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853
暗く聖なる夜(講談社文庫)(上)(下) マイクル・コナリー

著者の代表作「ハリー・ボッシュシリーズ」の9作目(友情出演?しているテリー・マッケイレブが主役の「わが心臓の痛み」を含めれば10作目)の2003年(日本翻訳版は2005年)の作品です。

ハリーの正式名はヒエロムニス・ボッシュで、ロス市警の同僚などちゃんと発音できないことから、通称ハリーですべて通しています。

もちろん「ヒエロムニス・ボッシュ」は15世紀ルネサンス期の画家と同姓同名で、母親が名付けた命名の由来も過去の小説の中に書かれています。

このボッシュシリーズは、1992年に読んだシリーズ最初の作品「ナイトホークス」を筆頭に、ほとんど読んでいますが、この「暗く聖なる夜」と「シティ・オブ・ボーンズ」(2002年)だけがなぜか漏れていて、今回見つけたので買ってきました。

この作品では、50歳を過ぎた主人公ボッシュが、刑事としての適正と限界を感じ、ロス市警を辞職し、私立探偵の免許を取得しています。

マイクル・コナリーもローレンス・ブロックが描くマット・スカダー同様、著者と主人公の年齢をほぼシンクロさせ、どんどん年を取っていくスタイルです。それだけに主人公の考え方や行動が、それなりの年齢に応じ、また相応しくなっていて好感が持てます。

主人公がずっと年を取らないロバート・B・パーカーの「スペンサーシリーズ」はそれはそれでもいいのですが、実は読む側も年を取っているので、読んでいると段々きつくなってきます。

読者自身、カツオと同年代だと思っていたら、いつの間にか波平さんと同年代になっていたことに気がついてショックを受けるって感じでしょうか。もちろんカツオ君はいつまでも若いままです。

今回のストーリーは、探偵の仕事ではなく、刑事時代に未解決だった謎が多い殺人事件について、中途半端なまま取り上げられてしまった経緯があり、自分に納得させるつもりで、その事件解決に再び取り組み始めます。

別れた妻(元FBIで、現在はカジノでプロのギャンブラー)との関係、過去の事件にまつわる対テロ組織、警官として動けないジレンマ、元同僚たちとの関係など、様々な阻害要因をふりきって、事件の核心をあぶり出し、迷宮入りしたと思われた二つの大きな事件の真相に迫っていきます。

結果は思わぬ方向へと進み、読んでいて意外性があり面白かったのですが、FBI捜査官に恨みを買って当然ケアしなければならない予防措置をろくに取らず、その結果自宅で急襲されたりと、やり手の主人公にしてはアマチュア的でちょっとちぐはぐな感じも受けます。

著者別読書感想(マイクル・コナリー)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

ロード&ゴー (双葉文庫) 日明 恩

2009年に単行本、2012年に文庫化された小説です。Fire's Outシリーズの「鎮火報 Fire’s Out」や、武本・潮崎シリーズの「それでも、警官は微笑う」など著者の作品はすべて気に入っていています。

お仕事内容がよく反映されている小説と言うことで、林業従事者を描いた「神去なあなあ日常 」や、出版社の辞書編集室で働く人を主人公にした「舟を編む 」などの三浦しをん氏とも作風が少し似通っているかなと思いますが、著者の場合は、もっぱら警察官や消防士といった公務員系が多いのが特徴です。

また同じ公務員を主人公にすることが多い真保裕一氏は、ミステリーやハードバイオレンス、国際陰謀などへと展開していくのに対し、著者の作品は、あくまでファミリードラマ的でコミカルです。

この作品は東京消防庁で働く消防隊員を描いた「鎮火報」と同様、消防署勤務の救急隊員を主人公にした作品で、その「鎮火報」で活躍した主人公大山雄大とも知り合いで、10代の頃は暴走族をやっていた元不良という設定です。

タイトルの「ロード&ゴー(Load and Go)」とは、正式な救急概念で、「頭頚部~体幹の生命に危険のある損傷など、重症外傷現場においては生命に関わる損傷の観察・処置のみを行い、他の観察・処置はすべて省略し、できるだけ速やかに(5分以内)現場を出発すること」こととされています。

この小説では渋谷の路上に吐血して倒れている患者を帰署途中の救急車が発見し、無線で「ロード&ゴー」をセンターに伝えます。

救急車や救急隊のことは消防車や警察のパトロールカーほど一般的には知られていませんが、この小説ではその活動内容が詳細に描かれています。本文の中にも書かれていましたが、同じ消防署にありながら、過去の経緯から「消防署」とは言っても「救急署」とは言わない、消防署の中ではどちらかと言えば日陰者に近いのが救急隊員です。

その救急隊の日常勤務や、よくトラブルになる不合理なことを言うモンスター患者や、付添人との関係、搬送先病院が見つからずに、重篤な事態を引き起こしてしまう社会問題などを、あり得なさそうな派手な事件を使ってドラマに仕立てています。

そのうち、鎮火報とセットで、テレビドラマか映画化でもされそうな気がします。もちろん東京消防庁の全面協力という図式になるのでしょうが、それをきっかけに、救急車をタクシー代わりに使ったり、自分で行けるに関わらず、病院で何時間も待たされるのを避けるため救急車を呼んだり、1人住まいの家でドアに鍵をかけたまま救急車を呼び、部屋に入るため鍵を壊すとあとで抗議されたりとか、理不尽なことが減るといいのですけどね。

著者別読書感想(日明恩)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

寝ても覚めても (河出文庫) 柴崎 友香

今年2014年に「春の庭」で第151回芥川龍之介賞受賞された著者のデビューは2000年ですから、新人とは言えない既に多くの作品と実績ともった作家さんです。

過去には「その街の今は」(2006年/文庫版2009年刊)を読みましたが、大阪の情景がうまく表現されていました。この小説は2010年に単行本、2014年に文庫版が出ています。

