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この夏に、松尾芭蕉が辿った奥州路を走り、芭蕉も船下りをした最上川を見てきたこともあり、その芭蕉の生涯と有名な俳句を簡単にまとめてみました。

松尾芭蕉といえば、小学生でも知っている「奥の細道」などに出てくる多くの俳句で有名な俳人ですが、なぜか映画やドラマでその生涯を取り上げられることはなく、あまり知られていないのではないでしょうか。

つまり「これだけ押さえておけばあなたも芭蕉フリークになれる!」というまとめです。但し、年代(西暦)と年齢に一部不整合がありますが、調べても諸説あったりしてハッキリしないためご容赦ください。

松尾芭蕉の生年は諸説ありますが、一般的に定説と言われているのが1644年(正保元年)ということなので、それにしておきましょう。

その芭蕉が生まれた今から370年前とはどういう時代だったかと言うと、戦国時代が終わり、徳川3代目の将軍徳川家光が政権につき、比較的落ち着いていた平和な時代ですが、この時代に鎖国政策、キリシタン弾圧(島原の乱)、参勤交代などが国の制度として確立されました。お隣の中国では明が清国に征服され滅ぼされ、英国ではピューリタン革命が起きています。

芭蕉は父、松尾与左衛門、母は梅の次男として現在の三重県伊賀市に産まれます。幼名は金作、通称は甚七郎他、この地で29歳まで過ごします。

なんと生家は最近になっての復元ではなく、当時の木造住宅が残されているんですね。ただし1854年(160年前)の安政の大地震で被災し、改築されたということですが、当時の面影はそのまま残っているそうで驚きです。

芭蕉翁生家(伊賀市上野赤坂町304)

1662年(芭蕉19歳)頃、2歳年上の長男良忠とともに京都にいた歌人北村季吟に師事し、俳諧の道に入ります。現在判明している最古の句は、1962年に詠んだ句で、

『春や来し 年や行けん 小晦日』

です。

1672年(29歳)の時、処女句集「貝おほひ」を上野天神宮(三重県伊賀市)に奉納します。

1674年(31歳)に江戸へ立ち、しばらく日本橋に住んだ後、1677年頃(32歳)には現在の文京区にある関口芭蕉庵に居を構えます。

当時の平均寿命は50歳ぐらいと言われていますので、当時の31歳といえば、今の感覚で言うと55歳ぐらいの中高年となります。意外と晩成型だったんですね。

そう言えば芭蕉の肖像や銅像を見ると、たいていは年寄りじみた面立ちや姿格好に描かれることが多いようですが、実際に亡くなったのは51歳ですから、イメージがちょっと狂ってしまいます。

関口芭蕉庵

そして1680年(35歳)の頃に、現在の江東区深川近くに転居します。

深川芭蕉庵跡

1684年(39歳)に芭蕉は『野ざらし紀行』の旅に出ます。その出発の時に詠んだ句が

『野ざらしを 心に風の しむ身哉』

で、それが紀行集のタイトルの由来になりました。

行き先は江戸から東海道を西へ向かい、生まれ故郷の伊賀を始め、大和(奈良)・吉野・山城(京都)・美濃(岐阜)・尾張(愛知)・木曽(長野)・甲斐(山梨)を廻わり、江戸に戻ったのは翌年の1685年(40歳)です。この旅の後半、熱田で詠んだ句が、

『山路来て何やらゆかしすみれ草』

です。

江戸に戻り1686年(41歳)の発句会で、今や小学生でも知っている有名な句

『古池や 蛙飛びこむ 水の音』

を詠みます。
また1687年(42歳)には、

『月はやし 梢は雨を 持ちながら』
『花の雲 鐘は上野か 浅草か』

の句を詠みます。

1687年には再び旅に出て、東海道を下り、鳴海・熱田・伊良湖岬・名古屋などを経て伊賀上野に入り、1688年(43歳)に伊勢神宮を参拝し、その後吉野・大和・紀伊(和歌山)と巡り、さらに大坂・須磨(兵庫)・明石を旅して京都にたどり着きます。

東海道を下っていた時、旧友と会った満開の桜の木の下で詠んだ句

『命二つの 中に生きたる 桜哉』

奈良の唐招提寺の鑑真座像の前で作ったとされる句

『若葉して 御目の雫 ぬぐはばや』

は有名です。

京都から江戸へ復路は、『更科紀行』として纏められています。大津・岐阜・名古屋・鳴海を経由し、信州更科(長野)の姨捨山で月を観て、善光寺へ参拝を果たした後、1688年8月下旬に江戸へ戻ります。
善光寺では、

『月影や 四門四宗も 只一つ』

長野の十六夜観月殿で

『いざよいも また更級の 郡かな』

の句を残しています。

江戸に戻った翌年、1689年(45歳)の時に、弟子の曾良を伴い、今度は下野(栃木)・陸奥(福島・岩手・青森)・出羽(山形・秋田)・越後(新潟)・加賀(石川)・越前(福井)などを巡る「奥の細道」の旅に出て、そこで数多くの名句が生まれます。

