えると、今の日本の人口で換算すれば1日の戦闘で30~40万人が死ぬのと同じインパクトがあったということです。

【エピローグ】
敗走し生き延びた西軍の有力者だった石田三成、小西行長、僧侶安国寺恵瓊は後に東軍に捕えられ、京都で斬首されます。

石田光成にそそのかされ、みこしに乗せられたとはいえ西軍総大将だった毛利輝元は、直接関ヶ原には参戦せず大阪城に引きこもっていましたが、そのおかげで領地(長門、安芸)を大幅に減封の上、出家することでなんとか死罪は免れます。

また敵中突破して薩摩まで飛ぶように逃げ帰った島津義弘は粘りの交渉で、領土安堵のまま許されます。

薩摩に匿われていた西軍の主力部隊を率いていた宇喜多秀家は八丈島へ流罪、関ヶ原ではなく東北で反徳川の立場を取っていた上杉景勝は減封(領地の一部を取り上げられる)で済み、石田三成と懇意だった常陸の佐竹義宣は上杉氏よりも厳しい減転封(領地を変更して減らされる)となっています。

西軍につき、東軍の徳川勢に敗れて散々な目にあった長州の毛利と薩摩の島津の徳川に対する深い恨みは、その260年後に徳川時代に終わりを告げる江戸幕府倒幕で主導的な役割を担います。時代は巡る、因果応報とはよく言ったものです。

関ヶ原の戦いは「勝てば官軍」ということもあり、ドラマや映画では「東軍の徳川が善」で、「西軍の石田三成が悪」という描かれ方がされます。

しかし実際のところは双方ともに大義があると同時に、野心や過去からの因縁なども混ざり合い、東西陣営どちらが善と悪という戦いではありません。

ということで、この関ヶ原の戦いこそが、その後二百数十年間に渡り栄華を極めることになる徳川・江戸時代の幕開けだったという歴史のお話しでした。


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録画しておいた古い映画「浮草」を見ました。

この映画は1959年に制作され上映された小津安二郎監督の作品ですが、元々は同じ小津安二郎が戦前の1934年に監督した「浮草物語」のリメーク版で、多くの名作を作ってきた小津監督の晩年の作品となります。

小津監督はずっと長くモノクロ映画を撮ってきましたが、この作品はカラー作品(カラーになって3作目)で、ちょうどこの頃からモノクロからカラーへ切り替わっていった時代です。

小津作品ではもっとも評判が高い1953年制作の「東京物語」も先日見ましたが、こちらはモノクロでした。

出演は中村鴈治郎、京マチ子、川口浩、若尾文子(当時26歳)、杉村春子、笠智衆などで、その中の多くの俳優さんはすでに鬼籍入りされています。

小津監督といえば「東京物語」など多くの作品に主演した原節子を抜擢したことが有名ですが、この映画ではあえて使わず、当時の大スター中村鴈治郎や京マチ子、円熟味あふれる杉村春子、それに小津作品には欠かせない笠智衆など、今では考えられない豪華演技派の俳優・女優達の競演です。

ストーリーは、旅芸人一家(劇団)が地方の町にやってきますが、その座長が昔馴染みとしていた飲み屋の女将との間にできた子供が立派に成長し、町の郵便局で働いています。

当時は郵便局勤めといえば公務員でもあり、地方においてはもっとも信頼が置けるいい働き口とされていました。

公演中に座長がいつもこの女将の店に入り浸りしているのを若い妻が怪しみ、嫉妬が高じてその子供を誘惑するように劇団の若い子にお金を渡して頼みます。

すると誘惑するだけのはずが、二人は恋仲となってしまい、仕事も放り出して駆け落ちすることになってしまいます。それと同時に劇団の経営も落ち込み、とうとう一座は解散することになります。

座長と妻の関係は元に戻ったものの、郵便局勤めの男と踊り子だった女の仲は深まり、新たな旅立ちをすることとなり、大きななにかを失ってしまったという喪失感を感じるような終わり方です。

こうした旅回り芸人の大衆演劇は、今ではなかなか見られない特殊なものですが、この映画が作られた1950年代頃までは、レジャーが少ない地方の楽しみのひとつがこうした旅回り劇団の公演でした。演目は「忠臣蔵」「国定忠治」「清水次郎長」が鉄板です。

