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夏休み特別企画
毎年夏休みやお正月のようにまとまた休みが取れるときには「三国志」や「新・水滸伝」、「宮本武蔵」、「それからの武蔵」、「沈まぬ太陽」、「騙し屋」、「カンタベリー物語」などできるだけ長編の小説を集中して一気読みしてきました。
今回初めて手塚治虫氏の漫画作品を取り上げてみましたが、いろいろと新しい発見もありなにかスッキリした気分で夏休みを終えることができました。
ただこの文庫サイズの漫画、元々は漫画週刊誌のサイズ(B5版)で最適化されていますので、その6割に縮めた文庫サイズはとにかく文字が小さくて、老眼の入ったいまでは読みにくいったらありません。私はまだ持っていませんが、50代以上でこれを快適に読むためには老眼鏡が必須でしょう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ブラック・ジャック(手塚治虫)1~17巻
1970年代の週刊少年チャンピオンに連載されていた「ブラック・ジャック」(1973年~1978年)のほぼ全話を網羅している秋田書店の文庫サイズ版を読みました。
「ブラック・ジャック」の評判はよく耳にしていましたが、コミックもアニメもほとんど縁がなく、単発で数話読んだかなという程度です。そこで全巻揃えて持っているという知人が貸してくれるというので、夏休み中に一気に読むことにしました。
いや~ものすごい分量です。1冊におよそ13~14話が収録されていて、その後に1冊ごとに違う著名人の解説というか手塚作品に対する賞賛が付いています。
その解説には手塚悦子(奥様)、永井明、高村薫、立川談志、花井愛子、菊地秀行、小池真理子、大森一樹、宮部みゆき、里中満智子(敬称略)などの著名人ですが、いずれも故人を含むいいおじさん(おじいさん)おばさん(おばあさん)達が、手塚作品に出てくる少年少女のように目をキラキラさせて手塚作品と出会った子供の頃の思い出話しなどが書かれていたり、それもまたたいへん面白く読めました。
「ブラック・ジャック」は1話ごとすべて読み切りで基本的には連続したストーリーにはなっていません。基本的にはと書いたのは自分がなぜ縫い目だらけの身体になってしまったのか?天涯孤独の身(女と海外に行ってしまった父親は登場します)になってしまったのか?については、それらと関連した話しが出てきますが、決して連続しているものではありません。したがってひとつの物語を流れるように読む進めるわけにはいかず、1話1話をしっかりと理解して読む集中力が必要です。
「ブラック・ジャック」が書かれた70年代といえば私は中学、高校、大学生だったので、たぶん一番漫画に縁がありそうな時期ですが、その頃はスポーツに明け暮れていて、漫画と一番縁があったのは小学生の頃の「巨人の星」(1966年~1971年)や「あしたのジョー」(1968年~1973年)、「ゲゲゲの鬼太郎」(1965年~1969年)、さらにもっと前に書かれた「ハリスの旋風(かぜ)」(1965年~1967年)、「秘密探偵JA」(1964年~1969年)、「おそ松くん」(1962年~1967年)、「オバケのQ太郎」(1964年~1966年)、「紫電改のタカ」(1963年~1965年)などでした。
漫画は今でも時々思い出したように「MASTERキートン」や「ジパング」などを書店で見つけ買って読むことがありますが、漫画喫茶などへは行ったことがないので、ここまでまとまった冊数を一気に読むことは久しくありません。10年ほど前に「ナニワ金融道」(1990年~)の単行本全19巻のうち10巻をバザーの売れ残りを買ってきて一気読みした時以来かな。
内容はもはや説明の必要のない漫画ですが、1970年代に書かれた医療技術であり、またその頃の医療の常識で書かれていますので、細かな部分では変に思うところもありますが、基本的に社会世相は40年経った今でもなにも変わっていないんだなぁってのが率直な感想です。
科学の話しが主体ならば大きく変わっていても不思議ではないのですが、手塚治虫氏はテーマを医療としながらも、本質的には人間ドラマを描いてきたからでしょう。