『あらたふと 青葉若葉の 日の光 』:日光東照宮
『田一枚 植て立去る 柳かな』:栃木県那須町
『夏草や 兵どもが 夢の跡』:岩手県平泉町
『閑さや 岩にしみ入る 蝉の声』:山形県・立石寺
『五月雨を あつめて早し 最上川』:山形県大石田町
『雲の峯 幾つ崩れて 月の山』:山形県鶴岡市
『象潟や 雨に西施が ねぶの花』:秋田県にかほ市
『荒海や 佐渡によこたふ 天河』:新潟県出雲崎町
『一家に 遊女も寝たり 萩と月』:新潟県糸魚川市

この奥の細道の旅、イメージでは相当長い年月をかけて歩いたかと思われていますが、江戸~東北各地~越後~越前~美濃(岐阜)までの約2400kmを約5ヶ月で踏破しています。

奥の細道のルートマップはこちらのものがわかりやすいので参照
芭蕉.com

途中舟に乗ったりもしたでしょうけど、5ヶ月間で均すと1日16kmの道のりは、東海道や中山道のようによく整備されたところばかりではなく、険しい峠や難所、時には道なき道のようなところを歩くことを考えると、昔の人は元々健脚だったと言え想像を絶する速さです。

しかも旅の途中でひとつの宿に何日も逗留していた日も多く、おそらく歩くときは1日に30~40km近くを歩いていたものと考えられます。

伊賀の国の出身と言うことと、この健脚、そして各地の有力藩の要衝や港湾をくまなく見て歩いたことが、時々登場する「芭蕉=忍者(隠密)説」の根拠となっているみたいです。なにか謎めいたロマンを感じます。

東北~越後の旅を終えたあと、そのまま伊勢や伊賀上野、京都へ向かい、1690年(46歳)には滋賀近江の幻住庵に逗留し、しばらく静養します。46歳といえば今で言うと70歳過ぎの感覚ですのでさすがに疲れたのでしょう。

そしてこの近江の地で「「幻住庵記」を著します。この間に詠んだ

『初しぐれ 猿も小蓑を ほしげ也』

も有名な句です。

幻住庵

1691年(47歳)に京都・嵯峨野に入り、知人の俳諧師向井去来の別荘「落柿舎」に滞在、ここで「嵯峨日記」を執筆します。その後京都の医師で俳諧師でもあった野沢凡兆宅に移りますが、同年9月には京都を発って10月に江戸の芭蕉庵に戻ります。

この頃に詠んだ句として、

『物いへば 唇寒し 穐(あき)の風』

があります。

そして1694年(51歳)5月に江戸を立ち、今度が実質的に最後の長距離の旅となる伊賀上野、奈良、京都、近江へ出向きます。本当に人生後半になってからよく旅に出る人です。
その旅で詠んだ句が、

『菊の香や 奈良には古き 仏達』
『此道や行人なしに秋の暮』


その後、弟子の依頼で大坂へ入り、そこの句会で詠んだのが、

『秋深き 隣は何を する人ぞ』

です。

しかしタフな芭蕉もとうとう病に倒れ、発熱と頭痛のため、旅先の大坂で病床に伏せます。病気は諸説ありますが食中毒というのが一般的で、当時としては高齢の上、旅の疲れや、弟子達の争いの仲介などで心身とも疲れ果て身体の免疫力が低下していたとも言われています。

その病床で最後に詠んだ句とされるのが、

『旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る』

です。生涯各地を旅して歩いたいかにも芭蕉らしい句です。

1694年10月12日に51歳で死去。遺骸は近江の義仲寺に運ばれ、翌日には亡くなる二日前に書いたとされる遺言に従って木曾義仲の墓の隣に葬られます。

義仲寺(滋賀県大津市馬場1丁目)

芭蕉の句碑(芭蕉塚)は、沖縄県を除き全国46都道府県に3000カ所以上あり(北海道、九州、中国、四国へは行ってないと思うのですが)、中でも多い場所は、生誕の地三重県、ではなく、長野県と群馬県で、その数200カ所を超えます。次が山形県、埼玉県、新潟県で100カ所以上あります。

余談ですが「松島やああ松島や松島や」は、かつては芭蕉の句として有名でしたが、近年の研究では別人の句というのが定説になっているようです。

そのうち斬り合い、殺し合い、謀略ばかりが目立つ最近のNHKの大河ドラマに、江戸時代に花開いた文化と平和の象徴でもある「松尾芭蕉」が取り上げられることがあっても不思議じゃないですね。

【関連リンク】
846 みちのく急ぎ旅 前編
678 東北巡り
485 マイカーで東京から京都まで旅行する場合 その1
320 五月雨をあつめて早し



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6月に佐世保で起きた女子高生猟奇殺人事件は、同級生の15歳女子高生が起こした事件ということで社会を驚愕させました。

また8月には津山で無職の17歳が、交際中の26歳女性を殺害し遺棄するという事件が発生し、ここのところ少年少女が主体的に関わる事件が頻発しているような印象があります。