主人公は大阪に住む若い女性朝子が淡々とした一人称で生活を語っていくのですが、やがて好きな人が現れてつき合い出すものの、中国へ旅立ってしまいそのまま別れてしまいます。

劇団をやっている友人の手伝いで東京へ出て、そのまま東京で暮らすことになりますが、そこで別れた元彼とそっくりな男性に巡り会います。

と言った、平凡で、抑揚のない、普通の人の青春時代の10年間ぐらいが綴られている小説ですが、これが著者の作風らしく、日常のなにげない日々を著者の感性のおもむくまま映し出しているのが特徴です。

考えてみれば、この小説では誰も死なないし、殺されない、そういう意味ではたいへん貴重で珍しい小説とも言えます。

つまりこの小説では、若くして白血病に罹り、恋人を残して亡くなったり、愛する人が少年に殺されてしまったり、ヤクザや殺し屋が次々と人を殺しまくったり、政治家が自分の過去の秘密を握る人物を忙殺したりと、やたらと人が死にまくるその他多くの安易な小説とは一線が引かれているという点ではとてもいいですね。

私には、あまりにも淡々としすぎていて、小説としてのダイナミズムや知性に欠け、ちょっと物足りなさも感じられますが、これはこれで今の世の中はふわっとしたライトノベルが人気を集める時代ですから、それにもマッチしているのかも知れません。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

やさしい人 (PHP文庫) 加藤諦三

著者は昭和13年生まれの社会学者で、ラジオのニッポン放送の「テレフォン人生相談」のパーソナリティとして30年を超えるキャリアの持ち主です。

また社会学の著書も多数ありますが、私が読むのは今回初めてです。この本は2005年に発刊され、その後文庫化されています。

本著は他の著作と同様に小説ではなく、社会学のひとつのテーマとも言える「やさしい心の持ち方」を書いたもので、自己啓発本としても役立ちそうです。

どういう考え方をするのが「やさしい人」であるのか、その「やさしい人」は周囲からはどう見えるのかなど、わかりやすい言葉で書かれています。なにか著名な宗教家の話しを聞いているような感覚にもなります。

私が心にとめておかねばと思ったのは「過去を捨てれば、今が楽しくなる」で、過去に執着しない、自我を確立させる、内面を充実させて「相手を許せる」ようになる。「今苦しいのはいつまでも過去にこだわるから」というところです。

ただ、なんと言うか、この世知辛い世の中において、ここに書かれている「やさしい人」を現実的に実践するのは至難の業だろうとか、それで厳しいビジネスを成功に導けるのかとか、決して「やさしい人」ばかりではない部下や上司、知人友人、家族とうまくやっていけるのか、など、理想を求めすぎても、、、と思わなくもありません。

なんてことを考える私は、決して本書にあるような「やさしい人」にはなれないんだろうなと、逆にこれを読むと失望してしまいます。

私の場合は、もう長年生きてきて、手遅れでもあり、今後はそれほど社会の中でうまく生きていく必要もないので、どうでもいいですが、本当ならばぜひ理解してもらいたい若い人がこれを読んで、「オレ様もこれからはやさしい人になろう!」とはちょっと思えないだろうなというのが実感です。

生意気な感想ですが、なにかやり方、伝え方が根本的に違っているような気がします。

個人的にはいっそ、反社会的、悲観的な発言も多い戦う哲学者中島義道氏と著者の対談なんかが実現すると、その互いの主張や人生観が激しくぶつかり合って、若い人にも興味を持ってもらえるだろうなぁと、ちょっと意地悪な気持ちになったりしました。ダメですかね。


【関連リンク】
 8月後半の読書 私の嫌いな10の人びと、人間の土地、きよしこ、奇面館の殺人、俺俺
 8月前半の読書 身を捨ててこそ・浮かぶ瀬もあれ 新・病葉流れて、田舎暮らしに殺されない法、秋田殺人事件・遠野殺人事件
 7月後半の読書 蝉しぐれ、博士の愛した数式、砂の女、嘘つきアーニャの真っ赤な真実、田舎暮らしができる人 できない人



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852
前から自分に当てはめて考えてみると、大きな社会問題として顕在化していないのが、不思議に思っていることがあります。

それは、中高年以降の雇用の問題で、終身雇用が崩れてきている中で、多くの40歳以降の中高年者が、この先の雇用についてなんの心配もしていないのかな?と不思議に思っています。

もっと言うと、30代の時に買ったマイホームの住宅ローンを背負い、子供も大学までは出してやりたいが、国公立へ行けるような才能はないので私学の教育費に多額の費用がかかり、さらには夫婦とも両親が高齢化し、そろそろ介護や同居の必要性に迫られていく中で、今の収入を維持したままで続けられるのか?、会社に評価されるのか?、それより会社は大丈夫なのか?厄年を迎えた自分や妻が大きな病気をしないか?など、不安材料がいっぱいありそうで、特に雇用について能天気に安心していていいのか?という疑問です。

確かに労働法にて解雇制限はありますし、少子化に入って十数年前から労働人口の減少も確実に進んできているので、そう易々とリストラされたり、肩叩きが行われるということはないのかも知れませんが、終身雇用が社会制度として根付いていた団塊世代の頃と比べると、突然解雇されるリスクは、以前よりはるかに高くなっていることも事実です。

また経営者にとって都合がよい成果主義や実力主義の導入で、年功主義、序列主義というものが崩壊し、若い人達からすると一見「素晴らしい!」となりますが、その若い人もやがては中高年になり、新しいことへの習得能力やチャレンジ精神が衰え、体力が落ち、どこかしら健康を害し、家族に多くの時間が取られ、限界を感じて労働意欲にも陰りが見えてきたときに、「こんなハズではなかった」と思い知るときが必ずやってきます。

