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過去に書いた自分の日記を読み直していると、その時々の精神状態がよくわかります。私の場合は精神的につらく追い詰められているときは、前向きで明るい話題を中心に書き、逆にまずまず順調で推移しているときは悲観的で暗い話題を選んで書いているようです。

これには理由があって、落ち込んでいる時には例えカラ元気であっても明るく振舞っていないと、精神状態がどんどんと奈落へ沈んでいきますから、それを防ぐという意味合いで意識して前向きな内容となります。

逆に調子のいい時には、そのうちまたあの悪夢が襲ってくるんじゃないかと疑心暗鬼に囚われ、万が一、最悪の結果になったとしても、その時に慌てなくていいように、また精神的なショックをモロに受けないように、自然とネガティブなものの見方へなってくるのです。

ここ数年は体力は相当落ちてきたことを実感するものの、仕事はまずまず順調にいっているので、それに調子に乗らないようにと戒める意味もあってか、ネガティブでアイロニーあふれる話題と意見を多く書いているようです。これってあまり誉められものじゃないですね。

過去に一度も仕事や生活で一生のトラウマになりかねない最悪の修羅場を経験したことがないと、自分にとって最悪の状況というのが理解できません。

例えば独身の20歳代で勤めていた会社が潰れて失業したり、相思相愛だと思っていた人に振られたと言っても、その年齢ならば再就職は比較的容易にできるでしょうし、恋愛もまだやり直すことができます。

でももし重い負担の住宅ローンと、扶養すべき家族や高齢で病気の親を抱え、40代や50代で突然失業の憂き目に遭ったとしたら、再就職も難しくおそらくたいへん大きな精神的ショックをうけることになるでしょう。さらに介護が必要な家族を抱えていたりすると、もうそれはパニックです。

しかもそういう厳しくつらい事態は、年齢的に若い人よりも、もうどこにも逃げ場のない中高年以降になってからよく起きるものなのです。

つまり中高年者が「失敗を恐れて新しいことをやらない」「考えが保守的になる」「チャレンジ精神に欠ける」というのは、単なる加齢による肉体的、精神的老化現象だけがもたらすものではなく、過去のおぞましい経験から、本能として避けようとしているのではないでしょうか。

中には高齢になっても気持ちは若々しく、健康でチャレンジ精神旺盛で、若い人よりも活動的な人もたくさんいます。しかし一般論としては、多くの失敗と挫折を経験し、その恐怖をよく知っている中高年こそ、若い人がもっていない特殊な才能ではないかと、ふと考えました。いえ、できない言い訳ではなく。

世の中の高齢者が、みんな気持ちが前向きで、若い人の前に出て、先頭で走り続け、引っ張っていく社会がいいとは思いません。

そんなことすると若い人が目障りに感じるでしょう。高齢者には高齢者の役割があるはずで、新しいチャレンジングなことや斬新な感性を要する仕事、そして二三日徹夜しても平気という肉体にきつい仕事などには当然向きません。

「船頭多くして」といいますが、いつまでも老醜漂わせた高齢者がリーダーを務めているような集団はどこかに欠陥があるものです(別に某新聞社のことを言っているのではありません)。

いま、60歳定年から65歳定年へと動き始めています。これはどういうことかというと、企業の中で働く中高年者の割合が一気に増加するということです。

今までなら60歳で引退していた人達が65歳まで残るわけですから、従業員の平均年齢も、大きくあがっていくことになります。

それら中高年族には「新しいことには消極的」「考えが保守的」「体力、気力、根性はない」「昔はやり手だったという高いプライド」「好き嫌いが激しい」「短気で怒りっぽい」「覚えが悪く、物忘れが激しい」「身体のどこかに必ず異常を持つ」などなど、なにかをするには多くの障壁が立ち塞がります。

少し前に「企業は若者の早期離職を恐れるな」で皮肉的に「若い人の退職を減らしたいなら、リーダー(経営者)を30代にして40代以上は部下として使え」と書きましたが、入社して10年でトップに立ってしまい、その後は若者に30年間使われるほうへ回るというのは、むなしいものです。