映画がモノクロからカラーへと変わり、こうした大衆演劇も映画や新しく普及し始めたテレビに取って代わられていく時代の象徴的な物語なのかも知れません。

個人的にはいい子ちゃん役の原節子と、どこにでもありそうな冷ややかな現代の核家族の絆を描いた「東京物語」よりも、廃れていく大衆演劇と、嫉妬や愛に目覚めた男と女を描いたこちらの「浮草」のほうが、楽しめました。

あと映画の場面で、団扇であおぐシーンが繰り返し登場します。男が外から帰ってきて汗を拭き拭きバタバタとあおぐこともあれば、杉村春子演じる女将が、久しぶりに戻ってきた座長にお酒を勧めながら静かにあおぐシーンまで、効果的に使われます。

現代の社会ではどこでもエアコンがあり、こうした団扇であおぐシーンは皆無になってきているので、なおさらそうした小道具的に使われるシーンが印象的に映ります。

座長の若妻を演じるちょっと怖そうな現代的美人の京マチ子が、苛立ちを表現するためかタバコを何度もプカプカとふかすシーンもこの時代ならではで、今同じ事をやるといろんなところから苦情がいっぱい来そうです。

映画といえば、派手なアクションとCGを使った動きが激しく、正義と悪がハッキリしていて、見る人に考える暇を与えないものばかりとなってきましたが、「東京物語」もそうでしたが、普通の人の普通の生活が登場し、些細なことをきっかけに物事が少し動くという、見ながらあれこれ考えさせられる映画をジックリとみるのもいいなぁっていうのが感想です。


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40歳になると急に払わされることになる介護保険は将来必要になる人もいれば、死ぬまで1円も使わない人もいるという性格のもので、将来に渡って介護が必要な高齢者が増えることを見越し2000年から始まりました。

実際に介護保険給付に回される費用の半分は公費(税金)が使われていますが、介護保険開始直後の2000年度は給付総額3.6兆円だったものが、14年後の2014年度には10兆円と約3倍に増加、そして団塊世代が75歳以上になる11年後の2025年度は現在の倍以上の21兆円になると推計されています。

そして40歳以上の国民が支払う介護保険料も、2002年度まで2911円(全国平均)だったものが、2014年度は4972円(同)、2025年度には8200円に上がっていくと推計されています(65歳以上の全国平均支払月額)。

消費税が上がって支出は増える上に、減らされていく年金給付だけで生活する高齢者が、月当たり8200円(平均)も介護保険で支払わなければならないというのは実際に可能なものでしょうかね?

それはともかく、まずここで、介護と言ってもあまりにも内容が深く、範囲が広いので、今後メインとなっていく在宅医療・介護に絞っての話しになります。

というのも、今までのように具合が悪くなればすぐに病院へ行き、そのまま入院したり介護施設に入所するという時代はまもなく終わりを告げて、これからは緊急性のある救急医療以外は、自宅で治療、療養、介護、そして最後の看取りを迎えなければならなくなります。お金持ち以外、いつでも入れる介護施設などありません。

理由は言うまでもなく高齢者人口の急増(=病気・要介護者の急増)と、それに見合うだけの国や自治体が保険金や税金でまかなう医療費や介護費が不足しているからです。

つまり新しい病院や入院施設を作ることや、医療・介護従事者の確保、それに医療が高度化し、高額になった医療費の補助が限界に来ています。

民間事業者にとっても、保険や補助金に頼らなくてもいい一部の富裕層向けの医療や介護を除き、国や自治体の補助金がなければ新たな投資や拡大ができません。なので自宅療養・介護に転換してきているのです。

そこで厚生労働省の市町村職員を対象とするセミナー「在宅医療・介護の推進について」の資料が公開されているのでそれを元に介護の現状と今後の想定などを書いておきます。

とても裕福な高齢者で、ひとりあたり家1軒分以上に相当する数千万~数億円の入所金と、食費も含め月々数十万円の費用を死ぬまでまかなえる裕福な人は、民間の富裕層向け老人ホームや医療付き介護施設に入居することができますが、大半の高齢者は重病患者や一時的な治療はともかく、十数年前までのお年寄りのように病院や療養所に入院し、そこで長期間療養し、病院で最後を迎えるということはほぼできなくなります。