中高年者と、若者とがガチで仕事の勝負をすれば、経験や人脈以外では中高年にはまったく分がありません。

その経験も次々新しい技術や理論が導入されるに従い、さほど優位性があるとは言えなくなってきています。

元々、今の40代以降の人達は、日本経済が好調だった時の新卒採用で、企業も採用する際には基本的に「終身雇用」を約束していました。またそうしないと、まともな採用ができなかった時代です。

その終身雇用が当たり前と思っていたら、バブル後には倒産や工場・事業所の閉鎖、そして早期退職、指名解雇、片道出向など様々な状況変化で雇用が脅かされてきました。

ひとまずそれらを乗り切ってきた人も、いつまた同じような雇用危機がくるのではないかと考えていても不思議ではありませんし、2008年のリーマンショック後も、その余波を受けて、多くの人が職を失ったり居場所がなくなっています。

特に40代と言えば、一般的には働き盛りであると同時に、子供が成長し思春期に入り、また学費が大きな負担となる時期であり、さらに家を買って住宅ローンを支払い、親が高齢になり、介護や療養、入院費用が必要と、責任も負担も人生で一番大きくなるタイミングです。

「もし自分に癌が見つかったり、事故に遭って働けなくなったら?」
「家族や両親が寝たきりの病気になってしまったら?」
「親が認知症に罹ってしまったら」
「子供がニートや引きこもりになってしまったら?」
「業績悪化で会社の大規模リストラが始まったら?」
「今の仕事の多くが海外へ移転してしまったら?」
「会社が外国企業に買われて、情け容赦ない合理化を図ったら?」


など、悪いことはいくつでも考えられます。

少し前の記事ですが、上記のような中高年者の雇用問題について、このようなものがありました。

 オレ、定年まで働けるの? 中間管理職がハマる意外な落とし穴(誠)
「先のことを考えると不安になります。いまの会社にいつまでいられるの分からないですし、定年まで勤め上げるというイメージが持てないです」
キャリアを考えるイベントなどに呼ばれて話をしたり、プロデュースをしたりする立場上、そういう悩みを参加者から打ち明けられるケースは、枚挙にいとまがありません。数年前は、そういう話をする人は、20歳代後半から、せいぜい30歳代前半あたりの年齢の人が多かった。ですが、最近は40歳代後半あたりの「中間管理職」と呼ばれる世代の人から、切実な表情で相談されるケースが増えてきました。
(中略)
現状維持、つまり、いままでの仕事の延長線上を肯定し切れないという不安が、40歳代後半の管理職を襲います。かつては、ある程度のポジションに就いていたなら、将来もある程度約束されていました。よい意味で「先が見えていた」のです。しかし、少し先のことですら、約束してくれない世の中です。現状を肯定せよと無邪気に話をしても、それは無理な相談。

やはりこの年代に雇用の不安は確実に拡がっているようです。ただ、この手の話しはなぜか表面化せず、問題は顕在化しにくいようです。

もうひとつ見つけました。

 46歳派遣、コールセンター勤務。年収350万円(プレジデント)
就職難で“正社員メンバーシップ”に入れてもらえず、キャリアアップの望み薄な低賃金のポジションに甘んじ続ける若年層―世間の抱く非正規社員像はそんなところだが、ここにいつしか40代男性を散見するようになった。日本の“失われた時代”の長さの証拠だが、企業に必要な人材か否か以前に、そのコストの調整弁扱いされる彼らは、人生の折り返し点を過ぎた今、何を思うのか。

上記のミドル派遣社員は独身で、わりと自分の好きなことを自由にやって生きたいという意志が明確なので、さほど問題とは思いませんが、そのように割り切れる人は、そう多くないのではないでしょうか。

ただし上記の方もいつまで今の仕事があるのか?その先は?という難題について考えないわけにいかないでしょう。

さらに40歳代ならまだ仕事にありつけたとしても、50代になった場合の仕事探し、そして年金がもらえる65歳までの収入を考えると、どうにも危うい綱渡りをしているとしか思えません。

それは政治もマスコミも「若い人や女性の雇用問題」については、ニュースバリューもあり、改革を叫べば国民に受け入れられやすいのですが、中高年者の雇用問題となると、なぜか「それは本人個人の問題でしょ」と突き放されてしまうようなところがあります。

私の個人的見解では、若い人の雇用問題は、少子化のため有効求人倍率も徐々に高くなってきている中で、そう心配はしていないのですが、子供の教育、親の介護、住宅、冠婚葬祭、交際など、一般的に人生で一番お金が必要な中高年者の雇用問題こそが、一番の気がかりです。

上記の最初の記事では「なにかと心配するより、目の前の仕事で成果を出すことがベスト」という、平凡なカウンセラーが導き出すようなちょっと残念な対策しか書かれていませんが、今のところそれしか方法はないとも言えます。

自分(56歳)の状況について少し書いておくと、今の会社に転職して12年、就業規則上の定年まではあと4年です。

幸いにも60歳の定年までは会社が倒産したり身売りでもしない限り、今までと変わりない条件で勤め上げられそうですが、その後の年金生活に入るまでの5年間については雇用の保証はありません。

高年齢者雇用安定法で65歳までの雇用延長が決まっているというのは、大企業の場合ならともかく、中小企業ではいくらでもその抜け道があるので信用できませんし、またプライドなどかなぐり捨て、大幅に条件や待遇が悪くなってまで同じ職場で働き続けるか?という問題もあります。

しかし住宅ローンは、一時期無職になったとき、月々の支払額を減らすために、5年間の期限延長をしたため、62歳までの支払いが残っていて、60歳以降も収入が必要です。基本的に退職金はないので、一括返済できる予定もありません。