本来ならこの長くなる中高年世代をうまくモチベーション高く活用することが企業としてもっとも有効な手段です。

中高年者に「変われ」と言うのは簡単ですが、上記にも書いたとおり、修羅場をくぐり抜けてきた経験と、それに対する怯えは、病院へ行って薬を処方してもらって治るようなものではありません。

そうした怯えや過去のひどい経験の記憶をいかにしてうまく希薄化させられるかが、今後の社会の中で中高年者を積極的に活用する方法ではないでしょうか。

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いつもの朝に(集英社文庫) 上・下 今邑 彩

今邑彩(いまむらあや)氏は1955年生まれというから私と年齢の近い推理小説家です。作品を読むのは今回が初めてです。

この「いつもの朝に」は2006年に発刊され、2009年に文庫化された作品で、主人公は絵描きの母親と暮らす中学生(兄弟)で、ふとしたきっかけから自分たちの出生にまつわる忌まわしい過去と謎を知ることになり、その謎を追いかけていくことになります。

プロローグに出てくる母親が描いた絵画作品に必ず描かれている顔のないのっぺらぼうの小さな男の子の姿と、一家の絵の中に出てくる「へのへのもへじ」で描かれた両親や姉の顔。その理由がこの小説のストーリーの柱として、徐々に明らかとなっていきます。

人が死んだ、殺されたというのが大半の推理小説の中にあって、特段この小説に出てくるような悲惨な出来事が小説に描かれることは珍しくありませんが、それにしても子供が大きくなるまで、それらのことが一切知らされず、また気がつかずにいるということは現実的には珍しいことです。

そして、子育てをしてきた私にとっては手にとるようにわかるのですが、普通の中学生が自分の生い立ちを調べるため、親に内緒で泊まりがけの旅行へ出掛けますが、その行き先を騙してなんてことは、実現的には不可能でしょう。

また小説では他人の子供を戸籍上わからないように養子ではなく嫡男として届け出をしたようなことが書かれていましたが、病院で産まれた子供を、母親が出産と同時に亡くなったからと言っても、赤の他人の子供として証明してくれる医者がいるとはとうてい思えません。バレたら医師資格の取り上げだけでなく関係者全員が犯罪者として罰せられることになります。

ま、そのようないくつかの矛盾や、あり得ない設定が所々に目立ちますが、本来なら重苦しく暗くなりがちな内容であるに関わらず、主人公が二人の明るい中学生ということもあり、そうはならずに、家族の絆や血筋というものを考えさせられる小説です。

著者別読書感想(今邑彩)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

ビリー・ミリガンと23の棺 (ダニエル・キイス文庫) 上・下 ダニエル・キイス

解離性同一性障害(多重人格)者で現在も健在なビリー・ミリガン氏は、作家ダニエル・キイスの「24人のビリー・ミリガン」(1981年)によって世界に広く紹介されました。この作品はそのノンフィクションの続編で最後に自由の身になるまでを緻密な取材を元に記録として書かれています。

ビリー・ミリガン氏は、1955年生まれで、子供の頃に義父から性的虐待を受けており、その頃から多重人格が形成されたようです。そして大人になってからはいくつもの重大な事件を引き起こし、刑務所にも入れられていますが、その都度ころころと人格が変わるため、割と早くから解離性同一性障害と一部の学者には認定されました。

しかしこの本の出来事が書かれている時代(1980年代半ば)は、現在ほどはまだこの病気がよく知られていなかったのと、学者以外の例えば刑務所の刑務官や介護人、裁判所の法律家、政治家などには「信用できない」「俺は騙されない」などと長く疑い続けられます。