そこで過去の統計をちょっと調べてみました。

先に、一般的に思われていたり、私がそうじゃないかという仮説をいくつかあげておくと、

1)未成年者が加害者となる刑法犯罪は増える傾向にある
2)未成年者が加害者となる凶悪犯罪のうち殺人や強姦は特に増える傾向にある
3)未成年者が被害者となる犯罪も増え、その低年齢化が進んでいる
4)すべての犯罪の中に占める未成年の犯罪率が高まってきている
5)児童(13歳以下)虐待が増えてきている

データの出典は警察庁生活安全局少年課の「平成25年度版少年の補導及び保護の概況」からです。

まず、1949年から昨年2013年までの「刑法犯少年の検挙人員及び人口比の推移」を見てみると、下記のグラフのようになります。これは比較的重大な犯罪(刑法犯)の国内での検挙数と、その時々で少年(以下未成年の意味)の数も変わってきますので、人口比で現したものです。

刑法犯少年の検挙人員及び人口比の推移


このグラフを見る限り、1)の「未成年者が加害者となる刑法犯罪は増える傾向にある」という仮説は間違っていることが明らかです。犯罪数(検挙数)も、そして少子化が進んでいる人口比の率も長期的には下がっています。

検挙数や率が低いから実際に起きている犯行数が減っているのかと言えるかどうかは、一般論として全体の検挙率は2~30年前と比べると大きく下がっていますが、この10年間を見ると横ばいか逆に回復傾向にあるようなので、確実なことは言えませんが検挙率による影響はあまりないと言っていいでしょう。

次に、少年の刑法犯の中でも凶悪犯罪(殺人、強盗、放火、強姦)の中では、どの罪種が、どれぐらいの割合で発生しているのか10年間の推移です。

凶悪犯少年の罪種別検挙人員の推移


少年の凶悪犯罪の中で圧倒的に多いのは、強盗ですが10年前と比べると半減しています。次に放火も4割近い減となっています。しかし殺人や強姦はわずかに約1~2割の減に留まっています。

つまり少年犯罪の総数は強盗や放火を中心に大きく減ってきているものの、殺人や強姦といった犯罪は少子化で少年の数が減っていることを考えると、この10年間ほぼ横ばいで推移しているとも言えます。

「たった10年間の推移だけじゃわからんじゃないか!」という天の邪鬼な方の声にお答えして、1949年(昭和24年)からの殺人、強盗、放火、強姦の推移も載せておきますね。

刑法犯少年の凶悪犯罪種別検挙人員の推移


1957年頃から1969年頃までの未成年者による強姦件数が半端なく多いのが目立ちます。

この時代、なにがあったかと言えば、その相関関係はよくわかりませんが、1946年以降に生まれた、いわゆる団塊世代の中心が11~19歳(未成年)の頃です。

つまり凶悪犯罪を起こす人の割合は、人口に対し一定の割合でいて、この頃未成年者の人口が爆発的に増えたので未成年者の凶悪犯罪数も大きく増えたってことなのでしょうか。

また割と最近の1997年から2005年頃までは強盗件数が急増しています。

逆算すれば1982年~1990年頃に生まれた人達が未成年者だった頃で、一般的に団塊ジュニアとされる1970年代生まれの世代よりは少し後の世代となり、物心が付いた頃にはバブルは崩壊していて、その後長引く失われた○○年と言われた就職難の時期を過ごすことになる世代と考えられます。

したがって2)の「未成年者が加害者となる凶悪犯罪のうち特に殺人や強姦は増える傾向にある」は、ここ長期的に見ても短期的に見ても、増えてはいないので「誤り」ということがわかりますが、ここ最近10年間だけを見ると、他の強盗や放火の凶悪犯罪と比べて大幅に減っているわけではなく横ばいに近いというのが気になるところです。

次に、未成年者が被害者になるケースを見てみましょう。

下記は未成年者が凶悪犯罪の被害者となったケースの1972年からの推移です。

少年被害の凶悪犯等の認知件数の推移


そしてここ10年間の刑法犯(凶悪犯含むすべての刑法犯罪)被害に遭った少年(未成年者)の年代区分別推移です。

少年が主たる被害者となる刑法犯の認知件数の推移


2つのグラフを見てわかるのは、
1)未成年者が凶悪犯罪の被害者となるケースは減少傾向にある
2)未成年者が性犯罪の被害者となるケースは2003年頃のピーク時よりは減少しているが高止まりしている
3)逮捕・監禁/誘拐の被害者は40年近く横ばい状態
4)ここ10年間だけを見ると未成年者の刑法犯被害数はすべての年代で減少傾向
5)小・中学生など低年齢層の被害者が特に増えているという傾向はない

ということで3)の「未成年者が被害者となる犯罪も増え、その低年齢化が進んでいる」は、性犯罪被害を除き、減少傾向にあり、また被害者の低年齢化が進んでいるという傾向は特に見られないという、一部はあっているけど一部は間違いという結果になります。

次に、全体の凶悪犯罪の中に占める少年犯罪の割合を推移でみたのが下記のグラフです。つまり20歳未満(未成年)の検挙数を全体の検挙数で割った%です。



ちょっと驚いたのですが、20歳未満と20歳以上では、20歳以上の成人が起こす凶悪犯罪のほうが断然多いと思っていましたが、1950年代後半から1960年代には未成年者の凶悪犯罪が全体の40%近くを占めていて、その中でも特に強姦などは全体の半数を超えている年もあります。

