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件数やことの重大さははともかく、ほぼ毎日といっていいほど個人情報の流出事故があちこちで起きています。一般的に個人情報とは氏名、現住所、電話番号、勤務先名、メールアドレス、顔写真や映像などが組み合わされて、個人が特定できる情報のことです。

個人情報漏洩事件・事故一覧(Security NEXT)

上記サイトでは、2013年1月23件、2月28件、3月30件、4月27件、5月37件が個人情報漏えい事故(事件)として報告されています。

この流出事故の情報を見て「けしからん!」と感じる人も多くいると思いますが、私の見方はそれとは違い、多いのは数万件から少ないものはわずか数件の事故まで、よく律儀に報告や発表がおこなわれているとは、さすがに律儀で真面目な日本人だなぁと感心してしまいました。

おそらくハインリッヒの法則を当てはめると、報道されるような重大なエラーの後ろには約3倍の軽微なエラーがあるということから、実際は月に100件近い個人情報漏えいが起きていると思っても間違いではないでしょう。

携帯電話の紛失も、他人の名前と番号が登録されていればほぼ確実に個人情報漏えい事故に該当します。

個人情報の流出では、クレジットカードが不正に使われて損害が生じた(実際は不正使用と認められると保険で補填されますが)とか、銀行預金が消えていた(あまり聞きませんが)とか、金銭面以外でもストーカー被害に遭ったとか、なりすましでブログを荒らされたとか、迷惑メールが急増したとか、セールスの電話がよくかかってくるようになったとか、様々な迷惑を被ることがあります。

しかし実際には世間で騒いでいるほど被害は少ないというのが実感です。個人の名前や電話番号、メールアドレス、口座番号がわかったからと言っても、それを悪用しようとする人は、ほぼプロ犯罪者に限られてきます。

たま~にオークションなどで、素人が他人になりすまして詐欺行為をおこなったりしますが、そういう素人犯罪はすぐに足がつきます。

個人情報漏えい事故はできればないほうがいいに決まっていますが、一方ではFacebookやmixi、LINEなどSNSや便利なアプリ利用時には平気で実名や出身校、生年月日、顔写真などを公表しているケースも多く、自ら個人情報を流している人も数多くいます。

自分で個人情報を出すのと、他人が流出させてしまうのとでは違うとも言えますが、これほどあちこちに個人情報を平気で出す時代になると、もう流出元がどこの誰なのか、なにがどれだけ流出しているのかがよくわからなくなってきます。

銀行口座やクレジットカード作るのはもちろん、TSUTAYAの会員になるのにも、コンサートや映画のチケット予約するにも、プレゼント応募するときも、風邪を引いて医者にかかるのも、街頭署名運動に協力する時も、スポーツクラブの会員になるのも、会員制のネットニュースを読むのにも、無料アプリを使うのにも、オークションや通販で商品を買うのにも、SNS始めるのにも、旅館やホテルに宿泊するにも、重要度は違えど必ず個人情報を記入(入力)する必要があります。

役所の戸籍や住民登録以外に、過去どれほど自分の個人情報を書いたり入力してきたかと考えると、おそらく数え切れないほどとしか言えないでしょう。したがってよほどの限定的な利用しかしていない個人情報以外は、どこから流出したのか自分で突き止めることはまず不可能です。

子供が高校入学前になると学習塾の、高校三年生になると進学予備校や模擬試験の案内が、成人式近くなると晴れ着や貸衣装のDMが舞い込んでくるのも、いったいどこから個人情報を得ているのか不思議です。発送元に問い質しても入手先は教えてくれません。

個人情報の保護に関する法律が2005年4月に施行され、個人情報の扱いがそれまでと違い慎重になってきたことはいいとしても、そこまでやるか?と思えるほど管理が厳重になり、そのことで不便を感じるようにもなりました。

施行されて3年後の2008年に独立行政法人国民生活センターがとったアンケートでは、個人情報保護法の施行により「不便になった」と答えた人がおよそ7割近くに達していました。これはもしかすると悪法だったのかもしれません。

普段の生活でも、会社や学校の連絡網がごく限られた人の連絡先しか知らされなかったり、そもそも学級名簿が作られなかったりと、生活の上でも不便を感じます。また個人情報というかこれはマナーとなっているようですが、ブログなどに使うクルマやバイクの写真からナンバーを消すなど、不必要とも思える過重なプライバシィ保護が蔓延しています。

ラブホテルに出入りしているクルマのナンバーを消すのならわかりますが、普通の駐車場や高速道路のパーキングに停まっているクルマのナンバーまで消さないといけないのなら、同様にNHKなどテレビ局が町や観光地の様子をニュース映像などで流す際、普通に歩いている人の顔にもみなモザイクをかけないといけないということになります。

銀座のホコテンの様子や新橋の烏森口広場を映像で流そうとすると、たいへんなことになりそうです。

元々この個人情報保護法は一般市民のように話題にもならないどうでもいい個人情報保護対策が目的ではなく、政治家や大企業経営者、資産家、一部の官僚などの権力者でもあり、敵が多い人のプライバシィを守るために作られたと言われています。