つまり、4年後には今の会社で拝み倒して給料が半分以下になっても61歳以降も勤めさせてもらうか、他の道で収入を得るかの二者選択を迫られるということになります。

今の40代、50代の人には、私なんかよりもっと厳しい状況の方もたくさんいらっしゃると思うのですが、そういう方の話しは滅多に伝え聞くことがなく、実際に厳しい環境に置かれた時に、どのような決断をされたのか、どう考えたのか?ということを知りたいものです。


【関連リンク】
807 労働人口と非労働人口推移と完全失業率
804 高齢就業者と非正規雇用
782 転職適齢期というのがあるとすれば
649 改正高年齢者雇用安定法
546 年金受給年齢の引き上げと高齢者雇用



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851
この夏に、松尾芭蕉が辿った奥州路を走り、芭蕉も船下りをした最上川を見てきたこともあり、その芭蕉の生涯と有名な俳句を簡単にまとめてみました。

松尾芭蕉といえば、小学生でも知っている「奥の細道」などに出てくる多くの俳句で有名な俳人ですが、なぜか映画やドラマでその生涯を取り上げられることはなく、あまり知られていないのではないでしょうか。

つまり「これだけ押さえておけばあなたも芭蕉フリークになれる!」というまとめです。但し、年代(西暦)と年齢に一部不整合がありますが、調べても諸説あったりしてハッキリしないためご容赦ください。

松尾芭蕉の生年は諸説ありますが、一般的に定説と言われているのが1644年(正保元年)ということなので、それにしておきましょう。

その芭蕉が生まれた今から370年前とはどういう時代だったかと言うと、戦国時代が終わり、徳川3代目の将軍徳川家光が政権につき、比較的落ち着いていた平和な時代ですが、この時代に鎖国政策、キリシタン弾圧(島原の乱)、参勤交代などが国の制度として確立されました。お隣の中国では明が清国に征服され滅ぼされ、英国ではピューリタン革命が起きています。

芭蕉は父、松尾与左衛門、母は梅の次男として現在の三重県伊賀市に産まれます。幼名は金作、通称は甚七郎他、この地で29歳まで過ごします。

なんと生家は最近になっての復元ではなく、当時の木造住宅が残されているんですね。ただし1854年(160年前)の安政の大地震で被災し、改築されたということですが、当時の面影はそのまま残っているそうで驚きです。

芭蕉翁生家(伊賀市上野赤坂町304)

1662年(芭蕉19歳)頃、2歳年上の長男良忠とともに京都にいた歌人北村季吟に師事し、俳諧の道に入ります。現在判明している最古の句は、1962年に詠んだ句で、

『春や来し 年や行けん 小晦日』

です。

1672年(29歳)の時、処女句集「貝おほひ」を上野天神宮(三重県伊賀市)に奉納します。

1674年(31歳)に江戸へ立ち、しばらく日本橋に住んだ後、1677年頃(32歳)には現在の文京区にある関口芭蕉庵に居を構えます。

当時の平均寿命は50歳ぐらいと言われていますので、当時の31歳といえば、今の感覚で言うと55歳ぐらいの中高年となります。意外と晩成型だったんですね。

そう言えば芭蕉の肖像や銅像を見ると、たいていは年寄りじみた面立ちや姿格好に描かれることが多いようですが、実際に亡くなったのは51歳ですから、イメージがちょっと狂ってしまいます。

関口芭蕉庵

そして1680年(35歳)の頃に、現在の江東区深川近くに転居します。

深川芭蕉庵跡

1684年(39歳)に芭蕉は『野ざらし紀行』の旅に出ます。その出発の時に詠んだ句が

『野ざらしを 心に風の しむ身哉』

で、それが紀行集のタイトルの由来になりました。

行き先は江戸から東海道を西へ向かい、生まれ故郷の伊賀を始め、大和(奈良)・吉野・山城(京都)・美濃(岐阜)・尾張(愛知)・木曽(長野)・甲斐(山梨)を廻わり、江戸に戻ったのは翌年の1685年(40歳)です。この旅の後半、熱田で詠んだ句が、

『山路来て何やらゆかしすみれ草』

です。

江戸に戻り1686年(41歳)の発句会で、今や小学生でも知っている有名な句

『古池や 蛙飛びこむ 水の音』

を詠みます。
また1687年(42歳)には、

『月はやし 梢は雨を 持ちながら』
『花の雲 鐘は上野か 浅草か』

の句を詠みます。

1687年には再び旅に出て、東海道を下り、鳴海・熱田・伊良湖岬・名古屋などを経て伊賀上野に入り、1688年(43歳)に伊勢神宮を参拝し、その後吉野・大和・紀伊(和歌山)と巡り、さらに大坂・須磨(兵庫)・明石を旅して京都にたどり着きます。

東海道を下っていた時、旧友と会った満開の桜の木の下で詠んだ句

『命二つの 中に生きたる 桜哉』

奈良の唐招提寺の鑑真座像の前で作ったとされる句

『若葉して 御目の雫 ぬぐはばや』

は有名です。

京都から江戸へ復路は、『更科紀行』として纏められています。大津・岐阜・名古屋・鳴海を経由し、信州更科(長野)の姨捨山で月を観て、善光寺へ参拝を果たした後、1688年8月下旬に江戸へ戻ります。
善光寺では、

『月影や 四門四宗も 只一つ』

長野の十六夜観月殿で

『いざよいも また更級の 郡かな』

の句を残しています。

江戸に戻った翌年、1689年(45歳)の時に、弟子の曾良を伴い、今度は下野(栃木)・陸奥(福島・岩手・青森)・出羽(山形・秋田)・越後(新潟)・加賀(石川)・越前(福井)などを巡る「奥の細道」の旅に出て、そこで数多くの名句が生まれます。