それではその在宅介護のシステム、役所言葉では「地域包括ケアシステム」となっていますが、それは下記の通りの仕組みです。

☆病気になったら:(1)かかりつけ医→手に負えなくなれば(2)地域連携病院
☆介護が必要になったら:訪問介護、訪問看護、短期入所生活介護など
☆生活支援、介護予防:地域包括支援センター、ケアマネージャーがサポート
☆認知症に罹ったら:認知症初期集中支援チーム、認知症地域支援推進員がサポート

つまりすでに満杯状態の「公的な施設や総合病院は頼るな」、機動性のある支援組織とサポートするチームを作るから、「療養・介護はすべて在宅でなんとかしろ」ということです。実体を伴わないうわべだけのチーム、サポート内容でなければいいのですが。

ところで日本全国で一斉にこのような状態になるのかと言うと、ちょっと地域によっては違うかも知れません。

まず今後高齢者が急増する地域はどこなのか?と言えば、都道府県別高齢者人口(65歳以上)2011年→2025年増加数推計からすると下記グラフのようになっています。



よく言われていますが、今後高齢者が増えていくのは都市部が中心で、東京、大阪、神奈川、埼玉、愛知、千葉、北海道、兵庫、福岡などです。

つまりこれらの高齢者が急増する地域に住み続ける限り、公的な病院や老人ホームはもちろん、良心的な民間施設も医療や介護はどこもいつも満員で、需要が供給を大きく上回り、受けられるサービスの質も落ちてくることは確実です。

逆に地方ですでに高齢化率の高い地域であれば、それなりに施設や訪問介護体制ができていて、しかも高齢化率は今以上に上がらない地域もあるので、案外そういうところが狙い目かも知れません。

では地方ならどこでもいいのか?

参考になるのは、現状の都道府県別の人口10万人当たりの在宅療養支援の「診療所」「病院」「訪問看護事業者」です。



10万人当たりの在宅療養支援診療所数は全国平均で10.1です。もっとも多いのは全国平均の倍以上ある長崎の20.9、次が大阪と広島の19.0となっています。

その他多いところでは徳島17.2、島根16.9、佐賀16.0、福岡15.9、岡山15.7、大分15.5、鹿児島15.5。九州が目立ちます。逆に少ないところは富山3.9、千葉4.2、新潟4.7です。



10万人当たりの在宅療養支援病院数は全国平均が0.41に対し、徳島が全国平均の約3倍の1.25とトップ、次が佐賀で1.04、鹿児島0.98と続きます。

その後は、石川0.86、岡山0.72、長崎0.69。少ないのは、栃木県0.05、岩手0.07、静岡0.11、奈良と青森が0.14となっています。



10万人当たりの訪問看護事業所数は全国平均が7.0で、多いところは和歌山11.3、島根10.6、徳島10.4がベスト3。

続いて鹿児島10.3、福井9.7、大分9.6となっています。少ないのは、栃木3.5、埼玉3.6、千葉3.9、茨城4.3、静岡4.4です。

これらをみてわかるのは、すでに高齢化が進んでいる地域では在宅医療関連の診療所、病院、訪問看護などが比較的充実していて、今後高齢者率の伸びは大都市部ほどは高くないので、新たに受け入れる余裕もあるでしょう。

10万人当たりの診療所、病院、看護事業所で高得点の地域は、長崎、徳島、佐賀、大分、鹿児島で、もし今すぐ移住するならこのあたりの地域がいいかもしれません。

一方、現在は平均的な診療所や病院数がある大都市部では、今後急速に高齢化率が高まるにつれ、ある程度は需要に合わせて施設も増えるでしょうけど、高齢者の増加のスピードに、量・質ともとても追いつかず、慢性的に不足し、満足な医療や介護が受けられないという可能性が高くなりそうです。

団塊世代が小学校に入ったとき、生徒の多さで教室が足らず、あちこちでプレハブの仮校舎を急造したことを思い出してください。

これだけ都市部の高齢化が叫ばれていながら、それでも都市部に住む以上、その覚悟はできていると思わざるを得ません。

ならば、都市部で介護難民化する前に、高齢者を比較的余裕がある地方へ送り込む施策はどうなんだ?ってことですが、すでに一部地域で取り組みの例はありますが、これがなかなか難しいようです。

長年住み慣れた家や地域から、友人や知り合いもいない土地への移住は、特に高齢者にとってハードルが高く、「それなら介護なんてなくてもいいから」と現在の住まいから動こうとしないケースが多いのが現実です。