つまり有名人がなにかスキャンダルを犯したときや、巨額の資産を有することを個人情報保護法を盾として顔写真や氏名が公表されたり調べられることを防ぐためです。

また熱心な記者やパパラッチと呼ばれるスキャンダル専門のカメラマンなどに対抗するためや、そうしたスキャンダルを載せたい週刊誌対策としてもこの個人情報保護法という縛りは大いに役に立ちます。

原発事故が起きたあとの東電本社とオフサイトセンターとのテレビ会議で、画面にモザイクがかかったり、発言の一部がカットされましたが、これは社員の個人情報保護という名目でした。


それを隠れ蓑にして本当は表に出せないなにかまずい言動があったのではと勘ぐらずにはいられません。

まるで悪いジョークのようですが、原発事故という国を揺るがす大問題よりも、個人情報保護が優先されるというのもナンセンスに思えてきます。

一般個人であれば個人情報が多少流出したとしても、それがすぐに大きな問題になる可能性は小さい(ないとは言いません)ですが、悪い情報は少しでも表には出たくない権力者に近い人にとっては、スキャンダルやお金にまつわるグレーな話しや企業の利益に反することは死活問題ですから、この個人情報保護法の意味は彼らにとってこそとても有意義なのです。

なので、個人情報保護に熱心な人は概ねそれらの権力者の意向を受けて、世論を旨く誘導し、形成してきたと言えるのです。

それをありがたく一般人の身でありながら、お上の言うことには間違いがないとばかりに、積極的に賛成してきた人達に、権力者は裏では舌を出してほくそ笑んでいることでしょう。


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誰か―Somebody (文春文庫) 宮部みゆき

ミステリーの女王?宮部作品は久しぶりに読みます。仕事で頭が混乱しているときでも安心して読めるので、時々読みたくなります。調べてみると3年ほど前に「レベル7」(1991年作品)を読んで以来ということになります。

この作品は2003年の作品(文庫は2007年)で、大企業オーナーの娘と結婚し、周囲から逆玉と言われつつ義父の会社で地味に社内報の編集の仕事をしている主人公杉村三郎もので、その続編として「名もなき毒」(2006年)があります。

物語は義父の専属運転手だった男性が自転車でひき逃げをされて亡くなってしまいます。残された二人の娘のうち何事にも慎重な姉は、小さな子供の頃に自分が父親のせいで誘拐事件に巻き込まれたという記憶があり、そのことと今回のひき逃げがなにか関係があるのではないかと心配しています。

しかしあっさりした性格で奔放な妹は、父親をひき逃げした犯人を捕まえるべく、事件を風化させないようまた警察にハッパをかける意味でも父親の生涯を記した本を出版したいと父親の雇い主だったオーナーに頼み込み、その仕事が娘婿の主人公にまわってくるという流れです。

この主人公に共感し好意が持てるのは、前述のように「絶大なる権力を持つオーナーにうまく取り入った娘婿」で、「義父の意向を受けて社内の不穏分子を探るスパイ」と思われ、「お金持ちの妻の言いなり」と、周囲からはひがみや誤解を受け、そんなわけですから親しい同僚もなく、飲み会にも誘われず孤独感を感じていながらも、妻子を愛して自分の仕事と家庭だけで、十分満足を得ているというところです。

本人としては「偶然映画館の中で知らない男から絡まれていたところそれを救った女性が、有名な事業家の娘だった」というだけのことで、結婚するときもそういう周囲からの好奇の目で見られることを覚悟し、それを受け入れて淡々としています。

その主人公の元々の仕事が子供向けの絵本を発行している小さな出版社で編集の仕事をしていましたが、オーナーに言わせると「商売はできないが、本を作る能力は確か」ということで、結婚に踏み切る際に義父からつけられた条件「会社を移る」ことを飲みました。

この小説の発端となる自転車事故は、現在でこそマナーの悪さと歩行者との人身事故が大きな社会問題となっていますが、本が発刊された2003年にその問題を取り上げたのは、時代を適格に読んで先取りしているようで内容や設定には古さをまったく感じさせません。

私も昨年(2012年)に日記で取り上げていました。
自転車のマナー違反が特にひどい

ただ先月読んだ白石一文著「砂の上のあなた」もそうでしたが、「亡くなった父親の過去を調べる」というのが、ミステリー小説では定番の設定になっているようで、もうそれ自体にはさほど興味も意外性も感じなくなってしまいましたが、そこは御大宮部氏だけあって、ひねりも効かせて最後の最後までなかなか面白く読ませてくれます。

著者別読書感想(宮部みゆき)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

発達障害に気づかない大人たち (祥伝社新書 190) 星野仁彦

著者の星野氏は一般的に注意欠陥・多動性障害(ADHD)、アスペルガー障害(AS)、学習障害などを総称して言われることが多いいわゆる発達障害の医師で、研究者としての第一人者です。また同時に著者自身が多動性障害であることも本書に書かれています。

本書は2010年に発刊された新書ですが、本書の続編「発達障害に気づかない大人たち(職場編)」(2011年)など多くの著書もあります。

私を含めて多くの人は「発達障害」と聞くと、授業中に落ち着きがなく教室の中を勝手に歩き回ったり、人見知りで不登校になる子供の病気のようなとらえ方をするのではないでしょうか?