もう一つには完全無欠の正義の味方が主人公ではなく、周囲からお金の亡者と言われ、貧しい人からも平気で数千万円を請求するアウトサイダー(でも最後は値引きをして千円程度を受け取ることもしばしば)を主人公にしたのは、自分の会社(虫プロ)が倒産し、莫大な借金を背負い込むという人生で最悪の経験をした直後だったからとも言われています。金がすべてという亡者が徘徊する世相は40年経った今でもなにも変わっていません。
また作品の中には、アンハッピーエンドなものも多く、せっかく治療して身体は治ったのに、その患者がすぐ後に別の事故や事件で亡くなってしまうパターンや、顔の整形手術をしたことで逆に不幸になってしまい、元に戻すこととなったりします。
「ブラック・ジャック」に登場するピノコについては、どういう関係で経緯?と思ってしまいますが、第2巻ぐらいである資産家の娘の身体の中にできた畸形嚢腫(分離せずに体内に残った双子の片割れ)を切り取り、それを人の形をした人工の皮に入れて一人の人間として作り上げています。なにか考えるにおぞましい行為とも言えます。
ほとんどが白黒のページで書かれているのでまだいいのですが、ピノコ誕生やその他にも頭蓋骨を切り取って死体の脳と入れ替えたりする手術のシーンなどエグイ場面が多く、もし子供の頃にこれを読んでいたら、楳図かずお氏の60年代の一連の恐怖怪奇シリーズと同様きっと夢に出てきたでしょう。
最後に「ブラック・ジャック」という名前の由来ですが、天才外科医師の主人公本名が間黒男(はざまくろお)で、「黒=ブラック 男=ジャック」とのことでした。え?常識だって?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
朽ちた樹々の枝の下で (講談社文庫) 真保裕一
並みの文庫なら2~3冊分はゆうにある650ページを超える長編小説です。年代が近い真保氏の小説は気に入っていて過去に5~6冊を読んでいますが、原作を読むより先に映画で見た「アマルフィ (映画の題名はアマルフィ 女神の報酬 )」や「ホワイトアウト」などの作品も有名です。「アンダルシア」も「アンダルシア 女神の報復」として昨年に映画公開されていました。
この「朽ちた樹々の枝の下で」は、1991年に「連鎖」でデビューした後、毎年1~2作のペースで上梓されていますが、その中では1996年と初期に書かれた作品です。
主人公は自分の一言で妻を死に追いやってしまったと悩み、周囲からの目を嫌いサラリーマンを辞め、北海道の森林組合に入り山の生活を始めたばかりの男性。その主人公が早朝に山の中で一人の怪我をした女性を救いだします。女性はすぐ近くにある自衛隊の演習地から逃げてきた様子で、その後主人公の回りに次々と異変が起き始めます。
自衛隊の組織的な犯罪をテーマにした小説はいくつかありますが、巨大な組織に個人が対抗していくというのはかなり難しく、よく警察が組織ぐるみで警察官の犯罪を隠蔽する事件がスクープされますが、当然自衛隊組織においてもあまり表沙汰にはならないものの、実はよく起きていても不思議ではありません。
北海道の山奥で起きた事件にしては、登場人物が多く、その関係性も複雑で、一気に読まないとなかなかストーリー全体を見失ってしまいそうです。特に自衛隊の組織と権限等については一般的にはほとんど知られてなく、そのあたりについても本書で解説が加えている分、かなり長い小説になってしまったとも考えられます。
真保裕一氏の小説の主人公の職業は、なにかに偏っているわけではなく、小説ごとに違っていて、読むたびにすごく新鮮に感じます。書く方はよく知られている職業(例えば刑事とか出版社の編集員とか)の主人公にすれば楽なのでしょうけれど、そういうことはせずに、ちゃんと調べあげてそれぞれに違った職業の主人公を創り上げていくテクニックはさすがというしかありません。
◇著者別読書感想(真保裕一)
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ものの考え方には、直感で考える時、論理的に考える時、行き当たりばったり柔軟に考える時など様々な思考があります。
