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子供の頃は関東では放映されていない吉本新喜劇を毎週欠かさずテレビで見ていたこともあり、上方の漫才や上方落語の「単純な笑い」が結構好きです。しかもそれは1980年以降、漫才ブームが起きる以前のものに強く印象が残っています。

私の子供の頃、好きだった上方漫才コンビ(グループ)と言えば、

海原お浜・小浜(1933~1976年)
 私の母が好きだったコンビで奥目でゴリラのようにでかいお浜と、小柄色白ぽっちゃりの小浜のコンビは姉妹ではなく親戚同士
中田ダイマル・ラケット(1934~1982年)
 ダイマルのカバのような容姿とそれに相反する知的な語り口に圧倒されました
平和ラッパ・日佐丸(?)
 独特のしゃべり方がそれだけで爆笑を誘いました
夢路いとし・喜味こいし(1937~2003年)
 私の中では上方漫才と言えばこの二人のしゃべくり漫才で、永遠に忘れられない
人生幸朗・生恵幸子(1952~1982年)
 言い方やテーマが気に障ることも「責任者出てこい!」「出てきたらどうすんの」「謝る」が最高
横山ホットブラザース(1952年~)
 メンバーが少し入れ替わっているものの、現役最長かも。あと何年見られることやら
かしまし娘(1956年~)
 いまも3人ともご健在。漫才はしていないが、映画ではみんな年季の入ったいい脇役をしている
漫画トリオ(1960~1968年)
 横山ノックと上岡龍太郎のふたりの強烈な印象が強いけど、わずか9年間の結成でした
Wヤング【平川幸男、佐藤武志】(1964年~)
 初代Wヤングはひとりが1979年に自殺し漫才ブームに乗れなかった。今は第2次Wヤング
横山やすし・西川きよし(1966~1989年)
 ライバルだったWヤング(初代)が失速しその代わりに急浮上。人気が出た後は面白くなくなった
コメディNo.1【前田五郎、坂田利夫】(1967~2009年)
 たいへん好きだったが、前田五郎の中田カウス宛の脅迫状事件容疑でコンビ解散、残念
レツゴー三匹(1968年~)
 今年2014年5月にレツゴーじゅんが亡くなり二人になったけど、そのまま三匹で続行
中田カウス・ボタン(1969年~)
 1970年代はまだ若手漫才師だったが今や重鎮。とぼけた感じのカウスが大人気
海原千里・万里(1971~1977年)
 伝説にもなった千里(上沼恵美子)のしゃべくり芸は超一品。77年に千里の結婚で解散
今いくよ・くるよ(1971年~)
 くるよのビッグな体型は40年前から変わらず。長年体型を維持する努力は由美かおる並?
ザ・ぼんち(1973~1986年)
 若手のホープとして期待していたのですが、私の知らない間にあっさりとコンビ解消していました
オール阪神・巨人(1975年~)
 元祖凸凹コンビ。最初にみた当時は、そのコンビ名と二人の身長差にインパクトがあったが今や吉本の重鎮
 ( )は結成と解消年、敬称略

などが一番旬だった頃で、現在は鬼籍に入られた方か、当時はまだ若手でも今は業界では大御所と呼ばれる人達になっています。

上方漫才以外では

獅子てんや・瀬戸わんや(1952~1993年)
 わんやがてんやを激しくひっぱたくシーンが多く気の毒だった。「ぴっぴっピーヨコちゃんじゃ、アヒルじゃガァガァ」は名言
コント55号(1966~2011年)
 やたらとドタバタしているだけで、今から考えると、なにが面白かったのかよくわからなかい

ぐらいかなぁ、、、

1980年代に巻き起こった漫才ブームの頃以降は、ちょうど就職と重なり、テレビを見る暇はなく(1年ぐらいはテレビもなかった)、ほとんど興味がなくなり、その後出てきた漫才師についてはほとんど知りません。

なので、今やお笑い界の大物となっている「とんねるず」や「ダウンタウン」「紳助・竜介」「ロンドンブーツ」などの漫才は聞いたこともなく、単なるお笑いバラエティの司会者?ぐらいの感覚です。