本書ではそのような発達障害は大人になってからも発症することがあり、ストレスなど他の症状と混じり合って、その原因を究明できにくくしているということが書かれています。

例えば増えてきたうつ病やアルコール中毒などを起こす人の中には、かなり多くの割合で発達障害を素因を持っている人が多かったり、仕事で失敗の多い人、忘れ物や遅刻の多い人、自動車事故が多い人などを診断すると発達障害に起因することが見つかるとのことです。

ただ大人になると子供の頃とは違い、なかなかそれが表面には出てこず、単に「性格的なもの」とか「努力不足」とかで片付けられてしまい、ちゃんとした診断と治療がおこなわれないまま、他の病気やもっと大きな事故を引き起こす要因となってしまっているようです。

大人はこの発達障害の「障害」という言葉に特に抵抗があり、なかなか本人もそれを認めないというのが、大人になってから罹った人の特徴です。

そこで著者は「発達障害」ではなく「発達アンバランス症候群」と呼んでいます。つまり対人能力や記憶力、計画的な行動、冷静さ、注意力、忍耐力など様々な人の能力のうち、どれかについてうまくできないのは、決して性格的なものではなく、脳の発達に一部遅れている症状で珍しいことではないということです。

特に遺伝の影響もあり、両親にそういう傾向があるとそれが子供にも出やすく、家庭内暴力で育った子供が、自分が親になったときに同じような暴力を繰り返すのも、発達障害の遺伝を引きずっているとも著者は結論づけています。

また仕事も学習もおこなわず、自宅で引きこもりをしていることが多いニートの中には、この大人の発達障害を抱えている人が多いとのことで、ある種の興味分野、例えばネットやプログラミング、ゲーム、絵画、作詩、音楽などにはまりこんでしまっているケースがあるそうです。

例えば音楽や絵画など芸術の分野に才能が秀で、それで将来身を立てられるのならまったく問題はないのですが、素行が暴力的だったり、なにかに依存する(過食やアルコール、麻薬、SEX、宗教など)ようになると、犯罪や自傷を起こすことにもつながるので、まずは専門家の診断を受けて、適切な治療を受けることが重要と著者は述べています。いまでは心理療法や投薬で治ることが多いそうです。

ユニークなのは、発達障害の症状例にドラえもんにでてくるキャラクターを用いて説明しています。多動性障害(ADHD)には「イライラしてすぐにキレやすく暴力をふるう」ジャインアン型や、「いつもボーとしていて注意散漫で忘れ物が多い」のびた型など様々な形態があるとの説明。確かにあの二人は発達障害の象徴的な存在のようです。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

ひまわり事件 (文春文庫) 荻原浩

文庫化されると必ずといっていいほど読むのが習慣となっている荻原浩氏のこの作品は、2009年に単行本、2012年に文庫化されました。

過去に4度直木賞の候補になりながら、まだ受賞はされていませんが、そう遠くないうちに受賞されることは間違いないでしょう。

本来なら2004年の「明日の記憶」で直木賞を取っていても不思議ではありません。ちなみに同作品は山本周五郎賞を受賞しています。

私の感想では、荻原氏と経歴も作風も似ていて歳は3つ若い奥田英朗氏は、その2004年に「空中ブランコ」で直木賞に輝いています。時々読んでいるとこれは奥田氏の作品だったか荻原氏のだっけと間違えることがありますが、直木賞に限っては荻原氏にツキがありません。

ひまわり事件の舞台は、ひまわり幼稚園とその幼稚園の隣りに建っていた老人ホームひまわり苑で、幼児と先生、老人がそれぞれが主人公と言える珍しいパターンです。

私も以前なにかで「老人ホームと幼稚園・保育園・小学校を同じ敷地内に作ることで、老人達は子供達から若々しい生のエネルギーをもらい元気になり、子供達はお年寄りや障害者などを大事にすることを覚え最適だ」ということが書かれていましたが、この小説では、幼稚園と老人ホームとのあいだにあった塀を取り除くことで起きる、双方の気持ちがそれとはまったく逆で笑ってしまいます。

しかし残念なことに、この手の小説では、大人(著者)が、勝手に都合よく描く子供(幼児)が、あまりにも現実的ではなく、腑に落ちないことが多くてヘキヘキします。

荻原氏は「ママの狙撃銃」や「押入れのちよ」などで可愛い子供を主人公に仕立てた小説がいくつかありますが、私的にはそれらはあまり秀作とは思えず、いかにも大衆ウケしそうな物語を無理くり作っているようにしか思えません。私が読んだ荻原作品でお勧めは「明日の記憶」や「神様からひと言」「僕たちの戦争」です。できれば今後は大人のシリアス路線でいってもらいたいものです。

小説やドラマに登場する子供って、ステレオタイプでほとんどがダメな大人よりも部屋の片付けや料理までできてしっかりしていたり、物事をよく知っていて大人顔負けというのが多く、一種ダメな大人からするとそれが理想的な子供の姿なのかもしれませんが、そういうのは現実的にはあり得ないし、可愛げもありません。

この小説でも大人を驚かせるスーパーな幼児が登場しますが、読んでいてその点が不快でもありしらけるところです。

幼児は幼児らしく、自分勝手でわがままで、すぐにピーピーと泣き、人見知りをして、知らない人とはろくすっぽ喋れないというのが当たり前なので、それでは現実的過ぎて小説やドラマとして成り立たないというのであれば、使わないのに限ります。