彼の人格は種類が多いのが特徴的で、他の人格のことは一切わからないビリー(基本的人格)、8歳のデイヴィッド、14歳のダニー、縄抜けの名人トミー、唯一タバコを吸うアレン、犯罪を好むケヴィン、レズビアンのアダラナ(女性人格)、イギリス訛りのアーサー、暴力的なレイゲン、失読症のクリスティーン(女性人格)、ユダヤ教徒のサミュエルなど合計23人の人格を持っていることが判明しています。

この23の棺では、精神病と診断されながらも、よき理解者と引き離され、引き起こした事件の凶悪性と、政治的な理由によりその治療設備が十分とは言えない曰く付きの刑務所へと移されてからのことが細かく書かれています。

起きた事実を微に入り細に入り文章に起こすのは、記録としてはいいのでしょうけど、こういう読み物にはどうも合いません。というのもビリー自身に他に22の人格があり、収容される場所により担当医や所長、介護人がいて、法廷では検事や裁判官、弁護士がいて、さらに同じ入院仲間がいるわけで、登場人物が多すぎて混乱の極みです。

さらには複数の治療薬の名称が出てきて、それがどういう効果を及ぼすかなど、いちいち細かく知っておく必要があるとは思えず、そういった名前や固有名詞だらけで多くの行が埋まってしまっています。

なので、この本を読んでいると、まるで聖書か哲学書のように、数分で強力な睡魔が襲うことになり、ちょっとどうかなと思った次第です。

もっともこの本は小説ではなく、一人の解離性同一性障害者の苦難の記録として、起承転結や場面を盛り上げるような必要もなく、淡々としたものだと最初から理解しておくべきなのでしょう。

ダニエル・キイスが書いた本では、フィクションの小説でデビュー作「アルジャーノンに花束を」を最初に読みましたが、ものすごく感動したことを思い出すます。まだ読んでいない人は、こちらは一度は読んでおいて損はない小説です。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学 (光文社新書) 松永 和紀

松永和紀(まつなが わき)氏は元毎日新聞社の記者で、その時は主として科学分野を担当されてきた方です。その後フリーとなってからも科学分野のライターとして活躍されています。

この2007年に発刊された「メディア・バイアス」は、2008年に海堂尊氏などと並び「科学ジャーナリスト賞2008」を受賞されています。と言っても極めて狭い世界の話しですから、関係者以外知っている人はほとんどいないわけで、私もWikipediaでこの賞のことは初めて知りました。

2011年の原発事故で、多くの「とんでも科学者」「とんでも評論家」「とんでも政治家」が世間を賑わしましたが、著者はもっと早くから特段自分の役にも立たない「とんでも科学」を糾弾してきています。そfれには著者自身が新米で新聞記者になり、いきなり知識もない中で科学の記事を書いてきたという反省もあるのでしょう。

内容はテレビの情報番組でよくある「○○を食べると癌にならない」などの健康情報の嘘や間違った情報を平気で垂れ流すマスメディアへの批判などです。新聞や雑誌、週刊誌でも毎度よくやっていることですけどね。それと添加物と天然物とどちらが本当は安全なのか?など身近な疑問を紹介していきます。

食品添加物に関して「健康へのリスクは確率論で測る」的なことが書かれていますが、それはまさに昨年から言われ続けてきた原発の安全神話と同じところがあります。

しかし科学者と違って普通の人は「嫌なモノは例え確率が極端に低くても嫌だ」という自然な気持ちや感情があることを忘れてはいけません。したがって食品添加物を極力減らした物がより受け入れられるという市場経済を無視して語ることはできません。

新書にふさわしい「世の中の常識は科学者の非常識」みたいな内容ですが、食品添加物にしてもマイナスイオンにしても、遺伝子操作大豆にしても、どの(いつの)情報が正しいかなんては先になってみないとわからないことが多く、研究が発表されているから正しい(はず)なんてことは誰にも決めつけることはできないというのが読んでみての感想です。