次に上方落語家では、

笑福亭松鶴(6代目) 1918~1986年
桂米朝(3代目) 1925年~
桂春団治 (3代目) 1930年~
桂文枝(5代目) 1930~2005年
露の五郎(2代目) 1932~2009年
笑福亭仁鶴(3代目) 1937年~
桂枝雀 (2代目) 1939~1999年
笑福亭鶴光(2代目) 1948年~

を中心によく聞いていました。さすがにみなさんいずれも芸を極めた方ばかりで素晴らしいの一言です。

特に当時は深夜帯にFMラジオで放送される長編の古典落語は、音も良く、部屋を暗くして聞いていると臨場感もあっていいものでした。ラジオで聞いていても、その所作が浮かんでくるのが名人芸です。そしてやっぱり落語は1時間ぐらいじっくりと聞きたいものです。

落語もよく聞いていたのは1960年後半から1970年代のことで、1980年以降のことはあまりよく知りません。

演目は、落語家それぞれに得意な噺があるのですが、同じ噺でも、落語家が変わると、まるで違う話を聞いているようで楽しめました。

どういうネタが好きだったかと言えば、もう昔のことであまり覚えていないのですが、「青菜」「愛宕山」「地獄八景亡者戯」「天王寺詣り」「初天神」「崇徳院」「京の茶漬け」「牛ほめ」「高津の富」「壺算」「道具屋」「提灯屋」「抜け雀」「貧乏花見」「らくだ」「住吉駕籠」「七度狐」「ねずみ穴」「紀州」などの古典落語が印象に残っています。

桂文枝(6代目、前桂三枝)らが好む現代の創作落語にはあまり興味がなく、やっぱり江戸時代の庶民話が最高によかったなと今でもそう思います。

ただ創作新作落語の中でも4代目桂米團治(1896年~1951年)が自らの仕事経験を元にして作った「代書屋」は、米團治の弟子だった米朝(3代目)やそのまた弟子の枝雀(2代目)に伝えられ、とてもいい作品に仕上がっていました。そうやって創作落語の中でも本当にいいものは、弟子達に受け継がれて、やがて古典のひとつとなっていくのでしょう。

最近はNHKで時々落語を放送しているので、上方落語だけをピックアップして録画しています。一度は聞いたことがある噺が多いのですが、当時とすっかり面子も代わり、それを楽しんでいます。ただし残念なことに1話の放映時間が30分(実質25分ぐらい)なので、噺は途中で終わったりします。

高齢化社会で、古典落語ファンも多いはずで、これからもっと放送時間を増やしてもらいたいところですが、民放だとスポンサーも見つかりにくく、若い人向けの(くだらない)バラエティと比べ、それほど視聴率が取れるものではないのでしょうね。


【関連リンク】
768 無口な人はコミュニケーション能力が低い?
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833
84歳で亡くなった私の父親のことを考えると、私はいま56歳なので、父親の生きた年数のちょうど2/3に達したということになります。

仕事もまもなく引退する予定なので、余命もわずか?と思っていただけに、え!まだ人生の1/3も残っているんだ?と思うとちょっと不思議な感覚になります。

男性の平均寿命は、約80歳ですが、これは生まれたばかりの0歳児の平均寿命なので、56歳の平均余命はもう少し長くなります。

事故や大きな病気に罹らなければ、遺伝的、確率的には父親とほぼ同年齢か、父親の生きた時代よりも栄養がよく、医療の発達もあるので、それよりもう少し長く生きられるでしょう。

今回は寿命の話しではなく、私がもし今の生き方を選択せず、ずっと自分の思うままの人生を歩むことができたとしたら、どういう今を過ごしていただろうかと考えてみました。

例えば、私は27歳で結婚し、その後三人の子供に恵まれましたが、子供を作らなかったという選択肢や、結婚しないという選択肢もなかったわけではありません。

さらに飛躍しそうですが、亡くなった母親からは、「探してあげるからどこかに婿養子に入れば?」と高校時代の頃から盛んに言われ続けてきましたので、それに従うという道もありました。次男坊は新しく自分で人生を切り開くしかなく、それよりは楽ができる養子の道を勧めてくれたのです。

代々勤め人の家系で家には財産もなく、実家の家と土地があっても、それらは全部長男が継ぐのが普通で、かと言って自力で偉くなれるほど他人と比べて要領や頭脳がいいとはとても思えない私を心配してのことでしょうけど、そのような選択肢もあったことは確かです。

まず、もし結婚せずに今に至っていたとしたら、果たしてどういう日々を過ごしているでしょうか。

「結婚した」か「結婚しない」の最大の違いは、金銭的な面、住む家の違い、自分の周囲の人達の顔ぶれではないでしょうか?