1997年には強盗の検挙数で未成年者が過半数を占めていて過去最高になっています。

犯罪とは直接的な関係はもちろんありませんが、参考までに平凡パンチが1964年、週刊プレーボーイが1966年の発刊で、未成年者を含む当時の若者に絶大な支持を受けていました。

少年の凶悪犯罪がこれほど多いということを不覚にも知りませんでしたが、ひとつには新聞やテレビでは少年犯罪の場合、匿名での報道となり、また刑事裁判も開かれないことが多く、もちろん死刑など極刑もありません。

それゆえニュースバリューがなく、後追いの報道もなされないことから、結果的にあまり視聴者や読者の目に触れず、印象にも残らないということでしょうか。

しかし少しホッとするのは、未成年者の凶悪犯に占める割合が、1990年代後半に一時急増したものの、その後は再び減少傾向にあり、2008年以降は20%を切っていることでしょう。

もっとも未成年者の人口自体が減少していますので、下がって当たり前という見方もできます。

逆に急速な高齢化社会となり、犯罪者の高齢化が目立ってきているようです。

過去記事「高齢者の犯罪が増加

したがって4)の「すべての犯罪の中に占める未成年の犯罪率が高まってきている」は、間違いと言って良いでしょう。

最後は、最近しばしば悲惨な事件として報道され、子を持つ親からすると「信じられない」と思うような児童虐待の検挙件数です。

すべての件数に言えることですが、時代と共に社会が犯罪に対して見る目や、それに応じて警察の取り締まりの方針が変わってきたりして、実際に行われていただろう犯罪数と、統計数字に表れる検挙数とは当然一致するものではありません。

特にこの家庭内での児童虐待については、騒がれ出したのは割と近年になってからで、昭和の時代には体罰や、度を超した躾けなどは、どこの学校や家庭にでもありました(巨人の星など参照)。

それらがやがて社会問題となり、犯罪としてとらえられるようになってきたため検挙件数にも影響が出てきているものと思われます。

ここでは2004年(平成16年)からの10年間に限ってのグラフです。

児童虐待事件の態様別検挙状況の推移


被害児童数(棒グラフ)を見る限りうなぎ登りと言っても差し支えないような勢いで増加傾向にあります。

中でも圧倒的多数を占めるのは身体的虐待で、およそ70%を占めています。次が性的虐待で、これが20%以上を占めています。

5)の「児童(13歳以下)虐待が増えてきている」は悲しいことですが統計上は正解です。

ただし、実態としては何年も変わっていないものの、新たに児童虐待と認定されたり、検挙されるケースが過去と比べて増えた結果として増加傾向にあるという可能性があることだけは書いておきます。

これらの児童虐待は、家庭内で起きるケースが多く、死亡したり重体になってから病院へかつぎ込まれ、そこで初めて表沙汰になるということが多く、性的虐待も含め、表面化しないケースがまだ相当数あるのではと考えられます。

児童相談所やホットラインといった行政の取り組みも大事ですが、こうした家庭内犯罪撲滅にもっと積極的で厳罰を科す欧米各国に学び、虐待される不幸な子供がいない国に早くしてもらいたいものです。

そうすることで、少年時代のトラウマや精神的に子供の頃受けた虐待の傷をもったまま大人になり、再び自分の子供に対しても同じ事を繰り返してしまう暴力の連鎖、負の連鎖を断ち切ることができるのではないでしょうか。


【関連リンク】
825 行方不明者と顔認識システム

799 成長するという妄想

777 成人の力 国際比較

740 高齢者の犯罪が増加

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私の嫌いな10の言葉 (新潮文庫) 中島義道

過去には「「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの」「どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?」(いずれもタイトルが長い)の2冊を読んでいます。舌鋒鋭く、社会への批判や、気持ちよくマイノリティな持論を展開する、元電気通信大学教授、人呼んで「戦う哲学者」の作品です。

実は買うつもりのリストには入っていなかったのですが、チラッと下に書いた目次を見てしまったのが運の尽き、すぐに買ってしまいました。

その目次には、下記のような「嫌いな10の人びとの特徴」が記されていました。

(1)笑顔の絶えない人
(2)常に感謝の気持ちを忘れない人
(3)みんなの喜ぶ顔が見たい人
(4)いつも前向きに生きている人
(5)自分の仕事に「誇り」をもっている人
(6)「けじめ」を大切にする人
(7)喧嘩が起こるとすぐ止めようとする人
(8)物事をはっきり言わない人
(9)「おれ、バカだから」と言う人
(10)「わが人生に悔いはない」と思っている人

奇をてらったタイトルで人の関心を集めようとする安っぽいジャーナリストや評論家とは違い、それぞれの内容について自身の考え方をひとつひとつ真剣に丁寧に説明されています。それらからわかったことは、著者はやっぱり変わり者だという点と、正直者であるということ。