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619
学生時代や社会人になってからも独身時代のあいだは、休日や早めに仕事が終わったときに雑誌ぴあを握りしめて各地の名画座へ行き、2本立て映画を手当たり次第に観た時期もありましたが、ここ20年ぐらいは、自由時間が少なくなったのと、ビデオやDVDで自宅でも気楽に見れるようになったこともあり、映画館で観るのは年に2~3回行けばいいほうです。

もっと言えば小・中学生の頃は、毎週2~3本のテレビで放送される映画(ほとんどが洋画)をほぼすべて見ていましたので、自慢じゃないですが70年代以前の映画については相当数観ています。

さてこれから封切りされる予定の映画で、ぜひ映画館で観たいと思って楽しみにしているものが2つあります。

ひとつは「のぼうの城」。

和田竜氏の小説の映画化ですが、時は戦国時代、現在の埼玉県行田市にあった関東七名城のひとつ押城(おしじょう)で、小田原征伐とともに周辺の城も攻める豊臣側の石田三成と、城主名代成田長親との実際にあった攻防戦が描かれています。

タイトルの「のぼう」とは「でくのぼう」を略したあだ名で、若い頃には「うつけ」と呼ばれていた織田信長にもなにか共通するところがありそうです。

その時の豊臣側の城の攻め方が想像を絶する方法で、今でも現存する石田堤と呼ばれる総延長28キロに及ぶ土木工事をおこない、利根川の水をせき止め、水で城を攻め落とそうとします。後にいわゆる「忍の浮き城」と呼ばれる所以です。

それをしても結局は落城させられず、最後は北条氏支援のため小田原城へ行っていた当主成田氏長が小田原で先に豊臣側に降伏をしたため、自ら開城することになります。

この映画、すでにクランクアップされていて、本当なら昨年9月に上映される予定でしたが、昨年は3.11が起き、映画の水攻めと津波の被害がダブってしまうイメージがあるので、被害に遭われた方々の心情を考えて上映が延期され、今年11月の封切りとなりました。

主演は成田長親役に野村萬斎、有能な家老で軍師の正木丹波守利英役に佐藤浩市、部下の武将酒巻靭負役に成宮寛貴など。長親を密かに慕う勇猛果敢な甲斐姫に榮倉奈々、攻める豊臣秀吉に市村正親、石田三成に上地雄輔など、なかなか個性豊かな俳優陣で楽しみな映画です。

二つめは、この6月にクランクインした「永遠の0(ゼロ)」です。

原作はこの作品がデビュー作となる百田尚樹(ひゃくたなおき)氏の同名の小説で、発刊時はいまいちだったのが文庫化されると「これは凄い」とじわじわと口コミで拡がり、ロングセラーとなり結局100万部を突破する大ヒット作品となりました。

ちなみにTwitterで百田氏は「6年前『永遠の0』を書いた時、文藝春秋社に原稿を送ったが封も切らずに送り返された。新潮社の編集者に読んでいただいたが「出版は無理です」と言われた。新人賞を取らないで小説を出版するのはすごく難しいことなんやと思った。賞取ってデビューしてたら、もうちょっと売れる作家になっていたかも。」と書いていましたが、あきらめずに出版することができたことが、映画制作にまで結びつきました。

このように出版社のプロの目(目に触れる前?)で排除されてしまう作品も想像以上に数多く存在するのだろうことが容易に想像ができます。ただ現在はネットを使った公開や電子書籍という方法もあるので、従来の書籍のように大量に印刷して書店へ配本をするしか方法がなかった時と比べ、多くの無名の作家がデビューしやすい環境になってきたことは間違いないでしょう。だからと言って有名になるのは簡単でありませんが。

内容はすでに100万人以上の人が読んでいるので不要かも知れませんが、現代のフリーター男性が零戦パイロットで戦死した自分の祖父のことを知るために祖父の戦友を訪ね歩くところから始まります。

調べていくと「海軍一の臆病者」「帝国海軍の恥さらし」というやりきれない悪評がある一方、「凄腕のパイロット」「妻と子を深く愛していた男」という話しもあり、「必ず家族の元に帰る」と言いながら、なぜ敗戦濃厚な終戦間際になってから特攻に飛び立つことになったのかという謎を追いかけていきます。