原発事故で汚染された地域に住んでいた高齢者が「それでもまた地元に帰りたい」と言うのと同じでしょう。

現在の住まいが比較的転居しやすい賃貸や公営住宅という環境であってもそうでしょうから、持ち家の人はさらにこの気持ちが強いでしょう。私も自分の親や親戚など高齢者と接してきてその気持ちはよくわかります。

もし真剣に地方移住を進めていこうとするならば、お役所仕事ではなく、民間の高級リゾート業者や成功している海外移住業者の知恵を借り、移住後のイメージから入り、「地方移住はこんなにも素晴らしい!」ということを、医療や介護の充実ぶり、金銭面を含む生活モデル、移住成功例をいくつも散りばめ、持ち家の売却保証や融資までおこなうような徹底した計画と宣伝活動が必要でしょう。

ま、日本という国は過去に南米への移住や北朝鮮への帰国事業などで、国が率先して嘘八百を並べ、棄民政策をとってきたという歴史があるので、国がおこなうことで信用できるか?という心配はありますが、今後このままでは都市部の混乱と退廃が進むことを考えると、なにかしらの手を早めに打たなければなりません。

特に団塊世代は、持ち家率も高く(9割以上?)、今後老朽化した家の補修費や修繕、空き家を考えると様々な懸念があります。また介護にしても、老朽化し、都心から離れた郊外の二世帯が一緒に住むには狭い家には帰りたくないという、子供に頼れない事情もあります。

なので、その家と土地を売却してしまい、そのお金で終の棲家を定期借家契約(死亡するまで使える借家を使える権利)し、友人や知人と一緒、または同じ都会で暮らし、似た価値観や感性を持った高齢者同士を集めたような地域を作って移住するなんてプランがいいかもしれません。

子供に家や土地の財産を残そうと考えると、そうしたことはできませんが、現代では介護を子供がするのではなく、親が自分達でなんとかする時代ですので、そうした親の資産は親がみんな使ってしまうぐらいのことでいいのではないでしょうか。


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875
介護退職 (祥伝社文庫) 楡周平

Cの福音」のようなダークヒーローものから、どこにでもいるサラリーマンが直面する社会の問題を描いた「ラストワンマイル」や「プラチナタウン」のようなビジネスマンものまで幅広くこなす著者ですが、この作品もタイトルをみればすべてがわかってしまう「親の介護」と「それにともなう会社との関係」を描いた現代サラリーマン悲哀物語で、2011年に単行本、2014年9月に文庫化された作品です。

主人公は50を少し回ったばかりの大手家電メーカー管理職で、アメリカへの本格進出を図るべく忙しい毎日をおくるサラリーマン。家には妻と息子の三人家族、自宅マンションのローンがあり、どこにでもある都会の風景です。

そして私立中学校を目指す頭のいい子供、子供の教育に熱心な専業主婦の妻、自分は超大手有優良企業に勤務し、年収は1千万円超えという、公私とも順風満帆な、普通の人にとってはめちゃ羨ましい限りの暮らしぶりです。

しかしその主人公には、秋田の実家でひとり暮しをしている母親がいて、その母親が雪かきの最中に転んで骨折をしたという知らせが飛び込んできます。父親はずっと以前に病気で亡くしています。

この母親の怪我から始まり、主人公とその家族に、様々な試練が訪れることになりますが、考えてみると地方に年老いた親を残して都会で暮らすすべての人にとって他人事ではないストーリーです。

少し前に「仕事と介護の両立という難題」という記事を書きましたが、まさにこの主人公は職場で「介護のため休みたい」とは言えない「隠れ介護」の立場に立たされます。

この主人公の妻は、母親の介護と子供の受験のストレスで倒れてしまい、主人公が母親の介護をするしかなくなります。そして、介護のため会社を休みがちになった主人公に対し、上司が言い放ちます。

「会社は無尽講のような相互扶助を目的とする組織じゃない。与えられた職務を果たすことができないとなれば、誰かにその役割を移さなければならないものだ。そして何より優先されるのは個人じゃない。組織、ひいては会社の利益だ」

「仕事も介護も、どちらも大変だ。一つでも全力を尽くさなければ全うできないものを、君一人でやっていくのは不可能だ。そして仕事には引き継ぐ人間がいるが、介護、ましてや面倒を見るのが親ともなればそうはいかない。このまま無理をして今度は君が倒れたんじゃ、お母さんの面倒は誰が見る。家族はどうなる。状況をよく考えることだ。」