もちろん、これらのことがすべて無条件に嫌っていると断言しているわけではなく、「自分はこういう人をこう思う」「自分の考え方はこうなのです」という自己主張です。

それがまた面白くてついつい頷いてしまったり、逆に「そりゃーあんたがわがままなだけでしょう」って毒づいたりして楽しめます。

しかし著者のように、こうした自己主張の強さを前面に出して生きていくには、今の世の中は決して寛容ではなく、息が詰まってしまう気がしますが、そんなことはいちいち、気にしてはいけないのでしょうね。

この著者の講演を聴きに来た人の中に、あまりの内容にショックを受け、精神に異常をきたした人がいるとも書かれていましたので、さもありなんとニヤリとしたりします。

著者ほどは知性も教養も思慮深くもありませんが、天の邪鬼で、人と違った価値観を大事にする私も、人間関係においては著者と比較的同類に近いのかも知れません。

著者別読書感想(中島義道)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

人間の土地 (新潮文庫)  サン=テグジュペリ

1939年と言いますから今から75年も前に出版されたサン=テグジュペリのエッセイ集で、主として第二次大戦前の民間航空機のパイロット時代の話しがメインです。

小説ではないので、特に物語があるわけではなく、パイロットという仕事を通して、世界中で見てきたもの、感じたこと、友情やアフリカの奴隷制度など、幅広い話題で淡々と書かれています。

特に「砂漠のまん中で 」では、サハラ砂漠の上空で砂嵐に巻き込まれ前後不明となり、砂漠に不時着したときのことが書かれていますが、この死をもっとも身近に感じた時にあの名作「星の王子さま」の着想を得たと言われています。

それは奇跡的に砂漠に不時着したものの、当然その場所はわからず、しかも食糧も水もほとんどない状態で、見るものすべて蜃気楼ばかりで、生死のあいだを彷徨いつつ、そして3日間歩き続け、奇跡的に遊牧民に助けられる始終が書き記されています。

飛行機に乗っていたのがたった1人ではなく、同僚と二人だったのが、最後まであきらめず歩を進められたのでしょう。

そして最後の章では、戦争と人間という第二次世界大戦直前当時のきな臭い世相を現した内容で、著者は広い世界を見てきた知識と教養で、あるべき国家や世界秩序の真の姿がどういうものかを書いています。なるほど、これが後世にも残る名著というものなのですね。

文庫では、訳者の堀口大学(詩人、フランス文学者)のあとがきと、1998年刊の新装版では、サン=テグジュペリの作品にも大きく影響を受けたと言われているアニメ映画監督宮崎駿の解説というか、古き良き時代の飛行機と飛行機乗りの話しばかりですが書かれていて、それも楽しみのひとつとなります。

そう言えば宮崎監督の最後の長編アニメ「風立ちぬ」にも同時代の航空機が数多く登場してきましたが、この本が出版された1939年というのは「風立ちぬ」の主人公堀越二郎氏の設計した零戦の試作第1号機が各務ヶ原で初飛行した年でもあります。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

きよしこ (新潮文庫) 重松清

2002年に単行本、2005年に文庫本が発刊された著者の幼少時代をモデルとした短編作品集で、「きよしこ」「乗り換え案内」「どんぐりのココロ」「北風ぴゅう太」「ゲルマ」「交差点」「東京」の7編が収録されています。

1963年生まれの著者は私と6年違い(私が年上)で、世代的にも違ってきていますが、著者の作品の中では「定年ゴジラ」や「流星ワゴン」「カシオペアの丘で」など若い頃を思い出す中高年を扱った小説が割と好きでよく読んでいます。

この作品は少し前に読んだ「きみの友だち」と同様、ティーンエージャーを主人公とする連作短編集という点で似ていますが、主人公は著者本人という設定で、割と自伝的な内容が多いようです。

幼児の頃にあるできごとがきっかけとなり、小中高校時代はカ行とサ行の発音がうまくいかず、どもってしまうことから、それが嫌で同級生とも気軽に話しをすることができず、なかなか友人にも恵まれません。

また親の仕事の関係で、たびたび転校があり、そのたびに自己紹介の時名前の「きよし」がスムーズに言えず、自己嫌悪に陥ってしまう少年時代を送ります。

この小説のきっかけになったのは、やはり吃音の障害を持つ子供の母親から手紙が来て、「吃音なんか気にしないで…」というその「なんか」に違和感を覚え、手紙の返事は書かず、そうした障害に真剣に悩む子供達に向けて書いたという体裁になっています。

タイトルの「きよしこ」とは、主人公が子供の頃に、クリスマスに流れる「きよし この夜」を「きよしこ の 夜」と理解してしまい、その自分の投影でもある少年「きよしこ」が夜になると自分のところへ遊びにやってくると夢想していたことからの発想です。

著者別読書感想(重松清)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

奇面館の殺人 (講談社ノベルス) 綾辻行人

著者は1960年生まれで、大学院を卒業後も就職せず、そのまま専業の作家となった珍しい経歴の方です。

働かずとも生活には心配がないほど実家が裕福で、環境に恵まれていたのでしょうか。最近の芸術家というものはそうした境遇にも恵まれないとなかなか生まれないものです。

著者の作品では過去に1冊だけ「最後の記憶」を文庫化された2007年に買って読んだことがあり、今回で2冊目です。

この小説は、著者の代表的なシリーズ作品で、「十角館の殺人 (講談社文庫)」から始まる「館シリーズ」と称されているその9作目です。

「館シリーズ」は、故人となっている建築家中村青司という架空の設計家が建てた奇妙な謎の多い館に興味を持った主人公、ミステリー作家の島田潔(ペンネーム鹿谷門実)が訪れて、そこで起きる殺人事件の謎を解いていくというものです。