まず金銭面ですが、最近の夫婦のように共に正社員で働いている夫婦であれば別ですが、私の時代はまだ女性は結婚すれば専業主婦が普通だったので、それに習って私の収入だけでずっと生計を立ててきました。

子供が生まれる前や、まだひとりだけだった頃は、生活にも余裕があり(バブルの頃だったせいもありますが)、海外や国内旅行へよくいき、豪華なリゾートホテルなどもよく利用していました。

しかしやがて二人目、三人目が生まれると、子供の学資保険の積み立てや、様々な物入りで少しきつくなってきます。

同時に子供がひとりだった時と二人、三人とでは、住む家も変わらざるを得ませんので、結婚当初の駅から近いけれど狭い賃貸マンションから、通勤に1時間程度はかかる郊外に、広めの中古マンションを買って住むことになり、最終的にはさらに広い現在の一戸建ての家を買うことになります。

もし独身を貫いていれば、状況は一変し、当時勤務していた都内の会社からも近く、繁華街の六本木や青山あたりのマンションに住んでいたかも知れません。

1980~90年代当時はまだ会社の景気が良く、ひとりで生活する分には収入もそれなりに多かったので。

そして今のように住む家を買わず、数年ごとに気に入った場所へと移り住み、どこかに落ち着くということもしなかったと思います。

当然友人や仲間も今とは大きく違っていたでしょう。それが「自由で気楽でいい」と感じるか、「ひとりで寂しい」と感じるかは、両方経験してみないことには判断がつきません。

現実の私は、子供が高校や大学(いずれも私立)に通うようになると、ますます金銭的な余裕はなくなり、早くも貯金を取り崩し、入学金や授業料に充てざるを得ない厳しい生活環境へと変わっていきます。

独身ならば、そういうことはなく、キチンと管理さえすれば預金もそこそこは貯まっていくでしょうけど、果たして性格からして老後の資金を蓄えておくような計画性をもったライフプランが作れたか?と言うとそれは極めて怪しそうです。

私はあればあるだけ適当に使っちゃうという放漫な生活スタイルを好むので、住宅ローンや学資保険で自動的に毎月引き落とされたり、子供の入学金の150万円がいつまでに必要とか事前にわかっていなければ、生活を切り詰めてしっかり貯金をしていくことにはきっとならなかったしょう。

当然お金が自由に使える独身者の周囲には、それなりに同種の友人や知人が集まってきます。夜な夜な派手なパーティや飲み会、夏休みには海外旅行、趣味やスポーツに大金をつぎ込むなど、今の自由にならない身の上ではなんとも羨ましい生活ですが、そのような生活をずっとしていてはお金が貯まるとも思えません。

高校時代は私立に通っていましたが、同級生の多くは家で商売をやっている裕福な家の息子が多く、そういう連中は金遣いが派手で、私が自転車を必死にこいで通学していた中、親にポンとナナハン(KAWASAKIのZ2が大人気)を買ってもらってそれで学校まで乗ってきていたり(表向きは当然バイク通学禁止でしたが)、楽器といえば小学生の時に買ってもらった縦笛しか持ってない私に対し、ギブソンのギターを何本も持っていたりと、私のような貧乏サラリーマンの次男坊とはまったく釣り合わず、なかなか付き合いきれませんでした。

もしそういった羽振りのいい商売人のドラ息子のような生活をして散財を続けていたら、さぞかし豪遊はできたでしょうけど、老いた先の未来はそれに反してきっとつまらないものになっていくような気がします。

でも男の夢とロマンを追えば、家族や老い先のことなど考えずもっと自由に生きてみたかったというのも気持ちの半分はあります。

もうひとつ、もし親の薦め通りに養子に入っていたらどうだったか?