母親と、その介護ストレスで倒れた妻の二人の介護のため、しばしば会社を遅刻したり早退する主人公に対し、上司の正論たる警告がサラリーマンにとってはズシリと重く響くことでしょう。

著者別読書感想(楡周平)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

沈黙の画布 (新潮文庫) 篠田 節子

2007年から2008年にかけて日経新聞夕刊で連載されていた小説で、2009年に「薄暮」として単行本、その後改題されて2012年に文庫化されています。

著者は大学を卒業後、八王子市役所に10数年間勤めていたという作家としては地味で変わり種の方ですが、デビュー後は新人賞など順調に賞を重ね、1997年には「女たちのジハード」で直木賞を得ていますので、元々文才のある優れた方なのでしょう。

主人公は大手の出版社で元々美術雑誌を担当していた中年男性で、廃刊になったために別の編集部へ異動しますが、美術への関心は薄れず、かつて新潟で創作をしていたという無名作家の作品集を手掛けることになります。

絵画の世界は素人には理解できない複雑怪奇な世界で、子弟制度や日展審査の腐敗、売買に関わる闇の世界、著作権など様々な利権や慣習がはびこっています。

そうした中で、絵画で食っていける人の数は、おそらく芸能や音楽で食っていける人よりもずっと少ないはずで、バブルの時でもなければ、大きなスポンサーがついていたり、実家がとても裕福であるとか、特殊な才能以外に恵まれた環境でなければなりません。

そういうことから今後日本で藤田嗣治や横山大観、東山魁夷、平山郁夫と言った世界で認められる大画家はもう出てこないのかも知れません。

この作風からすると、旅とうんちく話しがやたらと多い宮本輝氏の作品を読んでいるような感覚を受けます。

著者の作品は「絹の変容」「弥勒」など4冊ほど読んでいますが、これは日経新聞の連載と言うこともあって、主要読者の男性中高年者向けに少し地味な味付けにしているのかなという感じを受けます。

著者別読書感想(篠田節子)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

東京タワー―オカンとボクと、時々、オトン (新潮文庫) リリー・フランキー

2006年の著書ですが、本屋大賞にも選ばれ、ドラマや映画にもなり、大ヒットしたことはよく覚えています。

天の邪鬼ですが、そうした読む前にあまりにも有名になった本はその時には読みたくないのです。

しばらく経って忘れられてきたことにこそっと読むようにしています。

読み進めると、先日読んだ島田洋七著「佐賀のがばいばあちゃん 」と雰囲気が似ているなぁって思わなくもありません。

有名人の貧乏な子供時代と、破天荒な祖母や母親、父親などを面白おかしく描くことで、小説としての人情噺の出来上がりってヤツです。

著者は1963年生まれということは私よりも6年あとで、子供の頃の描写では、流行や子供の遊びなど、かなり違っているはずなのに、結構似ていたりして驚きです。

調べてみてわかったのは、子供の遊びが大きく変化したのは1983年に発売されたファミコンが出てきて以降からなんですね。

1983年以降に小学生だったという人は、1971年以降の生まれで、現在なら40歳前後の人達にあたります。それまでの小学生の遊びは似たり寄ったりで1970年前後生まれかどうかで分かれるようです。

さて内容は炭坑の街、筑豊での祖母との生活や小倉での母との生活、出ていって滅多に帰ってこない父親との話しなど、子供時代の話しが半分。後の半分は、大分の高校を卒業し、東京へ出て美大に入ってから癌と闘病する母親を東京に呼び、苦心しながらも生活の基盤を作っていく姿などが描かれています。

タイトルにもなっている東京タワーは後半にならないと出てこず、このタイトルはどうなのよ、と思わなくもないですが、主人公のひとりでもある母親が、病棟からジッと眺める東京タワーを象徴的に使いたかったのだろうなぁと。

今では高校と大学で学んできたデザインやイラスト以外にも、音楽家や俳優などでも活躍し、そのいずれもが高い評価を受けているマルチタレントの著者ですが、30歳ぐらいまでの長い極貧生活とちゃらんぽらんな性格は、それでもちゃんと生きていけて、しかもチャンスをものにして才能が開花するんだと元気をもらうことができます。