怪奇小説やミステリー小説では、このような謎が多い邸宅がそのトリックによく使われますが、現実の社会でも、何年も多くの女性を監禁してきた地下室付きの家や、誘拐した少女を自分好みに育成するための防音処理を施した監禁部屋など、小説にも負けず劣らずの奇人変人も実際にいるわけですから、小説で奇想天外な家があっても不思議ではありません。

こういう謎解きものは内容を書いてしまうわけにもいかないので、省略しますが、白状すると、いつも寝る前に少しずつ読んでいたのですが、そのせいか、しばらくのあいだ夢見が悪く、怪奇な変な夢ばかりみて困りました。

と言うのも、この小説では西洋風の金属でできた顔の表面だけでなく頭全体をスッポリと覆う鍵付きの仮面が登場してきますが、私が10歳になるかならない子供の頃に読んで、一種トラウマになってしまった楳図かずお氏の恐怖漫画「笑い仮面」の残虐さを思い出してしまい、少々気持ちが悪くなったことを付け加えておきます。

著者別読書感想(綾辻行人)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

俺俺 (新潮文庫) 星野智幸

2011年第5回大江健三郎賞を受賞した作品で、昨年(2013年)には亀梨和也主演で映画にもなっています(見ていませんが)。

著者は、大学卒業後に新聞記者となり、その後海外留学などを経て、1998年に作家デビューした方で、比較的地味目な純文学志向の作風で、私がその作品を読むのはこれが最初です。

内容はタイトルでもわかるように、ふとしたきっかけで「オレオレ詐欺」を働くことになった主人公ですが、その犯罪小説というわけではなく、それをきっかけとして、いくつもの別の自分と出会うことになるというミステリーチックというか、徐々に読者も一緒に精神不安定になりそうな、よくこれほどまでにオレオレ詐欺から発展した奇想天外なストーリー展開ができるものだと感心するやら呆れるやらです。

一応最後まではキチンと読み通しましたが、途中で何度か断念しそうになりました。

少し前に読んだ「砂の女」のような純文学がなによりも好物っていう人にはいいのかも知れませんが、私のような凡人には、あまりにも内容が突飛過ぎて、そして読めば読むほど意味不明になってきて、結論もなにも見つけられず、ただただ、読み通したというだけで、うろたえて本を閉じて片付けるということになってしまいます。

さすが大江健三郎賞の受賞作だけあって、精神衛生上感想もなにも書きようがありませんが、怖いもの見たさに読むならどうぞって感じです。


【関連リンク】
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人と話をしていて「私は○○だと思うの。ね、そう思わない?」とか「○○と言われたけど、それってひどくない?」と第三者に対して同意を求めるような会話がよくかわされます。

これもコミュニケーション法のひとつとされていて、「相手と同じ立場にいる」ことを確認することで、より親密度や好感度が高まり、話者の安心感や満足感が得られるという会話手法です。

これが対等な関係のビジネスの場においてならば、間違っていることは「間違っている」と、そうは思わないなら、「思わないと」ハッキリ答えてもさほど問題ありませんが、上司と部下の関係だったり、先生と生徒、あるいは親しくしてしている間柄だと、ハッキリ否定するとちょっと面倒なことになります。

よくあるのは、顔見知りではあるけれど、それほど親しくしていない(よく知らない)人や、ビジネス上の顧客と会話している時に、一方的に同意を求められて、どう反応していいか困ってしまったことはありませんか?

私は何度もあって、たいていは面倒くさいのと、大人の対応と言うことで、あまり深く考えずに適当に相づちをうったり、同意をしておきますが、あまりにもしつこく「ね、ね」と同意を求めてくる人に対しては反論したことがあります。

元々そのように自然と同意を求めるのは、親しい人に対して「あなたなら私の考えや思い、立場をわかってくれますよね?」っていうところからきていると思うのですが、そうではなく、親しくない人や初対面の相手に対しても、「自分の考えと同じであるはず」と決めつけて会話する人がいます。

もう10年ぐらい前の話しですが、同僚ではないのですが同じ職場で時々一緒に働くことがあった人で、ある日仕事が終わってから二人で世間話をしていました。その方と私の家が割と近いことから、近所にある総合病院の話しになって、その方がその病院の悪口を次々と言い出しました。

最初はそんなことがあるのか?って半信半疑で聞いて、適当に相づちをうっていましたが、話しはドンドンと深まっていき、「以前にこんなひどい対応だった」「まともな医者がいない」「診察代は高い」「いい加減な検査をする」etc.と、ずっと悪口ばかりで、いいかげん閉口気味でした。聞いていながらこういう患者のことをモンスターペイシェントって言うのかなぁって考えていました。