ただ幼児は親の鏡だというのは、この小説に登場する親とそっくりな子供ほどではないにしても、経験上共感を覚えます。

著者別読書感想(荻原浩)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

錏娥哢奼(アガルタ) 花村萬月

2007年に単行本、2010年に文庫化された時代小説です。花村萬月氏の小説は男臭いハードボイルド的なものが多いように思っていましたが、こういうものもあったのですね。

過去には「眠り猫」「笑う山崎」「皆月」「百万遍 青の時代」「百万遍 古都恋情」「イグナシオ」「セラフィムの夜」など12冊ばかり読んでいます。

忍者といえば伊賀と甲賀が有名ですが、伊賀が徳川家康に重用された表の忍者とすると、その裏には伊賀のすぐそばに八劔(やつるぎ)という山があり、そこに住む忍者集団が八劔と呼ばれています。

不死の蛆神(ウジガミ)を中心として、日本を統一した徳川勢力に対抗する姿をエロチックにそしてコミカルに描いた小説です。

錏娥哢た(アガルタ)とは、八剱で数十年に一度生まれるかどうかの特別な存在で、蛆神の後継者とも言われ、外観は誰もが直視できないほど華麗で素晴らしく、子供の頃から男を籠絡する閨の技を伝授されています。

その錏娥哢たが、島原では天草四郎時貞と組み、江戸幕府に弾圧されるキリシタンの農民達に加勢し、島原で一揆を仕掛けたり、江戸に上っては江戸城に住むやはり不死となった徳川家康の命を狙ってみたり、3代将軍徳川家光と親密になったりと、とにかくもう奇想天外甚だしく。

歴史小説と思って読むと大きく裏切られますが、ところどころに散りばめられる逸話、例えば赤穂浪士で有名な江戸城内「松の廊下」の廊下はたまに時代劇で間違って出てくるような板張りの廊下ではなく、畳敷きの廊下だったとかはありますが、とにかく登場人物がみな現代言葉を話したり、著者が関西在住だからなのかは知りませんが、それはもう、吉本興業のノリでわやくちゃです。

それはそうと、2011年に単行本が発刊されている「百万遍―流転旋転 」は、まもなく文庫本が出てくるかなと思って待っているところですが、まだ出てきません。早くこちらも読みたいものです。

著者別読書感想(花村萬月)


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neko001.jpg平成23年度(2011年度)の統計データでは、年間に犬が43,606頭(匹)猫が131,136匹、合計174,742頭(匹)が殺処分されています。

これは1日平均にすると毎日480頭の犬猫が殺されていることになります。その他に負傷した犬猫が年間約9,000頭が殺処分されています。(出典はいずれも環境省自然環境局 総務課 動物愛護管理室)

しかしこれら処分されている数は統計開始以来、毎年減少しているのが唯一の救いで、1974年には122万頭、2000年には53万頭もの犬猫が殺処分されていたことからすると、動物愛護管理法の改正と強化、飼育者マナーの向上や、処分前に里親へ譲渡されるなどして、殺処分数は大幅に減ってきています。

それでもまだ年間18万頭(負傷による殺処分含む)の犬や猫が、多くは無責任な飼い主や悪徳業者により一方的に死刑を宣告されているというのは、ペットが好きかどうかは関係なくまったく許し難いことです。

ちなみに保健所での殺処分の方法は、10頭ぐらいまとめて箱に入れ、その箱の中に二酸化炭素を注入し酸欠状態で殺すようです。はからずも毎日こうした仕事をされている保健所の方々は、仕事とはいえ夢見も悪くなるでしょうし同情の念を禁じ得ません。

一方でNPO法人やボランティア団体によって、殺処分される数を少しでも減らすため、ペットの保護活動や里親捜しをおこなわれています。殺処分の減少にはこれらの組織だった動きにより、認知が拡がってきたきたことによるのも大きいでしょう。

ただどこの世界にも善意を踏みにじる悪い人はいるようで「里親になる」と言って善意の人を騙して大量の猫を集め、そのまま何十匹の猫とともに行方不明になったという事件や、元の飼い主と里親のあいだで起きるトラブルは決して少なくないようです。

譲渡の相手が公的機関でない場合は、預ける時も、譲り受ける場合も十分に気をつける必要がありそうです。

それでふと思い出したのは、私が小学生の頃、自宅で飼っていた三毛猫が子供を産み、まだ赤ちゃん猫だった1匹を3軒隣の家に里親に出しました。

やがて子猫は大きくなり、誰かが教えたわけではないのですが、しばらくして我が家の親猫のところに時々遊びに来るようになり、夕方の食事時間になると里親のところへ帰って行くというなかなか微笑ましい里親との関係が続きました。

逆になぜか親猫が図々しく里親の家へ行くことはなく、その辺り猫の中にもなにかルールがあったのでしょうか、謎です。

ペットと言えば犬や猫が代表的ですが、その他に魚類、鳥類、は虫類、昆虫など様々です。内閣府の2010年の調査ではペットを飼っている人の割合は全体の34.3%とのことで、概ね3人のうち1人はなにかしらのペットを飼っているということになります。