ビジネスの場では論理的に物事を整理しながら考えていくやり方が尊重されていますが、それだけが必ずしもそれが正しい思考法とは限りません。
なぜかというと、論理的に考えると言うことは過去の事例や経験を主たる判断基準とし、それらから外れるとそれは不確定要素でいくらでも都合よく偏向させることが可能だからです。論理的な発想に未来志向はないと言ってもいいでしょう。
9割は論理的に正しくても残りの1割に不確定要素があり、それを自分に都合よく変えてしまうと、それは本来論理的結論とは言えないのに、そう信じてしまい失敗する過ちを犯します。そして失敗した原因は多くの場合「予想外のことが起きたから」で収斂してしまいます。
なので私は論理的に書かれた本で「○○はデータから判断すると××である」などと書かれている本や、人のTwitterやブログで、自分の価値観や考え方が正しいとのだと確定的な書き方をされているものにはいつも「ホントかいな?」「うさん臭い」とまず疑ってみます。
いまの不況の時代にユニクロや楽天、グリー、ソフトバンクなどワンマン経営者を擁する企業が強いのは、トップなど経営者がみな論理的思考能力が高いからではなく、トップのひらめきや思いつき、発想がその時代にうまく合致しているからでしょう。論理的思考でビジネスがうまくいくならば大学の学者先生が始めた事業やコンサルティング会社がすべてうまくいくはずです。しかし実際にはそうはなっていません。
そのようなワンマン経営者から指示があれば、それに論理的、合理的な理由があってもなくても、幹部や従業員達は必死にそれをやり遂げなければなりません。理不尽だと思っても簡単にその指示を変えるわけにはいきません。そして無事に指示を果たした後に、後付で合理的理由をくっつけたりすることもよくある話しです。
そのように、社会常識では「これが正しい」と思われていることでも、実際のビジネスの現場では正反対の動き、つまり逆張りをしなければならないことはいくらでも起きます(ただし法を逸脱するのは問題外)。
しかし一般的にそれは「上司に命ぜられたから」「会社の方針だから」「顧客の要請があるから」などと自分の責任ではなく他人の指示や考えに基づいておこなうという人がほとんどでしょう。普通のサラリーマンであれば「前例がない」ことをやるにはたいへん勇気がいります。
私は上述の時代の寵児となっているカリスマ経営者は、人の物真似や過去の経験に基づく発想やビジネス本に書かれているようなありきたりの論理的な正攻法ではなく、世の中の動きや一般人が考えるものとは真逆の「逆張り」発想ができるからではないかと理解しています。
それらの逆張り発想は若い人向けのビジネス書の多くに書かれている「論理的思考」では常識外で考えつかないことがほとんどです。もしできてもそれは後付けでとりあえず整合性をとっただけのものです。
実績のあるカリスマ経営者でもないのにいつも「逆張り」発想をする人がいれば、おそらくその人は周囲から変人扱いされているでしょう。変人として終わってしまうか、それとも時代の変化を誰よりも敏感に感じ取り、逆張りして成功を収めるかは、運や実力もありますが、おそらく長くずっとあきらめずにこだわり続けられる忍耐力、あきらめない粘りではないでしょうか。
もし「自分が会社員として向いていないなぁ」「今の仕事を今後ずっとはやりたくはないな」と長きにわたって感じているのならば、それはきっと自分が「逆張りをしたいのに、周囲がそれを許してくれない」環境にいるからなのでしょう。まずは認められる地位に就くよう精進するか、自分の意見が通る環境に移るかしかありません。
そして周囲から「天の邪鬼なヤツ」「変人」と思われ続けても、自信をもって人とは違った発想法で「逆張り」し続けられる人だけが、本当の成功者になれるごく少数の人達です。
そしてその逆張りができるようになる日頃の簡単な訓練があります。
それはポピュリズムではないにしても大衆やマスコミが一斉に同じ主張をし始めたとき、「それって違ってないか?」と疑問を呈し続けることです。
●「脱原発」→「脱原発は本当に国や国民にとっていいことなのか?」
●「民主党不信任」→「自民党時代と比べて本当に悪くなったのか?」