どこまでが真実で、どこからが創作かは本人しかわかりませんが、小説として出した以上、それなりに脚色はしてあるはずで、そのまますべてを信じることはできないものの、まったくすべてを創作された小説にはない生々しさや、主人公の身勝手さや葛藤などが前面に出ていて、読む人を圧倒します。なるほど多くの人に支持されるいい作品だと思います。

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わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫) カズオ・イシグロ

著者は1954年生まれ長崎県出身の日系イギリス人作家で、5歳の時に父親の仕事の関係で渡英し、そのまま英国に帰化した方で、三作目の「日の名残り」(1989年)は英国で最高の文学賞ブッカー賞を受賞しています。

この作品は著者の6番目の長編小説で2005年に発表、2006年に日本語訳版が発刊されています。また2010年には映画化され、日本でも2011年に公開されています。

小説の前半は英国独特の全寮制学校と思えるようなところで、学んでいる生徒達の日々の生活が綴られています。

思春期の少年少女達の日々の生活ですから、面白いと言えば面白く、淡々として平易と言えば平易な文章が続きます。

しかし、中盤あたりまでくると、どうもこの少年少女達は、世間から隔離された、親のいない特別な少年少女だということが段々とわかってきます。

詳しくはネタバレになるので書けませんが、決してSFやホラー、ミステリーとも違う、なんというかテーマは重いのですが、純文学に近いものと言っていいでしょう。

主人公はキャシーという女性で、病人の介護をしている現在から、一気に過去の全寮制の生活へと飛びます。

そこでは教師とのふれあい、同級生や先輩との友情や恋愛など、繊細で壊れそうなどこにでもいる心が不安定な少年少女達で、前半だけを読むと青春ドラマかと思ってしまいそうです。

タイトルの「わたしをは離さないで(Never Let Me Go)」は、主人公がまだ少女の頃に寄宿舎で手に入れたカセットテープに入っていたお気に入りの曲のことで、それをひとりで聞いて無邪気に踊っている姿を、ジッと見つめていた教師が、なぜか涙を流しているのを見てしまいます。

本来なら深夜に音楽を聴いていて怒られると思っていたのに、涙を流していたということが、強く印象に残り、やがてはそのカセットは盗まれてなくなってしまいますが、大人になってから、中古品の店で見つけます。

その教師もやがては学校からいなくなり、そして主人公達がなぜ集められて生かされているのか、誰のために生きているのか、自分達は誰の子供なのかなど、やがて明らかになっていきます。

著者別読書感想(カズオ・イシグロ)


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老朽化してきたマンションの様々な問題が指摘されています。

マンションは70年代の高度成長期から建ち始め、バブル期を経て、リーマンショック前の平成19年までに数多くが建設され、中長期で見ればほぼ一貫して右上がりで順調に建設され販売されてきました。


出典:国土交通省平成25年度住宅関連データ マンションの供給戸数(竣工ベース)

ちょっと小さくて見えにくいかも知れませんが、マンション戸数は2013年(平成24年)末現在で、累計590万戸、多い年で年20万戸、ここ3年は低調で年9~10万戸のペースで増えています。

そしてマンションの寿命はというと、鉄筋または鉄骨コンクリート造りで建物自体は平均的に50年程度と言われていますが、水回りや外壁、設備など大規模な修繕が必要になるのが20~30年と言われています。

もちろん大事に使えば建物自体は100年以上持つことも証明されていますが、日本のように雨が多くて湿度が高く、それに地震が多い場合、その後の技術の進歩などもあり、欧米の基準はそのまま当てはまりません。

そして上記の寿命50年、大規模改修30年というのには、但書きがあり、普段から小規模な改修や補修をこまめにおこない、水漏れやコンクリートのひび割れ等が見つかれば、早めに補修し対策をしているような場合で、もし管理状態が悪い場合や、バブル時によくあったとされる手抜き工事で建築されていたりすれば、当然寿命も短くなります。

バブル時には人手不足や建設を急ぐため、鉄筋を減らす手抜き作業をおこなったり、本来コンクリに川砂を混ぜるところを安価で手に入れやすい塩分を含む海砂を使い、中の鉄筋がボロボロになっている欠陥などもよく指摘され、全国ではそういうマンションが相当数あるのではないでしょうか。