文庫の帯には読書家で有名だった児玉清氏の「僕は号泣するのを懸命に歯を食いしばってこらえた。が、ダメだった」という言葉が添えられていました。

映画の主演は零戦パイロットの祖父役に岡田准一、孫で現代に生きる佐伯健太郎役の三浦春馬、帰りを待つ祖父の妻役で井上真央。監督は「ALWAYS 三丁目の夕日」の山崎貴です。

山崎監督は実物大の零戦も作り、空母赤城の甲板のセット、それにお得意のCGを駆使して空戦の臨場感や戦場の恐怖感を出すとのことです。東宝としては1984年公開の舛田利雄監督「零戦燃ゆ」以来となる大規模な戦争映画とのことです。

映画の公開は来年と言うことでまだ決まっていないそうですが、おそらく終戦の日近くの夏休み頃の公開で昔の東宝8.15シリーズのひとつとなりそうです。


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私の子供の頃に開通した東海道新幹線。そしてそれからまもなく新幹線の次はリニアモーターカーだと言われてきました。それからすでに50年近く、進んだようで全然進んでいないような気がします。

一時期には鉄道会社のみならず、総合商社や日本航空なども参入すると言われ、成田空港-東京間に走らせるとか、首都移転の後、新首都と東京を結ぶために使われるとか、様々な話しが持ち上がっては消えていきました。

ここにきてようやくJR東海が2027年(15年後)に品川-名古屋間で開業することを発表しましたが、まだ問題は山積みです。

用地買収、人口(乗客)減少による需要の低下、高磁力発生にともなう健康障害問題、活断層など危険地域対策、高額運賃と採算性など未知数的な不安要素が多く、1960年代の東海道新幹線建設時のような「国をあげて一丸となって夢を実現しよう」というわけにはいかないでしょう。

もうすっかり忘れ去れてしまってましたが、最初にリニアモーターカーの実験線が作られたのが33年前1979年で、場所は宮崎県日向市でした。その後リニア中央新幹線の本線としていずれ使えるようにと、1997年山梨県大月市に先行区間として18.4kmの実験線が完成しました。

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現在も山梨実験線の42.8km全線開通完成を目指し、工事が進められています。しかしこれらはまだ実験線で、すべてが完成しても名古屋までの全長286kmの15%に過ぎません。

東京-名古屋間での営業運転開始があと15年後の2027年の予定、東京-大阪間ともなると2045年の開通予定で33年先の話しです。しかも東京オリンピックの開催に間に合わせるため、国家プロジェクトとして昼夜を問わず突貫工事で間に合わせた東海道新幹線とは違い、完成は予定より相当遅れそうな気がします。

 山梨県笛吹市で建設中のリニア実験線(2012年4月)
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東海道新幹線建設当時、現在の東海旅客鉄道(JR東海)はまだ日本国有鉄道(JNR)でしたから、土地の買収や沿線住人に対する騒音対策なども国が対応し、採算も度外視ができました。土地を売った人の中には「お国のためなら」「国には逆らえない」という人も少なからずいたのではないかと思われます。

しかし今はJR東海は民営会社ですので、公共的な性格がある鉄道とはいえ、とても国家プロジェクトとは言えず、土地の収用について強制力はなく、また企業として採算性や資金調達、株主対策、用地買収、沿線住人への補償など、多くのハードルがこれから壁となって待ち受けていそうです。

私の考えとしては、もうこうした夢を追うような大規模公共工事の時代ではなく、現在ある新幹線の改良と複々線化(より安全な内陸側に新線の追加)などをおこない、効率性、安全性、大規模災害時の代替えとして既存施設の整備に重点におこなうべきじゃないかなと。