飼っているペットの種類は、犬が58.6%と最も多く、以下猫が30.9%、魚類が19.4%、鳥類5.7%、昆虫類3.6%、うさぎ3.3%、ねずみ類(ハムスター等)2.7%、は虫類(ヘビやトカゲ等)2.6%、両生類(カエル、イモリ等)1.8%となっています(合計100%を超えるのは複数のペットを飼っている人がいるため)。

同調査ではペットを飼うメリットも書かれていますが、同様にペット飼育による他人の迷惑についても書かれています。

neko002.jpg他人がペットを飼うことでどのような迷惑を感じるかという質問に対し、「散歩している犬のふんの放置など飼い主のマナーが悪い」が55.9%と最も高く、「猫がやって来てふん尿をしていく」(37.8%)、「鳴き声がうるさい」(31.7%)、「犬の放し飼い」(28.8%)、「咬まれるなど危害を加えられそう」(19/1%)、「悪臭がする」(18.5%)などの順となっています。

個人的には、躾ができていないバカ犬の「鳴き声がうるさい」に、ほぼ毎日悩まされ続けています。よく知ったご近所さんと言うこともあり、解決にはなかなか難しいハードルがあります。っていうか解決は、飼い主は躾ける気も、犬が満足するぐらい散歩に連れ出すこともないようなので、気の長い話しですが犬の寿命がくるまで無理だろうとあきらめてます。

飼い主にとって犬が吠えるのは百歩譲って防犯上のこととかコミュニケーションの一種ということであっても、周囲の人にとっては騒音以外のなにものでもありません。

特に、深夜帰宅する人や、早朝に新聞配達人などに延々と吠えまくり、昼夜を問わず飼い主が家から外へ出ると散歩に連れて行けとばかりに吠えまくり、毎朝、起床時間のずっと前に起こされるのはたまったものではありません。躾もロクにできない飼い主がペットを飼うなんぞ100年早いです。

「犬を飼う十箇条」(または「犬の十戒」、「犬と私の10の約束」とも言う)には躾のことや近所迷惑のことはなにも触れられていませんが、猫を飼う人は最低でもこれを理解してから飼ってほしいなと思います。あとついでに飼い主の十箇条も作って欲しいですね。ちょっと綺麗事すぎるきらいはありますが。


1.私の一生は10~15年くらいしかありません。ほんのわずかな時間でもあなたと離れていることは辛いのです。私のことを飼う前にどうかそのことを考えてください。

2.私が「あなたが私に望んでいること」を理解できるようになるまで時間が必要です。

3.私を信頼して下さい…それだけで私は幸せです。

4.私を長時間叱ったり、罰として閉じ込めたりしないで下さい。あなたには仕事や楽しみがありますし、友達だっているでしょう。でも…私にはあなただけしかいないのです。

5.時には私に話しかけて下さい。たとえあなたの言葉そのものはわからなくても、私に話しかけているあなたの声で理解しています。

6.あなたが私のことをどんな風に扱っているのか気づいて下さい。私はそのことを決して忘れません。

7.私を叩く前に思い出して下さい。私にはあなたの手の骨を簡単に噛み砕くことができる歯があるけれど、私はあなたを噛まないようにしているということを。

8.私のことを言うことをきかない、頑固だ、怠け者だとしかる前に私がそうなる原因が何かないかとあなた自身考えてみて下さい。適切な食餌をあげなかったのでは?日中太陽が照りつけている外に長時間放置していたのかも?心臓が年をとるにつれて弱ってはいないだろうか?などと。

9.私が年をとってもどうか世話をして下さい。あなたも同じように年をとるのです。

10.最期の旅立ちの時には、そばにいて私を見送ってください。「見ているのがつらいから」とか「私のいないところで逝かせてあげて」なんて言わないでほしいのです。あなたがそばにいてくれるだけで、私にはどんなことでも安らかに受け入れられます。

そして…どうか忘れないで下さい。私があなたを愛していることを。
 

あと、これから問題になってきそうなのが、老夫婦だけ、または連れ合いを亡くして独居している高齢者が、犬や猫のペットを新たに飼うことで、その寂しさを紛らわそうとする飼い方が増えてきたことです。

高齢者がペットを飼うことにより、生活に張りが出て、生き甲斐につながるという癒し効果については実証もされていてわかるのですが、そのペットの行く末が気になります。

高齢者ならいつ転んで怪我をしたり、具合が悪くなって病院へ入院するかわかりません。自分がもしペットの世話ができなくなれば、ペットを飼えないマンションに住み、共働きをしている息子や娘達か、それとも犬が好きか嫌いかもわからないご近所さんが仕方なしに世話をしなければならないという事態が考えられます。

少なくとも、もし自分が世話ができなくなった時に、ペットを預かったり引き取ってくれるNPO団体を予め決めておき(お金が必要なら先に支払っておき)、誰かに連絡をしてもらうよう依頼をしておくのが最低限のマナーでしょう。

いずれにしても住宅が密集し、防音対策も緩やかな閑静な住宅地において、家の中で飼う小動物ならともかく、中型犬以上の犬や、外で自由にさせておく猫を飼うのは、50坪以上の庭がある家限定とかにしてもらいたいものです。