●「公務員天国」→「他国の状況と比べてどうなんだ?」
●「マスコミ報道の劣化」→「いますぐそれに変われるものはなにかあるのか?」
●「新しいエコ商品を買おう」→「エコでない古い製品を大事にして長く使うことは悪なのか?」
など、まずは冷静に自分なりの反論なり疑問を出してみるところからスタートします。結論として同じ意見になればそれはそれでいいのですが、考えもせずに信じ込んでしまうよりずっと説得力がありいいことです。
私を含め多くの人は、どうしても有名人が発する情報、多数派の情報、過激な情報、面白い情報などに注目して、それを信じてしまいます。特に悪気がなくとも感情でもの言う人はそれしか目に入らないので、確信を持って断定的に話しをしていきますので、ついそれに巻き込まれてしまうことも多そうです。
真実と虚偽が混ざり合う不安定なネット情報が進化すればするほど、自分の頭で考えずに、流行に流されて安易なほうへいってしまいがちです。それでも古い時代の「政治家や学者さんなど偉いさんの言うことは間違いがない」と妄信するよりはずっとマシかもしれません。
とにかくまずは「その情報(考え方)って違ってないかい?」となんにでも疑問を呈するところから始めてみることが大事です。ただしそれに周り全部を敵に回す覚悟が必要で、ものすごい勇気と努力が必要です。
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636
公益財団法人日本生産性本部が今年度の新入社員を対象に実施した「働くことの意識調査」の結果が今年も出ました。
「働くことの意識」調査結果プレスリリース(2012.6.28).pdf
この調査は1969年(昭和44年度)から続く比較的歴史ある調査で、実は私も1980年に就職をした際この団体が主催する新入社員研修(当時も今もオリンピック記念青少年総合センター)に参加しましたので、さすがにもう記憶にはありませんがこの調査アンケートに協力しているはずです。
その中でいくつかピックアップして感想を述べます。
社会人一年生が入社仕立ての頃「人並み以上に働きたい」と思っているか「人並みで十分」かとの質問では、ここ直近2年ほどは大きな開きはなく、双方とも50%に近い40数パーセントで二分されています。これだけ不況が長引いてやっと入社できたという人が多いのでもっと意欲は高いと思っていましたが裏切られる結果に。
私の入社した32年前(1980年)はどうだったかなと思って調べると、、ハハハ「人並みで十分」が「人並み以上」を大きく上回っていて約50%近くあり「人並み以上」は34%程度です。当時バリバリの体育会系の会社人間だった私にはちょっと意外な感じですが、今になって思えばそうだったかも知れません。
この仕事に対する意欲の開きがもっとも大きくなるのが、ご想像の通り80年代後半からのバブル時期です。
そのピークの1990年と1991年は「人並み」が54%ぐらいなのに対し「人並み以上」は30%しかありません。いかにバブル入社組の多くに仕事に対する前向きの意欲が欠けていたかがよくわかります。現在で言うと入社20~22年の42~44歳ぐらいの人達です。
ま、当時は一部の人気企業以外ならどこでも行きたいところへ割と簡単に入れた数少ない時代で、企業側も面白いぐらい学生に気をつかっていて、やれ「内定(拘束)旅行は海外だ!」「入社式はディスコや一流ホテルの宴会場を借り切って!」みたいな狂った状態でしたから「仕事に意欲が湧くか?」と聞かれると確かに湧いてきません。
次に「この会社でずっと働きたいか?」という質問で「定年まで勤務したい」「状況次第でかわる」のふたつを聞いた結果です。
この質問ではまず過去を調べてみると2000年頃までは「定年まで勤務」が徐々に減少していき、「状況次第で転職」が増加していく傾向があります。高度成長期からバブルの終焉を迎える頃の話しです。
そして大手企業のリストラが開始され始め、終身雇用制の崩壊によって、はからずもその傾向が逆転していくことになり始めます。しかし終身雇用制がキチンと守られてきたそれ以前も「状況次第で転職」が「定年まで勤務」を上回っていたとは意外でした。
この会社でずっと働きたいと思いますか?