リニア新幹線が開通する2030年~50年と言えば、3人にひとり、2.5人にひとり以上が60歳以上と高齢者だらけの国です。

その日本にわずかな時間短縮が可能なリニア新幹線をありがたがる人がどれほどいるのかという疑問、世界の国に売り込むためそのサンプルとなる営業線が欲しいなら、もっと近距離で需要の多い区間(成田-東京間や梅田-関空間、名古屋-中部空港間など)や、様々な障害が少ない国家的プロジェクトでお金を払ってもらえる海外に出て作ればよいのです。



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617
2011年4月に1億2806万人だった日本の人口は、1年後の今年2012年4月には1億2765万人と41万人が減少しています。

この大幅減少については原発事故により特に外国人居住者が大挙して去っていった影響が大きいようですが、41万人と言うと、1日平均すると日本で毎日1,123名が減っている計算になります。

また約41万人の都市というと、宮崎市、柏市、枚方市、藤沢市、岐阜市、横須賀市、高松市などがありますが、それらの都市の人口が1年にひとつ丸ごと消えてなくなるのと同じことになります。

一方、1947年から1949年までの3年間に生まれたおよそ806万人の団塊世代は日本全人口の6.3%を占めていますが、その団塊世代が今年から65歳を迎え、いよいよ本格的な年金生活者へと移行していきます(この年代の人達は60歳からすでに年金を受給している人が大半)。

それに呼応するように、新たな厚生年金保険受給者数の増加は、昨年(2011年)3月末現在で、一昨年(2010年)3月末と比べ129万人増えて2943万人となっています。これを1日平均すると土・日曜日も含め毎日3,534人ずつ増えている計算となります。

年間129万人といえば、大分県、石川県、山形県の総人口よりも多く、都市では仙台市、さいたま市、広島市などの人口が毎年新たに年金を受給し始めるという巨大さです。これからの3年間は団塊世代の65歳以上突入ゆえ、これ以上のペースで増え続けていくことになるのでしょう。

もちろんこうなることは何十年も前からわかっていたことですから、それを知りながら、後のことは知らないとばかりに放蕩の限りを尽くし、自分や身内の利益を肥やしてきた旧厚生省、旧社会保険庁などの役人が誰一人として犯罪者とならないというのは、誠に不思議なお人好し国家です。

この人口大幅減少と年金受給者の急増により、なにが起きるかと言えばそれはもう明白なことです。

1)人口減により国内消費量が減少する
2)さらに急増する年金生活者の多くは消費や支出を抑えるのでものが売れない
3)(所得税)納税者数が減り、かつ消費減少で赤字企業が増え税収不足が深刻となる


つまり日本の国内経済にとっては、これから負の連鎖が続く最悪の3年を迎えることになります。

3)の税収不足を補うために、消費税増税が官僚主導の元決まりましたが、政府(つまり財務官僚)が食料品などへの低減税率に消極的なのは、年金生活者からも多く税金を取りたいからに他なりません。年金生活者の多くは教育費も不動産購入も新車購入も海外旅行費もジュエリー購入もせず、食料品以外にはあまりお金を使ってくれませんので、それを免除してしまうわけにはいかないのでしょう。

大企業を中心にすでに国内市場には見切りをつけて海外へ進出している企業が多いのは、労働コストのためもありますが、それ以上にこれから先、国内市場では大きなビジネスにならないからに他なりません。つまり海外進出できた企業はそこそこ稼いで利益をあげられますが、その利益は日本国内にはほとんど落ちないということです。

しかしこういう事態になるのはすでに何年も前からわかっていたことで、政治も役所もそして国民もすべてが見ないふり知らなかったふりをして、手当てすることを先延ばしにしてきました。その大きな理由のひとつは、日本の社会と経済に歴史上最大のインパクトをもたらしてきた団塊世代の思惑があることは否定できません。政治にしろ経済にしろ団塊世代の動向と意志が日本の方針を決める決定権を握ってきたのです。