なかなか想像しにくいですが、親からは「大卒の息子を差し出すからには結納で1千万円(40年ほど前の話しで、今に換算するとその3倍ぐらいの価値か?)と、新車のポルシェを買ってもらうことぐらいは容易い」「向こうの親と商売の面倒は奥さんが見るので、自分は自由にサラリーマンやるのもよし、のんびり暮らせるよ」と言った趣旨の能天気な話しを聞かされていましたが、実際はどうだったでしょう。

あまり客商売は好きでない私ですから、なかなか養子という立場だと、婿養子をとりたがる相手が希望するような人当たりの良い「マスオさん」的な跡継ぎにはならなかったかもしれません。

でも長く続く家が養子を取る最大の目的は、跡継ぎが途切れないように孫を作ることらしいので、それなら何人でも大丈夫だったかなと(笑)。

理想は、永代続く名門の料亭の一人娘のところへ婿入りして、中村主水じゃないけれど、適当に外で軽くお勤めをしながら、休みの日には家の仕事はほっぽり出して、店の従業員からは「バカ(若)旦那」と呼ばれつつ、結婚する時に買ってもらったポルシェで夜な夜な遊び回り、家に帰ってからは、家や店の手伝いなどは一切かまわず、広い庭でひとり焚き火をして楽しむ・・・う~む、そういう生活は男冥利に尽きそうです。

ただし、そのようなことをしていて、本当に幸せを感じたかどうかは、まったくわかりませんが。


【関連リンク】
787 世帯内単身者の増加が引き起こすかも知れない社会問題
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720 そして次男坊は希少価値を持つ
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822
定年まであと4年となってきて、この先のことをいろいろと考えるようになってきました。

そのひとつは、60歳で会社を辞めたあともリアルに付き合っていける人(友人)は何人ぐらい残っているかな?と。このような現実的な自問自答が繰り返し頭の中をよぎります。

現在の法律では60歳定年の規程であっても、希望をすれば65歳まで(私の場合は経過措置があるので63歳まで)は義務的に会社に雇ってもらうことは可能ですが、どうせ非正規社員になる(通常は定年後は1年ごとの契約社員や嘱託)のなら、積極的には働かないという選択肢や、働くとしても(できるかどうかは別として)なにか別の仕事をと考えたりしています。

いやいや、特に財産と言えるような貯金もなく、40歳過ぎで転職しているのでまとまった退職金もなく、住宅ローンは62歳まで続き(途中で5年間の延長をしたため)、今から子供に経済的な世話になるのもはばかられるし、さらに60歳過ぎて気前よく雇ってくれるところなんざそうはないと確信をもって言えるので、いずれにしてもこの老体にむち打りこのまま可能な限り今の勤め先で働かなくてはいけないのは確実な情勢ですが、なぜか仕事のことよりも先に、プライベートで気軽につきあえる友人・知人のほうへ頭が先にいってしまいます。

4月に読んだ小説「ダイスをころがせ」では、43歳の主人公が、ずっと疎遠にしていた高校時代の同級生に、「今度の国政選挙に地元から立候補するので秘書兼選挙参謀になって欲しい」と頼まれるところから始まります。

そのことがなければ一生涯その同級生と再び言葉を交わすこともなかったハズですが、偶然も重なり元同級生という存在から、大きな目標へ向かって一緒に目指す親友の関係へと変化していきます。

それを読んで、金や権力(昇進など)がついて回る会社の同僚や先輩・後輩なんかより、高校や大学の同級生や、クラブの先輩・後輩といった関係、つまりは途中で何度も途切れながらでも、結果的には何十年と続いてきた細い糸の縁のほうが、実はずっと価値があるというのは、自分に当てはめて考えても確かかもしれないなぁとあらためて感じた次第です。

一般的によく言われるように、会社を定年で辞めると年賀状の枚数が一気に減ってガッカリするという、ちょっと古い会社人間の例をひくまでもなく、会社を辞めると友人・知人が仕事関係を中心に大きく減ってしまうのは普通のことでしょう。

幸い私の場合、40過ぎで転職後、20年間勤めてきた以前の会社の人達の多くと、仕事上ではまったく関係がなくなっているに関わらず、今でも年賀状やFacebookでのつき合いが細々と続いているのと、現在勤務している会社では、社風と言うこともあり社員同士の年賀状のやりとりはほとんどしていないので、例え今すぐ会社を辞めたとしても、それだけで年賀状の数が減るということはなさそうです。