「定年まで働きたい」(赤)と「状況次第で転職」(青)
私の入社した1980年は「定年まで勤務」が22%、「状況次第転職」が39%とその差は17%もあります。傾向が転換する2000年は「定年まで勤務」が16%、「状況次第転職」が52%とその差は36%まで拡大していきます。
ところが昨年度(2011年)と今年度(2012年)はほぼ同じで「定年まで勤務」が34%、「状況次第転職」が31%と「定年まで勤務」派が「転職」派を逆転しています。終身雇用が当たり前のオイルショックを含む高度成長時の1970年代ですら「定年まで」派は30%を超えることが一度もなかったのに、昨年に初めて超えたというのは衝撃的です。
「定年までこのままずっとこの会社で働きたい」というのは、つまり「終身雇用してください」と言っていることと同じです。それがいまは僅差ですが多数派を占めているのです。
「若者はなぜ3年で辞めるのか?」という本が大ヒットしたのが2006~2007年で、おそらく世の中的には、その数年前から若者は終身雇用型ではないもっと自由な働き方を求めだしたのでは?という見方をされているのではないでしょうか?私もそう思っていました。しかしそれはどうも違っているようです。
つまり入社してすぐのアンケートでは今までよりもずっと保守的に終身雇用を求めていますが、入社後数年経つと「思っていたのと違う」「このままでいいのか自問自答」などの理由で「3年以内で辞めてしまう」ということになってしまっているようです。
その原因としては「我慢することやこらえ性がなくなってきた」「決断するのが早い」「若者の転職情報や第二新卒という市場があり転職がしやすい環境」ということにあるのでしょう。
もしいま企業がバブル時代のように学生を奪い合うような状況であるならば「当社は終身雇用制を守ります」と学生にPRするのが、多くの学生を集める必勝法というわけです。なにかとても信じられないようなことになっています。
ま、実際はいまはそんなに努力しなくても応募者はいっぱい来るし、定年より早く辞めてもらいたいと思っている中高年社員がまだまだいるので、とてもそのような方針を声を上げて言うわけにもいかないでしょうが、若い人の考え方がそのように変化してきているとは思いもよりませんでした。
これとは直接的に関係がないかもしれませんが、いま若い人に海外留学や海外勤務を希望せず、また国内でも知らない土地への転勤を希望しない人が増加していると言われています。非正規社員の問題をことさら大げさに報道された影響もあるでしょうけれど、どうも今の20代前半の人の多くは内向きで大きな変化を嫌う傾向にあるのかなと思えてきます。
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635
英語か、英語ね、そう英語なんですよ。いまや小学校から授業が始まり、子供が物怖じせず普通に話し始めているという噂の英語ですが、おおよそ50歳以上の人にとっては、ごく一部の人を除き、緊張もせず流ちょうな会話ができる人は稀でしょう。
「いやいやそうでもないですよ」というのはそれは外資系企業勤務や海外留学生、長期の海外勤務経験者、40年前にはまだ数少ない帰国子女など特種な環境下にいた人やそのグループのことで、決してその世代の多数派でないことは確かです。
[ビジネスメディア誠] 英語、話したいけど話せない……そのワケは?