『あらたふと 青葉若葉の 日の光 』:日光東照宮
『田一枚 植て立去る 柳かな』:栃木県那須町
『夏草や 兵どもが 夢の跡』:岩手県平泉町
『閑さや 岩にしみ入る 蝉の声』:山形県・立石寺
『五月雨を あつめて早し 最上川』:山形県大石田町
『雲の峯 幾つ崩れて 月の山』:山形県鶴岡市
『象潟や 雨に西施が ねぶの花』:秋田県にかほ市
『荒海や 佐渡によこたふ 天河』:新潟県出雲崎町
『一家に 遊女も寝たり 萩と月』:新潟県糸魚川市

この奥の細道の旅、イメージでは相当長い年月をかけて歩いたかと思われていますが、江戸~東北各地~越後~越前~美濃(岐阜)までの約2400kmを約5ヶ月で踏破しています。

奥の細道のルートマップはこちらのものがわかりやすいので参照
芭蕉.com

途中舟に乗ったりもしたでしょうけど、5ヶ月間で均すと1日16kmの道のりは、東海道や中山道のようによく整備されたところばかりではなく、険しい峠や難所、時には道なき道のようなところを歩くことを考えると、昔の人は元々健脚だったと言え想像を絶する速さです。

しかも旅の途中でひとつの宿に何日も逗留していた日も多く、おそらく歩くときは1日に30~40km近くを歩いていたものと考えられます。

伊賀の国の出身と言うことと、この健脚、そして各地の有力藩の要衝や港湾をくまなく見て歩いたことが、時々登場する「芭蕉=忍者(隠密)説」の根拠となっているみたいです。なにか謎めいたロマンを感じます。

東北~越後の旅を終えたあと、そのまま伊勢や伊賀上野、京都へ向かい、1690年(46歳)には滋賀近江の幻住庵に逗留し、しばらく静養します。46歳といえば今で言うと70歳過ぎの感覚ですのでさすがに疲れたのでしょう。

そしてこの近江の地で「「幻住庵記」を著します。この間に詠んだ

『初しぐれ 猿も小蓑を ほしげ也』

も有名な句です。

幻住庵

1691年(47歳)に京都・嵯峨野に入り、知人の俳諧師向井去来の別荘「落柿舎」に滞在、ここで「嵯峨日記」を執筆します。その後京都の医師で俳諧師でもあった野沢凡兆宅に移りますが、同年9月には京都を発って10月に江戸の芭蕉庵に戻ります。

この頃に詠んだ句として、

『物いへば 唇寒し 穐(あき)の風』

があります。

そして1694年(51歳)5月に江戸を立ち、今度が実質的に最後の長距離の旅となる伊賀上野、奈良、京都、近江へ出向きます。本当に人生後半になってからよく旅に出る人です。
その旅で詠んだ句が、

『菊の香や 奈良には古き 仏達』
『此道や行人なしに秋の暮』


その後、弟子の依頼で大坂へ入り、そこの句会で詠んだのが、

『秋深き 隣は何を する人ぞ』

です。

しかしタフな芭蕉もとうとう病に倒れ、発熱と頭痛のため、旅先の大坂で病床に伏せます。病気は諸説ありますが食中毒というのが一般的で、当時としては高齢の上、旅の疲れや、弟子達の争いの仲介などで心身とも疲れ果て身体の免疫力が低下していたとも言われています。

その病床で最後に詠んだ句とされるのが、

『旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る』

です。生涯各地を旅して歩いたいかにも芭蕉らしい句です。

1694年10月12日に51歳で死去。遺骸は近江の義仲寺に運ばれ、翌日には亡くなる二日前に書いたとされる遺言に従って木曾義仲の墓の隣に葬られます。

義仲寺(滋賀県大津市馬場1丁目)

芭蕉の句碑(芭蕉塚)は、沖縄県を除き全国46都道府県に3000カ所以上あり(北海道、九州、中国、四国へは行ってないと思うのですが)、中でも多い場所は、生誕の地三重県、ではなく、長野県と群馬県で、その数200カ所を超えます。次が山形県、埼玉県、新潟県で100カ所以上あります。

余談ですが「松島やああ松島や松島や」は、かつては芭蕉の句として有名でしたが、近年の研究では別人の句というのが定説になっているようです。

そのうち斬り合い、殺し合い、謀略ばかりが目立つ最近のNHKの大河ドラマに、江戸時代に花開いた文化と平和の象徴でもある「松尾芭蕉」が取り上げられることがあっても不思議じゃないですね。

【関連リンク】
846 みちのく急ぎ旅 前編
678 東北巡り
485 マイカーで東京から京都まで旅行する場合 その1
320 五月雨をあつめて早し



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850
6月に佐世保で起きた女子高生猟奇殺人事件は、同級生の15歳女子高生が起こした事件ということで社会を驚愕させました。

また8月には津山で無職の17歳が、交際中の26歳女性を殺害し遺棄するという事件が発生し、ここのところ少年少女が主体的に関わる事件が頻発しているような印象があります。

そこで過去の統計をちょっと調べてみました。

先に、一般的に思われていたり、私がそうじゃないかという仮説をいくつかあげておくと、

1)未成年者が加害者となる刑法犯罪は増える傾向にある
2)未成年者が加害者となる凶悪犯罪のうち殺人や強姦は特に増える傾向にある
3)未成年者が被害者となる犯罪も増え、その低年齢化が進んでいる
4)すべての犯罪の中に占める未成年の犯罪率が高まってきている
5)児童(13歳以下)虐待が増えてきている

データの出典は警察庁生活安全局少年課の「平成25年度版少年の補導及び保護の概況」からです。

まず、1949年から昨年2013年までの「刑法犯少年の検挙人員及び人口比の推移」を見てみると、下記のグラフのようになります。これは比較的重大な犯罪(刑法犯)の国内での検挙数と、その時々で少年(以下未成年の意味)の数も変わってきますので、人口比で現したものです。