ただこの歳になると毎年、高齢の恩師や先輩、親戚などから喪中葉書によって訃報が届き、賀状の枚数がその分は確実に減っていくのは寂しい限りです。

但し「年賀状=友人」というのは短絡的で、実際にそういう人に連絡をとってみても「ではすぐに会おう!」となるかどうかはお互いが思っている距離感の相違や、年賀状という一種の虚礼のつながりだからこそ続いているというケースもあるでしょうからなんとも言えません。

私にとって親友と呼べるのは、やはり高校や大学の時の同級生で今でも時々会う友人や、海外赴任中に知り合った同年代の人達、そして前の会社に勤務していた20年間をともに苦労をしてきた同期生ぐらいなのかなぁと。

残念ながら仕事を通じて知り合った人や会社の先輩後輩と言った人の中では、知人レベルや気楽な友人はいても、親友と呼べるような関係はありません。

ずっと昔、そう、小・中学生の頃から「親友を作れ」「親友を呼べる仲間を増やせ」という言葉をよく耳や目にしました。

しかし、この「親友」という言葉にはなにか引っかかりがあり、その時は本当に親友と呼べるのは誰?という答えが出ませんでした。

今から考えると「そりゃそうだ」と思うのですが、要は相手が自分をどのように思っているかは無関係に、自分が「お前は親友だ」と勝手に決めてしまえばそれが親友にもなるし、卒業したり、クラスが変わったりして数年経って自然に関係性が消滅した頃にはまた別の親友と思い込む相手ができているだろうし、その時々で定義なんていい加減なものです。

ところがこの歳になってくると、大学時代は同級生という程度でそれほど親しくなかったのに、卒業して30年以上も経過した今でも平均すれば年に何度かは一緒に食事をしたり遊びにいくような関係が続いている相手は、まさに親友と呼んでも誰に恥じることはないでしょう。

つまり本当の親友というのは一時的にでも過去を共に過ごしてきた歴史が作りあげるものだというのが最近になってわかりました。

一番わかりやすいのは、男女の関係では「金の切れ目は縁の切れ目」って言いますが、男同士の友情や交流も、概してそういうところがあり、「あの人と知り合いになっておけば、そのうちなにかいいことあるのでは?」とか「あいつは顔が広いので頼めば客先からの注文を取りやすい」と言った「なにか役立つ(かもしれない)」という思惑で続いている縁は、やはり退職や引退で切れてしまうというもの。

一方、学生時代の知人で、共通の友人がいて、お互いの仕事ではなにも利害関係はなく、話題も趣味のことや家族、共通の友人のことばかりという友人は、お互いになにも損得勘定や遠慮もなくつきあえるので、やがては一生のつきあいになっていきます。

ただ悲しいことにそれって学生時代にはわからないことで、今思えば「まさかあいつとこんなに長い縁ができるとは!」って思うこともあり、人の縁なんて摩訶不思議なものとしか言いようがありません。

海外で知り合ってその後20年以上交友が続いている友は、お互いに周囲に日本人が誰もいない環境の中において、違う文化、違う言葉、違う風習でともに苦労を味わい、ふとプライベートで偶然知り合って意気投合した相手で、おこがましい言い方をすれば「死ぬか生きるかの戦争を一緒に戦った戦友」みたいな強い絆と同種のものでしょう。

通常なら帰国後、勤務場所も遠く離れ、仕事も関係性がなければつながりは自然消滅するのですが、上記のように尋常ではない場所で生まれた縁は、その後もなぜか切れることなく続いていくもので、そうした関係は平和な世の中では極めて稀なケースでしょうけど、確かに存在することがわかりました。

若い人にアドバイスができるとしたら、

・若いときに親友がいないなどと悩む必要はまったくない。また無理に作る必要もない。親友は必然性と歴史が作ってくれる。
・苦境の時、困っている時に気にかけてくれたり、変わらずつきあってくれるのが本当の友人で、逆に羽振りのいいときに近づいて来るのはみな偽物と疑え。
・仕事を通じての友人は、プライベートで深いつき合い方ができた人だけが残り、その数は決して多くはない。

ってことでしょうかね。


【関連リンク】
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817
最近はどうかわかりませんが、営業の仕事に就いている人には、常連としている馴染みの喫茶店があるのも珍しいことではありません。かくいう私も20~30代の頃は外勤営業が主たる仕事だったので、常連にしていた喫茶店がありました。