建築後30年を迎える、バブル直前の1983年以前に建てられたマンションは全国で129万戸あり、その中には新耐震基準以前に建てられた1980年以前のマンションが106万戸が含まれています。

この30年以上前に建てられたマンションは、耐震基準の問題や、間取り、設備の関係からすでに大規模な修繕等を行われているケースが多く見られます。

修繕が行われず、人が住まなくなったマンションでは、スラム化した廃墟となっているところもあります。

では今後の十年間で新たに建設後30年を迎えるマンション数(バブル時期の1984~1993年に建設されたマンション)はと言うと、30年前以前に建てられたマンション総数よりも多い135万戸にのぼります。

1年で20万戸近くを販売してきた2000年代と比べると10年で135万戸増とやや少なく感じますが、ちょうどこの頃からマンションの供給が急増していった時期です。

このマンションブームが起きたのは、現在66歳前後の団塊世代が30代後半で、結婚後に子供ができ、そろそろマイホームでも買おうかと、競ってお洒落な新築マンションを購入した時期と一致します。

今から考えると不動産会社は夢のようですが、新築マンションは作ればすぐに売り切れ、買いたくても抽選で当たらないとなかなか買えなかった時代です。つまりこの築30年以上のマンションの所有者の多くは、転売していなければ団塊世代の人達ということです。

管理組合がしっかりしていて、修繕積立金も十分に貯まっている一部のマンションは問題ないのですが、そういうマンションは少なそうです。

私が30代で初めて購入した6年落ちの中古マンションが、新築だった頃がその時期の建築にあたると思われますが、その時買ったマンションは修繕積立金がえらく高く、部屋数50数戸の中規模マンションでしたが、それを支払わない所有者が約1割もいて、順番に回ってくる管理組合役員の仕事をしていた時には積立金の滞納者に苦慮しました。

そのマンションは交通が不便だったせいか、敷地に広い駐車場があり、そこの駐車場収入と修繕積立金で、ある程度将来の補修費に回せるかなと思いましたが、当時は何十年も先のことより、マンション購入の際に少しでも住人の負担を少なく見せようと、管理費や修繕積立金を格安に設定していた新築マンションも多くみられ、そういうところは、どこか補修をするたびに追加で多額の臨時費用を集めなくてはならないでしょう。これは半端なく難しいことです。

実際に住んでみてわかったのですが、分譲マンションであっても、数年経つとその中の1~2割程度の人は他人に貸していて所有者が住んでいないケースと、あと収入が年金だけの高齢者だけで住んでいるケースがあります。

そうした所有者から一時的に発生する1戸あたり数十万~数百万円の修繕費、補修費を支払いたくない、貯金がなく年金生活なのでそんなに一度に支払えないという声が必ず出てきます。

またエレベーターの故障で大修理が発生したときは、元の保守費用や修繕積立金の範囲であれば問題ないものの、追加で徴収となれば共有部分とはいえ1階や2階の住人は「使っていない」と支払いを当然のごとく拒みます。それがマンション管理の難しいところです。

スキーや保養地で有名な越後湯沢に、バブル時代に建てられた温泉付き豪華リゾートマンションが数十万円で売りに出ていたりしますが、その理由は前の所有者が滞納した管理費や温泉利用経費、修繕積立金と利息など合計千数百万円を、前のオーナーに代わって一括で支払う条件がついていたりするものです。

マンションってメリットも多いのですが、そうした月々の費用が決してバカにならないものなのです。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、マンションの管理状態が悪いとどうなるのか?

・補修のため予想以上にコストがかかり修繕積立金が底をつく
・臨時の修繕積立金を集めるにも所有者が不在で集金できない、意図的に払わない
・管理組合の内部でも「補修する・しない」で対立が起きる
・所有者が出ていき、代わりに無責任な賃借人や不審な会社が入居する
・コミュニティが壊れ、当番制の管理組合の機能が維持できなくなる
・共有部にゴミが散らばり、空室が増え、スラム化していく
・建物の老朽化が一気に進み、壁がはがれ落ちたり下水道が詰まったりする
・不審な人物がマンションに終始出入りするようになる
・不審火やボヤ騒ぎ、住民同士の喧嘩などが起きる
・資産価値が激減する

これらがさらに負のスパイラルに陥ると、どんどんひどくなっていく可能性があるということです。

特に住人が60代以上の高齢者ばかりになると、年金生活者ばかりになり、独居老人や寝たきりの病人、認知症を患っている人も増えていきます。ここで運営が難しくなってくるのがマンション管理組合です。

高齢者は時間と経験はあるのでそういう面はいいのですが、反対意見の住人を時間をかけて粘り強く説得していくような忍耐力や、周囲の意見に合わせる協調性、それにチャレンジ意欲や体力には劣ります。そうした短気でわがままで身勝手で、かつ健康に不安がある住人ばかりになったとき、果たしてそのマンションの管理組合は正常な機能が維持できるでしょうか。

資産価値の高い、都市部に建つマンションならば、そういう心配はない?