またペット税という話しも過去に何度か出ていますが、いまだに結論は出ていません。ペットを飼っていない人にとって、ペットの処分や道路や公園に残された糞尿の始末に多額の税金が使われるのは納得がいきません。

時々ですが逃げ出したペットの大蛇やワニを捕まえるのに、警察官や消防隊まで動員されているのを見ると腹も立ちます。

ペットを飼うのはペットを飼わない人よりも比較的裕福な人ですから、それに課税をしても誰も反対はしないと思うのですけどね。

小さな子供が近所の川で取ってきたザリガニにまで税金をかけられたらそれは困りますが、ザリガニの場合は「これはペットではなく食材だ」と言い張ることができそうです。


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720
世の中は婚活ブームで、やがてそれも収束するのでしょうけど、あと何年ぐらい続くのかさっぱりわかりません。いずれにしても結婚したい男女にとっては、お金も手間もかかるし、やっかいな世の中になってきたものです。

最近はあまりそういうことは言われなくなりましたが、私が結婚した頃(1980年代)ではまだ「結婚というのは家と家との結びつき」みたいなことが言われ、結婚式場でも「○○家、△△家ご両家結婚披露宴会場」という表示が当たり前で、誰もが不思議に思いませんでした。

私が客として招かれるようになった時代、1990年頃からは、仲人を置かないカジュアルな結婚式(披露宴)がボチボチ増えてきて、2000年代には、披露宴は会費制パーティ形式のようなものまで現れました。

まぁそれはそれで、本人達がよければ全然構わないのですが、両親や年配の親戚にしてみると、違和感があり複雑な思いをしているかもしれません。

あと、都会と地方ではその考え方にもまだまだ差があるようで、地方の結婚式へ呼ばれると、仲人さんから聞いていてこちらが恥ずかしくなるような新郎新婦をベタ誉めする紹介があったりする昔ながらの家同士の結婚式が多く、都会のお洒落なレストランを借り切った披露宴ばかり出ているとなにか昭和に戻ったような錯覚に陥ります。

特に田舎の長男坊の結婚は派手婚が多く、その家の名誉がかかっているとばかりに、結婚する本人達の希望や意見よりも両親や祖父母の意気込みが伝わってきます。

少子化が進んだ1980年代以降(合計特殊出生率が2.0を割り込んだのはオイルショック後の1975年)、一人っ子の家が増えていきます。2005年にいたっては出生率が1.26まで下がりましたので、そこで生まれた子供が結婚適齢期となるのは2030年頃です。

折れ線グラフ:合計特殊出生率推移(一人の女性が一生に産む子供の平均数)
データ出典:内閣府政策統括官
syusyouritsu.jpg


夫婦の出生児数推移(棒グラフは最終出生児数の各割合、折れ線グラフは最終出生児数)
データ出典:国立社会保障・人口問題研究所
syusyouritsu2.jpg

グラフをみると1組の夫婦が得る子供(グラフ下の赤線)は2010年には2を切り、平均1.96人と、子供は0か1人という夫婦が2005年以降急速に増えてきています。

最近の平均初婚年齢は男性が31才、女性が29才です。1980年生まれは現在33才ですから、当時平均出生率が1.7ぐらいだった一人っ子の多くがすでに結婚適齢期に差しかかっています。そこでおのずと起きるのが長男と長女の一人っ子同士の結婚です。

ざっくりとした統計データでは、最近の日本人のうち長男、長女がおよそ6割強、次男次女が3割、3男以降が1割未満ということです。

つまり10組の結婚のうちなんと8組以上に長男か長女のどちらか、またはその両方が含まれることになります。一人っ子が増えている中で長男と長女が結婚する確率はおよそ3割にもなってきています。

本人同士はたまたま好きになった者同士が一人っ子の長男と長女であったというだけで、家の事情など関係ないのですが、両親や祖父母にしてみるとこれが大きな問題となってきます。

つまり家系の断絶の危機というわけです。皇太子徳仁親王の一人っ子愛子内親王がもし他家へ嫁入りすれば、直系長子の徳仁親王のお世継ぎがいなくなるのと同じことですね。

天皇家ほど注目されることはないにしても、もし出自がそこそこ地元では名門とされた家系や資産家であったりすると、この跡継ぎ問題はお家の一大事へと発展してしまいます。

そういう家系に生まれた人(男女)は、小さい頃から、嫁や婿をとるものだと言い聞かされていたり、周りから縁談を次々持ってこられたりして、なんとか家系をつなごうと期待されているのでしょうが、今の割り切った若い人にとってはそれらのことははた迷惑に思うだけでしょう。

ただそうは言っても若者の収入の低さを考えると、家を継ぐことで受けられる恩恵もバカにはできず、名門家であれば家や土地など資産も多くあり、将来の損得を考えるとそれになびく人もいるでしょう。

ただ名門家ではなくたいした資産もない家の長男、長女からすれば、その家を継ぐメリットは少なく、逆に親の介護や生活費まで子供が面倒を見なければならないとすると、もう親の意見や要望には耳を貸さないという子供が今後増えてくる可能性があります。