それまでその総合病院の悪い評判は聞いていませんでしたし、妻が病気したときも、家から一番近い病院というわけでもないのに、大事を取ってわざわざその病院へ通っていたこともあり、近所の評判としては悪いどころか、逆に好意的なものと思っていました。

それでもなんとかその病院に対して悪いイメージを共有し同意して欲しいらしく、「こんなひどいことを言われた」「ひどい診察だった」「患者の言うことを聞いてくれない」などと次々と繰り出しながら、「ね、ひどいと思いません?」「ね、そう思うでしょ?」と、ひとつずつ確認するかのように同意を求めてきます。そういう話し方を特にする人でした。

あまりにもいちいち同意を求める話し方と、同意するのが当たり前だという高圧的な言い方を感じたので、「そうですか?詳しくはわからないけど、私はそうは思わないですけどね」って返答しました。

その時の相手の顔は今でも忘れることができません。

「鳩が豆鉄砲をくらったような顔」というのが正しいのかわかりませんが、まさか反論されることがあるなんて、夢にも思っていなかったという驚いた顔です。

その相手の方は、私よりも少し年配で、しかも小さいながらも会社の社長を務められていた方で、部下をはじめとして自分の意見に真っ向逆らう人などいなかったのでしょう。つまり自分の主張に対しての不同意に慣れていないというか、「え、まさか!」という思いがあって言葉が出てこなかったようでした。

しかし私は「少しは気を悪くされるかな」と思いつつ、その方の部下でもないし、仕事でもお世話になっているという関係でもないので、その方の独善的な考え方とそれを他人に押しつける話し方に不快を感じ、なにかがプチッと切れて異議を唱えたわけですが、それっきりその方とは会話はモチロン、目を合わすこともなくなったのは当然の成行でしょう。

「携帯やスマホが常に気になる」「LINEやメールは読んだら返事はすぐに返す」という人の多くは「人間関係に怯えている」っていう心理分析があるらしいのですが、人間関係だけを大事にするならば、例え自分とは違う意見であっても、同意を求められたときは不本意ではあるけれどもとりあえずは同意をしておく、メールやLINEならすぐに返事を返すというのが基本でしょう。

半沢直樹じゃないですが、上司の指示や意見に真っ向逆らうことは会社員としては成功しません。一般的には「長いものには巻かれろ」式や、「周囲と軋轢を起こすな」が長い会社員生活には求められるのが普通ですので、よい子は真似してはいけません。

その点、私はあまり人間関係を気にする方ではないので、言いたいことはすぐに言ってしまうし、言わなくてもいい余計なことまで言ってしまって、あとで後悔してしまうこともよくあります。もちろん直属の上司や部下、顧客はできうる限りリスペクトし、譲歩や我慢を持って接しますが、そうでない相手にまで余計な気を遣いたくありません。

私的なメールや電話の返信や折り返しのコールバックも、何日も放置するわけではないけれど、気がついたからと言ってすぐにせず、暇なときにまとめてやればいいかぐらいな感覚です。もちろん内容的に緊急を求められている場合は別ですけど。

そこで、私の文章や会話では、そうした「○○だと思いませんか?ね、そうでしょ?」と言った他人に同意を求めるような会話や文書はできるだけしないようにと気をつけています(あちこちに使っていますけど)。

このブログの場合はあらかじめ「独断と偏見と無知」を決め込んでいるのでなにを言われてもいいとしても、普段の仕事上でむやみに使ってしまい唐突に思わぬ反論を返されても困りますので。

特に絶対的な自信家や、自己中心的な世間知らずの人に限ってそういう物言いをする人が多いのも特徴で、自分には才能があり、世界は自分を中心に回っていて、自分の考え方や気持ちが一番大事で唯一信じられ、それを周囲の人にも認めて欲しいのでしょう。それが習性になってしまっている人と付き合うのは本当に面倒くさく、迷惑千万です。


【関連リンク】
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755 電子書籍を普及させるには
672 日々是淡々と
520 若いビジネスマンへ告ぐ
428 報道は弱いモノの味方なのか?
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前回の「みちのく急ぎ旅 前編」から続く後編です。

後編では、1日目のメインイベントである最上川の舟下り、その夜は日本海側へ出て鶴岡市内にある安いビジネスホテルで一泊、翌2日目は、日本海沿いを新潟方面に向かい、笹川流れ、朱鷺メッセというコースをたどります。

また個人的な趣味により観光地というより、トイレ休憩や土産物購入など、なにかと便利で、地方の高齢化ニッポンを支える「道の駅」がやたらと出てきます。

今回もテキストは極力控えて画像中心で。前回同様ゆるめなのはご愛敬。

一級河川で、日本三大急流のひとつ最上川


今回の旅の目的の中心は松尾芭蕉も舟で下った最上川を見てやる!が最初でした。


最上川三難所の中のひとつ碁点


日本三大急流とは、富士川(長野、山梨、静岡)、球磨川(熊本)と、この最上川です。


道の駅 むらやま


ちょうど観光バスの到着と重なったみたいで、ジジババの団体観光客でたいへん賑わっていました。お土産の品揃えはまぁまぁだけど、レジに並ぶ殺気だったジジババの長い行列をみて早々に退散。