とんでもない!

都市部のマンションこそ、所有者同士のつながりが希薄で、隣の人がなにをやっている人かもわからないなんていうのは当たり前、所有者が人に貸した部屋は、知らない間に不法在留外国人のたまり場となったり、暴力団風や風俗関係者など怪しげな人達の根城として使われたりして、住人でも怖くて近づけない、住人同士目を合わせられないということも起きているそうです。

資産価値が高い間に売ってしまった人はまだラッキーですが、住み慣れた場所を離れるというのが高齢者にとってはなによりも厳しいものなのです。

またウォーターフロントのお洒落な高層マンションも、これからオリンピックで賑わい、いましばらくはいいのですが、人口減少が顕著になってくる十数年先を考えたときは、意外と各地へのアクセスが不便で、周辺に店舗が少なく、生活感のない地域だけに、簡単にスラム化しやすい地域だと言われています。

50年前に若いカップルがあこがれた高島平団地や多摩ニュータウン、千里ニュータウンの今の姿や今後の状況をみればそれもうなずけるでしょう。

50年前はそれぞれ歩いていける範囲にスーパーや市場があったのが今はみな撤退して買い物に行くのも大変になってきています。

その点、古くからある下町や山の手界隈は、店の入れ替わりや世代交代はあっても、地域住民同士のつながりは強固に残っていて、親から子へと古くからの住人がずっと住み続け、地域のコミュニティが残り、地価もそう大きく変動しません。

述べてきたように、老朽化してきたマンションの問題は、ほぼ全部の住人から尊敬される行動的で誠実な強いリーダーがいない限り、修繕ひとつを行うにしても、ましてや大規模修繕や建て替えをおこなうような時には住民同士それぞれの価値観や余裕資金の差で、大いに揉めることが容易に想像できます。そしてそういうリーダーがいたとしても、今後何十年も元気で活動できるかわかりません。

マンション内で住人同士が揉め出すと、お金のある人は、それに嫌気がさして、とっとと別の場所へ引っ越しをしていき、引っ越しをするだけの余裕のない高齢者だけが、空き部屋や増え、雨漏りや落書きが残る、ゴミが散らかったままのスラム化したマンションに残されるという、ちょっと想像するにおぞましい光景が浮かんできます。

老朽化したマンションを若者が住みたくなるように、うまくリノベーションして、元の住人と新しい住人とがうまく共生していくといういい例もチラホラ出ているようですが(多くは不動産デベロッパーの宣伝ですが)、終の棲家としてせっかく買ったマンションなのですから、住み続けられなくなる前に、早めの老朽化対応が必要です。

例えばですが、家族用の3LDKの部屋を長く空き部屋にしている所有者から、管理組合が安く買取るか長期賃貸契約し、それを3人用のシェアハウスとしてお洒落にリノベーションして、若い人に貸すとかできるでしょう。家賃月15万円支払える若い人はいなくても、月5万円ならすぐに見つけられそうです。

シェアハウスの住人になった(貧乏な)若い人には、土・日曜日の半日、高齢者の買い物の送迎や荷物運びをアルバイトとして管理組合から依頼することもできますし、逆に若い人達の夕食を、元の住人の高齢者が作ってあげる高齢者のパートも考えられます。

若者が入ってくると静かな環境が壊されると嫌がる高齢者(必ず新しいことに反対する人はいます)をどうやって説得するか、所有者から購入や賃貸する資金をどうやって調達し返済していくかなど、やはり強いリーダーシップをもった人が必要ですね。


【関連リンク】
810 高齢者向けビジネス(第1部 居住編)
795 定年リタイア時の必要貯蓄額と生涯住宅費用
753 ユニットバスへのリフォーム道険し
728 対外資産残高22年間世界一ということ



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