刑法犯少年の検挙人員及び人口比の推移


このグラフを見る限り、1)の「未成年者が加害者となる刑法犯罪は増える傾向にある」という仮説は間違っていることが明らかです。犯罪数(検挙数)も、そして少子化が進んでいる人口比の率も長期的には下がっています。

検挙数や率が低いから実際に起きている犯行数が減っているのかと言えるかどうかは、一般論として全体の検挙率は2~30年前と比べると大きく下がっていますが、この10年間を見ると横ばいか逆に回復傾向にあるようなので、確実なことは言えませんが検挙率による影響はあまりないと言っていいでしょう。

次に、少年の刑法犯の中でも凶悪犯罪(殺人、強盗、放火、強姦)の中では、どの罪種が、どれぐらいの割合で発生しているのか10年間の推移です。

凶悪犯少年の罪種別検挙人員の推移


少年の凶悪犯罪の中で圧倒的に多いのは、強盗ですが10年前と比べると半減しています。次に放火も4割近い減となっています。しかし殺人や強姦はわずかに約1~2割の減に留まっています。

つまり少年犯罪の総数は強盗や放火を中心に大きく減ってきているものの、殺人や強姦といった犯罪は少子化で少年の数が減っていることを考えると、この10年間ほぼ横ばいで推移しているとも言えます。

「たった10年間の推移だけじゃわからんじゃないか!」という天の邪鬼な方の声にお答えして、1949年(昭和24年)からの殺人、強盗、放火、強姦の推移も載せておきますね。

刑法犯少年の凶悪犯罪種別検挙人員の推移


1957年頃から1969年頃までの未成年者による強姦件数が半端なく多いのが目立ちます。

この時代、なにがあったかと言えば、その相関関係はよくわかりませんが、1946年以降に生まれた、いわゆる団塊世代の中心が11~19歳(未成年)の頃です。

つまり凶悪犯罪を起こす人の割合は、人口に対し一定の割合でいて、この頃未成年者の人口が爆発的に増えたので未成年者の凶悪犯罪数も大きく増えたってことなのでしょうか。

また割と最近の1997年から2005年頃までは強盗件数が急増しています。

逆算すれば1982年~1990年頃に生まれた人達が未成年者だった頃で、一般的に団塊ジュニアとされる1970年代生まれの世代よりは少し後の世代となり、物心が付いた頃にはバブルは崩壊していて、その後長引く失われた○○年と言われた就職難の時期を過ごすことになる世代と考えられます。

したがって2)の「未成年者が加害者となる凶悪犯罪のうち特に殺人や強姦は増える傾向にある」は、ここ長期的に見ても短期的に見ても、増えてはいないので「誤り」ということがわかりますが、ここ最近10年間だけを見ると、他の強盗や放火の凶悪犯罪と比べて大幅に減っているわけではなく横ばいに近いというのが気になるところです。

次に、未成年者が被害者になるケースを見てみましょう。

下記は未成年者が凶悪犯罪の被害者となったケースの1972年からの推移です。

少年被害の凶悪犯等の認知件数の推移


そしてここ10年間の刑法犯(凶悪犯含むすべての刑法犯罪)被害に遭った少年(未成年者)の年代区分別推移です。

少年が主たる被害者となる刑法犯の認知件数の推移


2つのグラフを見てわかるのは、
1)未成年者が凶悪犯罪の被害者となるケースは減少傾向にある
2)未成年者が性犯罪の被害者となるケースは2003年頃のピーク時よりは減少しているが高止まりしている
3)逮捕・監禁/誘拐の被害者は40年近く横ばい状態
4)ここ10年間だけを見ると未成年者の刑法犯被害数はすべての年代で減少傾向
5)小・中学生など低年齢層の被害者が特に増えているという傾向はない

ということで3)の「未成年者が被害者となる犯罪も増え、その低年齢化が進んでいる」は、性犯罪被害を除き、減少傾向にあり、また被害者の低年齢化が進んでいるという傾向は特に見られないという、一部はあっているけど一部は間違いという結果になります。

次に、全体の凶悪犯罪の中に占める少年犯罪の割合を推移でみたのが下記のグラフです。つまり20歳未満(未成年)の検挙数を全体の検挙数で割った%です。



ちょっと驚いたのですが、20歳未満と20歳以上では、20歳以上の成人が起こす凶悪犯罪のほうが断然多いと思っていましたが、1950年代後半から1960年代には未成年者の凶悪犯罪が全体の40%近くを占めていて、その中でも特に強姦などは全体の半数を超えている年もあります。

1997年には強盗の検挙数で未成年者が過半数を占めていて過去最高になっています。

犯罪とは直接的な関係はもちろんありませんが、参考までに平凡パンチが1964年、週刊プレーボーイが1966年の発刊で、未成年者を含む当時の若者に絶大な支持を受けていました。

少年の凶悪犯罪がこれほど多いということを不覚にも知りませんでしたが、ひとつには新聞やテレビでは少年犯罪の場合、匿名での報道となり、また刑事裁判も開かれないことが多く、もちろん死刑など極刑もありません。

それゆえニュースバリューがなく、後追いの報道もなされないことから、結果的にあまり視聴者や読者の目に触れず、印象にも残らないということでしょうか。

しかし少しホッとするのは、未成年者の凶悪犯に占める割合が、1990年代後半に一時急増したものの、その後は再び減少傾向にあり、2008年以降は20%を切っていることでしょう。

もっとも未成年者の人口自体が減少していますので、下がって当たり前という見方もできます。

逆に急速な高齢化社会となり、犯罪者の高齢化が目立ってきているようです。

過去記事「高齢者の犯罪が増加

したがって4)の「すべての犯罪の中に占める未成年の犯罪率が高まってきている」は、間違いと言って良いでしょう。

最後は、最近しばしば悲惨な事件として報道され、子を持つ親からすると「信じられない」と思うような児童虐待の検挙件数です。

すべての件数に言えることですが、時代と共に社会が犯罪に対して見る目や、それに応じて警察の取り締まりの方針が変わってきたりして、実際に行われていただろう犯罪数と、統計数字に表れる検挙数とは当然一致するものではありません。