そういう家系はその時点で消滅していくことになり、ご先祖を奉ったお墓も荒れてしまうのではとちょっと心配です。

家を継ぐのは長男の役目という形式も最近は薄れているのか、先に出ていった長男は都会で天職を見つけて田舎には帰ってこず、残った次男が後を継ぐというケースも時々聞くようになってきました。男子が2名以上いると、そのような技が使えて便利です。

本来なら、次男坊は、学校を出ると家を出て、新たな家系を作るべく独り立ちしなければなりません。真っ先に戦争の兵士や移民としてかり出されるのも、たいてい次男坊の役目です。次男ってそうやって都合よく使われてしまいつらいんですよ。

後継者として大事にされ、法律上は平等ですが実態は家や土地など財産のほとんどをそのまま引き継ぐことが多い長男とは違い、子供の頃は着るものから学校の文具まで長男のおさがりが多かったり、親が亡くなった後は、長男夫婦に先取りされてしまい、財産はほとんどを放棄せざるを得ない、基本的には損な役回りを求められます。

その次男坊、実は私もそうなのですが、高校生ぐらいの時だったか、親からこう打診されたことがあります。

「もしその気があるならどこかへ養子にいかない?」

その時はどこかの家へ養子に入れば名前が変わってしまうなぁぐらいにしか思っていませんでしたが、親が言うには、「名門家に養子に入ればたいした苦労もせずに楽ができる」との甘い誘い。

まだ具体的な話しがあったわけではなく、出来の悪い次男坊を思う親心で、私にその気があるなら、将来どこかへ売り込もうと考えていたのかも知れません。

確かに何人かに聞くと、何代も古くから商売や事業をやっていたりする名門家の養子に入れば、その家がやっている商売や、婿入り先の両親の世話は基本的に嫁さんが、つまりそこの娘さんが全部おこない、自分は若旦那(バカ旦那とも言う)として、まったく関係のない外で働くもよし、暇つぶしに実家の商売を手伝うもよしで、好きにすればいいとのこと。なんと言っても一番のお役目は元気な跡取りを作り家系を断たぬようにするためなのですから。

このときは中二病じゃないですが、自分にはもっと大きな可能性が秘められていて、それこそ「末は博士かエリート商社マンか」など勝手に空想していた時でもあり、結婚などまだ考えもしていなかったので、その話しはうやむやに消えてしまいましたが、後で考えるともうちょっと真剣に検討しておけばよかったかなと、ちと反省するというのはよくある話し。

なにが言いたいかというと、「次男諸君!もし将来を不自由なく暮らしたいなら、名門資産家に狙いを定め、そこへ婿養子で入るのが手っ取り早いですぞ!」ってこと。

またそういう婿を必死になって探している女系の家はいくらでもあります。イメージ的には、そう、必殺シリーズの中村主水みたいな感じです。

家の中では婿様と呼ばれてふにゃふにゃですが、一歩外へ出るとお役目の仕事はともかく、自由奔放な生活で好き勝手をやり、しかもいざというときはキリッとして格好いいでしょ?

シンデレラやプリティー・ウーマンに代表されるような、女性が玉の輿を狙うことは常識ですが、男性も次男坊にこそ許される(長男でも両親をキッパリ捨てればいいのだが)特権というか、双六で言えば一気に十も二十も先へ進めるビッグチャンスってことです。

なので次男の場合はあまり拙速に身を固めてしまわず、ジックリと戦略を練ればいいのです。

土地や財産などがある名門家に養子に入ればどのようなメリット、デメリットがあるかって?

まず生涯よほどの下手を打たなければお金で苦労をすることはないでしょう。義理の両親や祖父母からもらう小遣いや生活費とは別に、自分で働いて得たお金は全部自分のために使えます。

住宅ローンの心配も、子供の教育費の心配も、親の介護の心配も、自分の老後の心配も不要です。もちろん結婚するときには結納金として高級外車が1台ぐらいは買えるお金をもらいます(そういう家にしか養子に行ってはダメ)。

但し最低限覚悟しておかなければならないのは「追い出されてしまう犯罪やバレるような浮気はダメ(逆に言えばバレなければなにしてもOK)」、「相手の両親に好かれるよう温厚で従順な態度」、「外で働く場合は転勤とか見栄えの悪い仕事はダメ(義理親のコネで役所勤めとかがベスト)」「住むのは義理の両親と同居で、何部屋もある大きな実家(都心のお洒落な高層マンションというわけにはいかない)」ということでしょう。

ドラマで出てくるような劇的な出会いから恋愛に発展し、誰にも邪魔されず二人で幸せな家庭を築き、、、なんて夢想するのは勝手ですが、そういう千にひとつもないようなことに身を削るより、次男坊であれば、親や親戚や情報通の近所のおばちゃんに、養子を探しているお金持ちがあれば考えてもいいと一言頼んでおくのがこういう厳しい時代には一番いい世渡りではないかとアドバイスです。


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michi1.jpg以前、限界集落など過疎化が進んだところでは、商店やガソリンスタンドなど生活に必要な店が次々と撤退し、その地域で人が住むのはたいへんで、その対策として、物流拠点を兼ねる特殊なコンビニ展開が必要だと書いた「小売ビジネスはどこへいくのか」がありますが、もうひとつ地方で成功事例が多い「道の駅」について書いてみます。