現状では「悪いのは年金や退職金を満額もらいながら、さらに定年延長して長く働こうとする高齢者で、若い人はその犠牲になっている」という論調が強く、マスコミもそれに同調しているところがあります。企業側も「定年延長するためには、若い人の採用や給料を抑えざるを得ない」という責任転嫁を堂々とおこなっています。

本来なら身を粉にして高度成長を果たし、世界に冠たる国へと発展させて豊かな国を創ってきた、団塊世代を中心とする中高年者には大きな敬意を払い、幸せな老後を送ってもらえるよう国民全体で感謝すべきところが、なにかいつの間にか「もらい逃げ」「いいとこ取り」みたいな風潮です。

少子化による人口減少も、年金不足も決して中高年者の責任ではありません。また中高年者が本当に今の若者より恵まれていたのかというと、そうは思えません。

例えば、
中高年者が若者だった今から40~50年前と言えば、
【社会】
・社会インフラ(道路、鉄道、劇場、福祉、スポーツ施設など)が今と比べる未整備だった
・携帯電話はもちろん固定電話も十分に普及してなく近所の電話を借りたり公衆電話が頼りだった
・新婚旅行といえば良くてハワイかグアム、多くは国内で宮崎や熱海などが普通だった
・家ではひとり部屋など望むべくもなく、ほとんどが兄弟と相部屋だった
・独身者でも気楽な一人暮らしはできなかった(下宿や寮はあったがワンルームや単身者用マンションはない)
・土曜日も普通に出勤して休日は日曜と、現在よりずっと少ない祝日と現在より少ない有給休暇だけだった

【教育】
・大学の数が少ないうえに競争率も高くまた学費や生活費のこともあり大学へ行きたくてもいけなかった
・私立高校・大学に行くには親がかなり裕福でなければならなかった
・修学旅行はお仕着せの国内旅行で、海外や飛行機を使うようなところへはいけなかった
・義務教育は1教室50名以上の子供が詰め込まれるのが普通で給食もひどくまずかった
・お洒落な制服などなく、男子は黒の詰め襟、女子はセーラー服しかなかった
・特に地方では義務教育を受けただけで、すぐに働かざるを得ない若者が多かった

【娯楽】
・1964年までは自由な海外旅行はできず、それ以降もかなり裕福でないと無理だった
・当時クルマを持つのがあこがれだったが、小型大衆車でもサラリーマンの年収以上した
・携帯音楽プレーヤーはウォークマンが登場(1979年)するまで待たなければならない
・音楽を聴く場合、ラジオか、裕福な家にしかないステレオだった
・スポーツ観戦と言えばメジャーなものは野球かプロレス、相撲だけだった
・それでも都市部に住んでいると娯楽はまだあったが、地方では娯楽と言えるものは映画ぐらい

現在、恵まれていると言われている中高年も、若い頃は今の若者たちよりもずっとずっと苦労してきました。「そりゃ時代が違うでしょ」と言えばその通りで、それならば今の高齢者が恵まれているのも「時代が違うから」で片付けられてしまうのではないでしょうか。

いや、別に無事に逃げ切った団塊世代以上の人たちを擁護するわけではなく、これから定年(≒年金受給)に向かおうとしているポスト団塊、いわゆるしらけ世代とかポスト団塊と言われる50代に対しても団塊世代以上と同様に「恵まれている」と牙をむかれても困ることを言いたいだけです。

50代の多くは、逃げ切った団塊世代に頭を押さえられたまま、自分たちにとって都合のいいように敷かれたレールの上をハイハイと従いながらただ走るしかなかったのですから。

そしてその団塊世代とポスト団塊世代の象徴的な人物としては、好き放題やってあとは知らぬと投げ出す形となった、前総理大臣の菅直人氏(65歳)、その後始末を含め、団塊の敷いたレールを踏襲するしかない真面目だけが取り柄で没個性な総理大臣野田佳彦氏(55歳)がその典型です。


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紆余曲折の人生を歩む、しがないオヤヂです。
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