特にこの家庭内での児童虐待については、騒がれ出したのは割と近年になってからで、昭和の時代には体罰や、度を超した躾けなどは、どこの学校や家庭にでもありました(巨人の星など参照)。

それらがやがて社会問題となり、犯罪としてとらえられるようになってきたため検挙件数にも影響が出てきているものと思われます。

ここでは2004年(平成16年)からの10年間に限ってのグラフです。

児童虐待事件の態様別検挙状況の推移


被害児童数(棒グラフ)を見る限りうなぎ登りと言っても差し支えないような勢いで増加傾向にあります。

中でも圧倒的多数を占めるのは身体的虐待で、およそ70%を占めています。次が性的虐待で、これが20%以上を占めています。

5)の「児童(13歳以下)虐待が増えてきている」は悲しいことですが統計上は正解です。

ただし、実態としては何年も変わっていないものの、新たに児童虐待と認定されたり、検挙されるケースが過去と比べて増えた結果として増加傾向にあるという可能性があることだけは書いておきます。

これらの児童虐待は、家庭内で起きるケースが多く、死亡したり重体になってから病院へかつぎ込まれ、そこで初めて表沙汰になるということが多く、性的虐待も含め、表面化しないケースがまだ相当数あるのではと考えられます。

児童相談所やホットラインといった行政の取り組みも大事ですが、こうした家庭内犯罪撲滅にもっと積極的で厳罰を科す欧米各国に学び、虐待される不幸な子供がいない国に早くしてもらいたいものです。

そうすることで、少年時代のトラウマや精神的に子供の頃受けた虐待の傷をもったまま大人になり、再び自分の子供に対しても同じ事を繰り返してしまう暴力の連鎖、負の連鎖を断ち切ることができるのではないでしょうか。


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825 行方不明者と顔認識システム

799 成長するという妄想

777 成人の力 国際比較

740 高齢者の犯罪が増加

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私の嫌いな10の言葉 (新潮文庫) 中島義道

過去には「「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの」「どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?」(いずれもタイトルが長い)の2冊を読んでいます。舌鋒鋭く、社会への批判や、気持ちよくマイノリティな持論を展開する、元電気通信大学教授、人呼んで「戦う哲学者」の作品です。

実は買うつもりのリストには入っていなかったのですが、チラッと下に書いた目次を見てしまったのが運の尽き、すぐに買ってしまいました。

その目次には、下記のような「嫌いな10の人びとの特徴」が記されていました。

(1)笑顔の絶えない人
(2)常に感謝の気持ちを忘れない人
(3)みんなの喜ぶ顔が見たい人
(4)いつも前向きに生きている人
(5)自分の仕事に「誇り」をもっている人
(6)「けじめ」を大切にする人
(7)喧嘩が起こるとすぐ止めようとする人
(8)物事をはっきり言わない人
(9)「おれ、バカだから」と言う人
(10)「わが人生に悔いはない」と思っている人

奇をてらったタイトルで人の関心を集めようとする安っぽいジャーナリストや評論家とは違い、それぞれの内容について自身の考え方をひとつひとつ真剣に丁寧に説明されています。それらからわかったことは、著者はやっぱり変わり者だという点と、正直者であるということ。

もちろん、これらのことがすべて無条件に嫌っていると断言しているわけではなく、「自分はこういう人をこう思う」「自分の考え方はこうなのです」という自己主張です。

それがまた面白くてついつい頷いてしまったり、逆に「そりゃーあんたがわがままなだけでしょう」って毒づいたりして楽しめます。

しかし著者のように、こうした自己主張の強さを前面に出して生きていくには、今の世の中は決して寛容ではなく、息が詰まってしまう気がしますが、そんなことはいちいち、気にしてはいけないのでしょうね。

この著者の講演を聴きに来た人の中に、あまりの内容にショックを受け、精神に異常をきたした人がいるとも書かれていましたので、さもありなんとニヤリとしたりします。

著者ほどは知性も教養も思慮深くもありませんが、天の邪鬼で、人と違った価値観を大事にする私も、人間関係においては著者と比較的同類に近いのかも知れません。

著者別読書感想(中島義道)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

人間の土地 (新潮文庫)  サン=テグジュペリ

1939年と言いますから今から75年も前に出版されたサン=テグジュペリのエッセイ集で、主として第二次大戦前の民間航空機のパイロット時代の話しがメインです。

小説ではないので、特に物語があるわけではなく、パイロットという仕事を通して、世界中で見てきたもの、感じたこと、友情やアフリカの奴隷制度など、幅広い話題で淡々と書かれています。

特に「砂漠のまん中で 」では、サハラ砂漠の上空で砂嵐に巻き込まれ前後不明となり、砂漠に不時着したときのことが書かれていますが、この死をもっとも身近に感じた時にあの名作「星の王子さま」の着想を得たと言われています。

それは奇跡的に砂漠に不時着したものの、当然その場所はわからず、しかも食糧も水もほとんどない状態で、見るものすべて蜃気楼ばかりで、生死のあいだを彷徨いつつ、そして3日間歩き続け、奇跡的に遊牧民に助けられる始終が書き記されています。

飛行機に乗っていたのがたった1人ではなく、同僚と二人だったのが、最後まであきらめず歩を進められたのでしょう。

そして最後の章では、戦争と人間という第二次世界大戦直前当時のきな臭い世相を現した内容で、著者は広い世界を見てきた知識と教養で、あるべき国家や世界秩序の真の姿がどういうものかを書いています。なるほど、これが後世にも残る名著というものなのですね。