もちろんグローバリゼーション、国際化と言われて30年ぐらいは経ちますので、仕事の都合上必要に迫られてマスターしたよという人の話しもよく聞きますし、通勤電車の中で英語を勉強している人もよく目にします。
また会社が外資系に買収されたり関係が深くなって嫌でも英語を使わざるを得なくなった人、ベンチャー企業のカリスマ経営者の元、多様な国籍の社員が参加する会議で必要とか、課長以上になるためにはTOEICが最低でも750点はないとダメとか、まぁいろいろと試行錯誤していることは理解してます。
言っておきますが私は自慢じゃないけど英語はからっきしです。何度か学ぶ絶好の機会はあったのですが、そりゃ、もう恥ずかしいぐらい身につかず喋ることができません。
なぜ英語というか外国語が苦手かと私なりに理解できたのは、語学というのはまず音感を素直に聞き取れることが肝心。それができないとうまく聞き分けられないし、微妙な発音など真似しようとしてもできません。つまり音感的な才能がまるでない私には、外国語をマスターするというのは苦手であり無理とあきらめました。
なので、英語が普通にできる人でそれを自慢したり鼻にかけない人であればそれは私にとっては尊敬に値します。でも大概は英語が達者だとすぐそれを自慢する系の人が多くて閉口です。
一応数ヶ月ですが海外(といっても東南アジア)勤務をしたことがありますが、相手が英語で喋ってくると日常の定型会話以外はほとんど理解ができず、ビジネスの上でたいへん苦労しました。嫌みな日本人は日本人相手でもわざわざ英語で話してきます。
ま、その時は現地日本人と話しをする仕事が多かったのと、昔のことなので東南アジアには日本語が理解できる現地の年配者もいたりと、どうにかなったのですが、もし自由に英語が操れると、もっと会社に貢献できたでしょうし、自分自身も違った経験ができたのではと至極残念でした。
ビジネス界から引退するまであと10年となった私のことなどどうでもいいのですが、これからのビジネスマンにとってはもう英語は切っても切れなくなってきています。すでに社会に出ていると、忙しい業務の合間で英語を学ばなくてはならないし、部下や上司、顧客が外国人ということは普通に起きてきます。
ただそれは私が勝手に「大変」と思っているだけで、現に英語が飛び交う中で働いている人にとっては、それが普通で別にたいへんだとは思っていないのかもしれません。どうなんでしょう。要は習慣というか慣れなのかな。
会議の前に読んでおくべき書類が英語だったり、英語の業務マニュアルだったり、複雑な話しの交渉相手が外国人だったりと、あらゆる局面で英語と関わらざるを得ません。多くの製造業やサービス業が外国へ進出し、今までは外国人との交渉は商社や貿易商のスペシャリストに任せておけばよかったものが、いまではそうもいきません。
これは今まで言語の違う異国に一度も支配されたことがないという長い日本の歴史の中で、初めて襲うカルチャーショックではないでしょうか。いや大げさではなく。普段の生活においても、例えば買った商品の取扱説明が、英語で書かれているものしかなかった、なんてことがすでに起きています。
邪馬台国へ中国から遣いがやってきても、オランダやポルトガルと通商条約を結んでも、ペルーが開国を迫ってきたときも、日清戦争後欧米列強国の仲間入りをしたときも、敗戦で大挙して進駐軍がやってきても、大部分の国民は外国語を覚えなくてもなにも支障はありませんでした。
つまり普通に国内で生活する上で、日本語以外の言葉を覚える必然性が日本の歴史上一度もなかったのです。日本人が外国語が苦手な理由に、そういった歴史的背景を言う人もいます。
それがここ数年のあいだにガラッと変わってきて、英語が使えないとまともな職につけないようになってきました。次に勤務先が海外に拠点を置いたり、外国の取引先が増えて、自然と社員に英語力が求められるようになってきました。ITやネットワークの世界では最新の情報を得るためも英語力は必須です。
もはやビジネスの場においては英語ができないというだけで、これからは様々な場面で疎外感を味わうことになりそうです。
いやはや私には無理だけど、今の若い人の多くは、それを苦痛とは感じないのでしょうか?もしそうであればいいのですけど。
【参考】
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634