道の駅 とざわ


観光用?の韓国風の大きな立派な建物が併設されていましたが、それもあってかなにか異様なムードを発していて、ソフトクリームだけ買って先へ急ぐ。おそらく全国有数の客が少ない道の駅。平日とはいえ従業員と関係者以外は人の気配なし。


最上川遊覧船

結局、乗船時間に間に合わずに、逃してしまいます。ホームページに書いてあった出航時間はいい加減なもので、客がある程度揃えば適当に出航という感じです。そういう鷹揚なところがいかにも田舎の流儀で、別に腹も立ちません。


庄内町清川にある松尾芭蕉銅像と句碑




銅像の背後に見えるのは映画ロケに出てきそうな古めかしい廃校になった校舎と井戸。井戸の蓋はしっかり閉じられていましたが、中をのぞいてみたかったなぁ、、、貞子とかお岩とか。
夏にお化け屋敷のイベントをこの廃校で企画すれば大儲けができそうです。


道の駅 庄内みかわ


野菜など地元特産品が豊富にありましたが、観光客向けの土産物は少なめで、地元民御用達って感じ。


酒田市内のホテルがなぜか満室で、隣の鶴岡市で予約したビジネスホテルは、寝るだけの部屋ですが、意外と綺麗でベッドも広く快適でした。
翌朝部屋を出ると、合宿か試合かで、体育会系男子高校生が廊下をウロウロしていました。我々の中高校時代は、遠征でも汚い旅館か民宿で雑魚寝(以下自粛)



道の駅 あつみ しゃりん


ここまではまだ広い山形県の範疇です。道の駅の駐車場へ入るとパトカーと警官が待ちかまえていたので、「?」と思ったら、山形県警協力の下、交通安全キャンペーンを実施中でした。私?もちろん安全運転をしていたのでヤクルトと眠気覚ましのガムをもらいました(全員に配っている)。

道の駅の売店は観光客用のお土産物の種類はイマイチですが、野菜や水産物など地元特産品は充実。立地場所は景観もよく、観光客や通りすがりの客をもっと呼べそうなのに、いかにもお役所主導の運営って感じで、垢抜けず、商売気も薄く、全体に面白味に欠け、ちょっと残念な感じの道の駅。

デキる民間業者に委託すれば来客数2倍、売上3倍ぐらいはすぐにできそう。例えば、売店で獲れたての新鮮な魚を格安で売っているけれど、さすがに観光客は家に帰るまでに時間がかかり、買うのは無理。

しかしその場でサクッと握りか丼にして出せば、小腹が空いている人や目の前の新鮮な魚に目を奪われた人にザクザク売れるはず。ちょうど高速のサービスエリアでアメリカンドッグやたこ焼き、おにぎりなどが飛ぶように売れるのと同じ。地元の漁師アガリでそういう漁師飯を作るのが得意な高齢者もいそうなのですぐに始められそう。


笹川流れ




「笹川流れ」とは美空ひばりが歌う名曲でもなく、また「カッパの川流れ」とも関係なく、この辺りの天然景勝地のこと。

岩場が多いと言うことは海水も綺麗に浄化され、昔ながらの方法で海水から塩を作っている塩田が点在しています。

そう言えば「敵に塩を送る」で有名になった当時越後を支配していた上杉氏からライバル甲斐の武田氏へ塩を送ったという話しは、この豊富に取れる笹川流れの塩を送ったのかも知れません。


道の駅 笹川流れ(夕日会館)


別名「夕日会館」とあるように、ここの海岸から見る日本海に沈む夕陽がとても綺麗らしい。道の駅と海岸を結ぶ横断橋+展望台の上には、夕陽を見に来たカップルが付けたと思われる無数の南京錠が。フランスのどこかの橋みたく、鍵の重さで崩落しなければいいのだが。


新潟(朱鷺メッセ)


天気が好いと佐渡島が綺麗に見えるというので無料展望台へ上がるも、霞んでいてよく見えません。しかし東京や大阪とは違い、周囲に高い建物がないので360度視界がひらけていて上から見下ろす優越感に浸れます。帰りのエレベーターは高校生風カップルと一緒になり、31階から一気に降るエレベーターが珍しいらしく、二人のテンションは上がりまくりで、ほのぼのとしました。1回待って二人だけにしてあげればよかったとあとで反省。


新潟ラーメン「ときめきラーメン万代島」


新潟ラーメンとはなに?と期待を膨らませたけど、ま、普通の魚介類系ダシと醤油味のラーメンでした。それにしてもこのエリア、他にはひとりも客の姿はなく、シャッターが降りた店ばかりで、幽霊が出るかと思ったぐらいに寂れていました。

地方ではこうしたどちらかと言えば若い人向けの店舗やサービスは、よほど尖ったものでない限り、成立しなくなっている感じ。ここで遅めのランチを食べて、他にも寄りたいところがありましたが、雨も本降りになりつつあり、家路につきました。最後のオチはありません。

みちのく急ぎ旅 前編へ


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816 2050年に向けてのグランドデザイン
719 道の駅は次の段階へ進めるか
711 地方が限界集落化していく
678 東北巡り


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