文庫では、訳者の堀口大学(詩人、フランス文学者)のあとがきと、1998年刊の新装版では、サン=テグジュペリの作品にも大きく影響を受けたと言われているアニメ映画監督宮崎駿の解説というか、古き良き時代の飛行機と飛行機乗りの話しばかりですが書かれていて、それも楽しみのひとつとなります。

そう言えば宮崎監督の最後の長編アニメ「風立ちぬ」にも同時代の航空機が数多く登場してきましたが、この本が出版された1939年というのは「風立ちぬ」の主人公堀越二郎氏の設計した零戦の試作第1号機が各務ヶ原で初飛行した年でもあります。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

きよしこ (新潮文庫) 重松清

2002年に単行本、2005年に文庫本が発刊された著者の幼少時代をモデルとした短編作品集で、「きよしこ」「乗り換え案内」「どんぐりのココロ」「北風ぴゅう太」「ゲルマ」「交差点」「東京」の7編が収録されています。

1963年生まれの著者は私と6年違い(私が年上)で、世代的にも違ってきていますが、著者の作品の中では「定年ゴジラ」や「流星ワゴン」「カシオペアの丘で」など若い頃を思い出す中高年を扱った小説が割と好きでよく読んでいます。

この作品は少し前に読んだ「きみの友だち」と同様、ティーンエージャーを主人公とする連作短編集という点で似ていますが、主人公は著者本人という設定で、割と自伝的な内容が多いようです。

幼児の頃にあるできごとがきっかけとなり、小中高校時代はカ行とサ行の発音がうまくいかず、どもってしまうことから、それが嫌で同級生とも気軽に話しをすることができず、なかなか友人にも恵まれません。

また親の仕事の関係で、たびたび転校があり、そのたびに自己紹介の時名前の「きよし」がスムーズに言えず、自己嫌悪に陥ってしまう少年時代を送ります。

この小説のきっかけになったのは、やはり吃音の障害を持つ子供の母親から手紙が来て、「吃音なんか気にしないで…」というその「なんか」に違和感を覚え、手紙の返事は書かず、そうした障害に真剣に悩む子供達に向けて書いたという体裁になっています。

タイトルの「きよしこ」とは、主人公が子供の頃に、クリスマスに流れる「きよし この夜」を「きよしこ の 夜」と理解してしまい、その自分の投影でもある少年「きよしこ」が夜になると自分のところへ遊びにやってくると夢想していたことからの発想です。

著者別読書感想(重松清)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

奇面館の殺人 (講談社ノベルス) 綾辻行人

著者は1960年生まれで、大学院を卒業後も就職せず、そのまま専業の作家となった珍しい経歴の方です。

働かずとも生活には心配がないほど実家が裕福で、環境に恵まれていたのでしょうか。最近の芸術家というものはそうした境遇にも恵まれないとなかなか生まれないものです。

著者の作品では過去に1冊だけ「最後の記憶」を文庫化された2007年に買って読んだことがあり、今回で2冊目です。

この小説は、著者の代表的なシリーズ作品で、「十角館の殺人 (講談社文庫)」から始まる「館シリーズ」と称されているその9作目です。

「館シリーズ」は、故人となっている建築家中村青司という架空の設計家が建てた奇妙な謎の多い館に興味を持った主人公、ミステリー作家の島田潔(ペンネーム鹿谷門実)が訪れて、そこで起きる殺人事件の謎を解いていくというものです。

怪奇小説やミステリー小説では、このような謎が多い邸宅がそのトリックによく使われますが、現実の社会でも、何年も多くの女性を監禁してきた地下室付きの家や、誘拐した少女を自分好みに育成するための防音処理を施した監禁部屋など、小説にも負けず劣らずの奇人変人も実際にいるわけですから、小説で奇想天外な家があっても不思議ではありません。

こういう謎解きものは内容を書いてしまうわけにもいかないので、省略しますが、白状すると、いつも寝る前に少しずつ読んでいたのですが、そのせいか、しばらくのあいだ夢見が悪く、怪奇な変な夢ばかりみて困りました。

と言うのも、この小説では西洋風の金属でできた顔の表面だけでなく頭全体をスッポリと覆う鍵付きの仮面が登場してきますが、私が10歳になるかならない子供の頃に読んで、一種トラウマになってしまった楳図かずお氏の恐怖漫画「笑い仮面」の残虐さを思い出してしまい、少々気持ちが悪くなったことを付け加えておきます。

著者別読書感想(綾辻行人)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

俺俺 (新潮文庫) 星野智幸

2011年第5回大江健三郎賞を受賞した作品で、昨年(2013年)には亀梨和也主演で映画にもなっています(見ていませんが)。

著者は、大学卒業後に新聞記者となり、その後海外留学などを経て、1998年に作家デビューした方で、比較的地味目な純文学志向の作風で、私がその作品を読むのはこれが最初です。

内容はタイトルでもわかるように、ふとしたきっかけで「オレオレ詐欺」を働くことになった主人公ですが、その犯罪小説というわけではなく、それをきっかけとして、いくつもの別の自分と出会うことになるというミステリーチックというか、徐々に読者も一緒に精神不安定になりそうな、よくこれほどまでにオレオレ詐欺から発展した奇想天外なストーリー展開ができるものだと感心するやら呆れるやらです。

一応最後まではキチンと読み通しましたが、途中で何度か断念しそうになりました。

少し前に読んだ「砂の女」のような純文学がなによりも好物っていう人にはいいのかも知れませんが、私のような凡人には、あまりにも内容が突飛過ぎて、そして読めば読むほど意味不明になってきて、結論もなにも見つけられず、ただただ、読み通したというだけで、うろたえて本を閉じて片付けるということになってしまいます。

さすが大江健三郎賞の受賞作だけあって、精神衛生上感想もなにも書きようがありませんが、怖いもの見たさに読むならどうぞって感じです。


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