50歳も半ば近くになり、振り返ってみると歳を取るにつれての味覚の変化は、確かに存在することがわかります。例えば若いときには脂っこい食品が大好きで、40代ぐらいまでは毎日でも問題なかったのですが、40歳半ばぐらいからは、ガラリと変わりあっさり系の食事を好むようになってきました。
脂っこいものを避けるようになってきたのは、別に健康のためとか健康診断で注意されたからというのではなく、トンカツや中華料理を積極的に食べたいとは思わなってきました。代わりに生野菜や豆腐などを食べたくなってくるのです。
子供の頃から大ファンだった天下一品では「こってりラーメン大盛り+餃子」、餃子の王将では「スブタ定食に餃子二人前」ぐらいは当たり前だったのが、今はラーメンは並でもスープを多少残してしまい、「チャーハン+餃子一人前」で、もう十分お腹がいっぱいです。
このように年齢とともにあっさり系を好むようになるのは、日常のカロリー消費量と関係があるので、歳を取ってから若いときほど運動しなくなり、また身体が求める新陳代謝の活動も弱まり普通のことだと思いますが、揚げ物やこってり料理を山盛りにして食べている若い人を横目で見ると若い時を思い出して羨ましい限りです。
もうひとつ、年齢ではなく、育ってきた環境によって味覚が違うこともあります。広域で言えばフランス人と日本人では当然美味しいと感じる味覚が違いますし、同じ日本人同士でも大阪と東京の生まれ育ちで微妙に味覚が違っているはずです。
暑いところと寒いところでは味付けや身体が自然と要求する塩分なども違ってくるでしょう。
ミシュランや様々な食のガイドブックが、美味しいと判断しても、それはその人の判断(+多くのガイドブックの場合はスポンサーや協力してくれた店の料理に対して不味いとは書けない)でしかなく、自分が美味いと思うかどうかはまた別の基準となるのは当たり前のことです。
同じ地域に生まれ育ったとしても、多くの子供は親が作った食事を毎日食べますので、その親の作る味に慣れていきます。子供の頃はまだ美味しい不味いを比較する対象がないので、美味い不味いの判断ではなく、自分が好きか嫌いの判断でしょう。
それでも親の食育は重要で、この子が大人になってからの味覚に大きな影響を与えることは間違いありません。
前に住んでいたマンションのある一家では、親が料理を作ることを一切放棄し、毎日出前や出来合の料理を買ってきて子供に食べさせていました。普通の家なら台所にあるはずの包丁やフライパン、ヤカンなど調理器具が一切ありません。
そこの子供が幼稚園へ通っていた時は、お昼は菓子パンか出来合のおかずやご飯を詰めたお弁当だったそうです。
親が作る伝統の味付けを子供が引き継げないというのはちょっとかわいそうですが、家それぞれに理由や事情があるので仕方ありません。
子供がやがて大人になると外食をしたり親以外の人が作った料理を味わう機会が増え、同じ素材を使った同じ料理でも味が違うことに気がつきます。
その時になってはじめて、自分の感性で美味いと不味いの判断がついてくるものだと思います。
日本マクドナルド創業者の藤田田氏が書いた古い本の中に「人が好きだと感じる味はおよそ10歳ぐらいまでに決まる。
なので将来に渡り日本でハンバーガーを売るためには、今まで醤油味に馴染んできた日本人に子供の頃からケチャップ味に馴染ませる必要がある」とありました。
だから当初のマクドナルドの戦略は「家族で一緒にマクドナルドへ行こう」で、メインのターゲットは子供だったようです。
確かに古くから日本人の舌は醤油とカツオや昆布のダシの味に馴染んできていました。ところがマクドナルドが日本へ進出してきた1970年頃から急激に食生活が西洋化し、ケチャップやソースで味付けをする食事が増えてきました。
それがマクドナルドの戦略だったのかわかりませんが、その後のマクドナルドの大成功を見るとドンピシャ当たりました。
そう考えると、おそらく日本人の味覚の大変革が70~80年代頃に起き、その時子供だった今の40歳前後ぐらいの団塊ジュニア世代以降と、それ以上の年代とでは大きく味覚が変わってきているのではないだろうかとこれは私の勝手な想像です。
確かに居酒屋へ行くと、昔は食べ物と言えば煮物、焼き物、乾き物といずれも味付けがダシか醤油ベースだったものが、最近ではソースやケチャップをかけたコロッケなど揚げ物やサイコロステーキ、ピザ、ポテトなどが人気メニューになってきているのはそれらの影響なのかも知れません。
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