道の駅は私もクルマで遠出をする際には必ずといっていいほど利用する便利な施設です。

クルマに「全国SA・PA 道の駅ガイド」を積んでいて、コースを決める際にトイレ休憩や、お土産購入などで寄るために参考にしているのと、その近くを通るときはカーナビが教えてくれるので特に用がなくても寄ってみたりします。

その道の駅は1993年4月に当時の建設省が旗を振り103駅を登録したのが最初ですが、それから今年でちょうど20年、2013年4月現在では約10倍の1004カ所に増えています。

私がまだ学生だった1970年代には道の駅という名称はなく、似たような施設のことは単なるドライブインとか休憩所と呼んでいました。

道の駅に登録するためには、下記のような条件を備えなければなりません。

・24時間利用可能な一定数の駐車スペース、トイレ
・24時間利用可能な電話、情報提供施設を備えた施設
・防災拠点としての機能(断水時でも使用可能なトイレ、非常食・飲料水の備蓄、停電時の非常用電源の確保等)


michi2.jpgあとこれは知らなかったのですが、民間企業が勝手に作れるものではなく、自治体や第三セクターなど公的団体などによる設置や管理が必要のようです。

この点は損失や経済環境の変化などに影響されず、継続して標準的なサービスが提供できるというメリットと、役人が関わり続けることで、運営業者や関連団体への天下り先を確保されてしまうというデメリットがあります。

元々は高速道路におけるサービスエリアやパーキングの機能とイメージで、増えつつあるマイカー旅客のために主要な国道沿いなどに休憩施設を設置していこうというものですが、開設当初から比べて現在ではその役割も大きく変わってきています。

道の駅は駐車場として使える広い場所さえあれば、どこでもオープンが可能です。

つまり過疎の地域で土地だけはいっぱい余っているというところに設置するには最適で、目的はどうであれ、そこに人を集めることができれば自ずと飲食や土産ものなど需要が出てきます。

現在道の駅全体での売上は年間約3500億円ということですから、1駅平均すると年間3.5億円、1日平均100万円近い売上があります。

都会にある平均的なコンビニの1店舗の売り上げがおよそ1日4~50万円ですから、高額な駅前の一等地でなく、タダみたいな土地でその2倍以上の売り上げがあります。

道の駅にどれぐらいの人が集まるかというと、年間で5億人が利用しているとのこと。

東京駅(JR、地下鉄、バスなど)の年間利用者がおよそ4億人ですからそれよりも多い人が全国の道の駅に集まっています。1駅平均すると年50万人が利用している勘定になります。

20年前のできた頃の道の駅は、それこそ愛想もなく、閑散とした建物の中にトイレと自販機、あとはその地域の観光案内のしょぼいチラシが置いてあるぐらいでしたが、最近の道の駅はそれをうまく活用して商売熱心で活気にあふれています。

michi3.jpg午前中に行くと、道の駅が地元の人達の憩いの場となっていたり、早朝に刈り取った野菜や果物を軽トラで次々と運び込まれてくる姿がよく見られます。

遠くの地域から時間をかけて運ばれ、大きさや長さが揃えられスーパーの売り場に並んでいるものとは違い、いかにもみずみずしく新鮮で購買意欲がかき立てられます。

それ以外にもご当地名産品を使ったソフトクリームやラーメンなど、トイレ休憩だけのつもりがついつい買い物や飲食をしてしまいます。

そしてこの道の駅、20年で数が10倍に増えたにも関わらず、登録が抹消されたのはわずか2カ所だけという超優良事業です。

役所主導のハコモノ行政は無駄と失敗の象徴と思われがちですが、少なくともこの道の駅は、利用者や地元業者など誰からも喜ばれ、しかもうまくいっている稀少な成功例でしょう。どれほどの税金がそこに使われているのかは不明ですが。

道の駅は過疎化する町を活性化するにも役立っています。例えば最近よく目立つ野菜や地元の加工食品などの直売所とともに、レストランや日帰り温泉施設、ドッグラン、バーベキュー場、広い芝生の多目的場などを設置しているところもあり、24時間営業のため交代制で、少なく見ても2~300人の新たな雇用が生まれています。

さらにお土産品などを納入する農家や漁業者、地場の工場従業員も、流通コストや卸売り業者のマージンが不要となるので収入が増え、地方に住む人にとって大きな収入源となります。

私が考えるのは、この地方にある道の駅にさらに物資の共同流通拠点(郵便、宅配の共同物流センター)を設置し、高齢者が多くなった個別の家への配達を効率化するため共同でおこない、さらには、スーパー・コンビニ機能、介護サービスや役所の一部の機能、ATMなど金融機関機能、ガソリンスタンドの併設などをして、高齢者がわざわざ遠くの大きな町へ出掛けなくてもよい仕組みを作ることです。毎日でなくとも週に数日開業する診療所や薬局、学習塾を併設してもいいでしょう。

今までは地方の道の駅と言えば都会からやってくる利用者のための施設、サービスであったものが、これからは地元の特に遠くまで出掛けるのが不自由な高齢者にも活用される拠点となれば、過疎化した地方でも多少は住みやすくなるのではないかなと考えています。


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 702 アマゾンジャパンは国内の小売り業を破壊するか?
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