営業マンにとって居心地のいい喫茶店と言うと、

1)あまり混まない
2)知った人が来ない
3)週刊誌やスポーツ新聞がある
4)軽食が食べられる
5)椅子がゆったりしている
6)長居しても嫌がられない


などでしょうか。

今流行っているスターバックスやドトールのようなセルフ式ではなく、午前中に行けばモーニングサービス、午後に行けばカレーやナポリタン、サンドウィッチなどの軽食が食べられるという昔ながらの喫茶店が好みです。

喫茶店でくつろいでいる時間は結局仕事をサボっている?と言われると、まったくその通りなのですが、少し言い訳をすれば、昼休み時間や就業時間以外も顧客の都合で働いたり、移動のため食事もできない時がある代わりに、仕事が暇なときや、体調がすぐれないとき、外が大雨でモチベーション下がりまくりのときは勤務時間中でも休憩したり、リフレッシュするのは致し方がありません。もちろんそればかりでは困りますが。

20、30年前ならそうしたビジネスマンが数多く集う喫茶店が駅前やオフィス街の中にたくさんありましたが、現在は上記のスタバやターリーズ、シャノアール、ドトールなどセルフ式のお洒落なカフェチェーン店が増えてきて客をとられてしまったことや、オフィス街に進出してきたコンビニやファストフード店の低価格コーヒーの影響もあって今や絶滅危惧種扱いです。

料飲主体売上と喫茶店の売上推移グラフ(出典:公益財団法人食の安全・安心財団)

※料飲主体とは喫茶、居酒屋、料亭、ビアホール、バーなどで、レストランとは違い飲みものが主体の事業

喫茶店の売り上げは、1982年の1兆7396億円をピークとして、1992年は1兆4833億円、2002年は1兆1446億円、2012年には1兆197億円と最盛期の6割近くまで下がってきています。

ビアホールや居酒屋などを含めた料飲主体全体でも、喫茶店より少し時期が遅れていますが下がっていて、料飲主体事業の需要自体が減少傾向になっています。

喫茶店の店舗数は1996年に10万2千店舗あったものが、10年後の2006年には8万1千店舗へと20%以上減少しています(総務省統計局「事業所統計調査報告書」より)。直近のデータはありませんが、おそらく1980年代のピーク時の半分を切っていると思われます。

一方では国内のスターバックスの店舗は1996年にわずか5店舗からスタートし、10年後の2006年には686店舗、ドトールも1996年には500店舗だったものが2006年には1000店舗を超えています。

これだけ大手チェーンのカフェ(統計上は喫茶店)が増えている中で、喫茶店総数は減少しているわけですから、チェーン店以外の古くからあった喫茶店の減少は想像以上で過激に進んでいると思われます。

もう都会の中ではスポーツ新聞や週刊誌を読みながらゆっくりモーニングセットを食べられる喫茶店は、なかなか見つからないのかも知れません。

どうして1980年代から急速に喫茶店の数が減少してきたのでしょうか?

私の想像ですが、80年代中盤頃からバブルの影響で都会にある喫茶店の家賃が高騰してきたのに、わずか200~300円のコーヒーで、長時間ひとりの客に場所を占有されてしまう極めて効率の悪いビジネスモデルが成立しなくなってきたのではないでしょうか。

その証拠のひとつに喫茶店オーナーが、自宅の一部や所有しているビルの中でやっている賃貸費用のかからない(昔ながらの)喫茶店はまだしぶとく生き残っているところがいくつもあります。

バブルの土地や家賃高騰でふくれあがった店舗の家賃を支払って旧来形式の儲からない喫茶店をやっていくのは厳しい時代になったのでしょう。

それともうひとつ、1990年頃まではまだ若く、よく喫茶店を利用した団塊世代達が、2000年頃にはみんな管理職となり、外へ出掛ける機会も減り、したがって利用回数が減り、そして2000年代後半頃からは順次引退してしまったことで利用者の減少につながったと考えられます。

増えている大手カフェチェーンの戦略は、セルフ式で、持ち帰りメニューを充実させ、店内のレイアウトもあまりゆっくりと長居をさせないように明るく落ち着かない作りにしてあり、客の回転率を上げる工夫がされています。しかしそれがまた流行に敏感な若い人や時間に追われて忙しい人には向いているようです。

昔ながらの薄暗い喫茶店にいるのは中年高年オヤジが多く、お洒落なカフェの若い客層とは明らかに違っています。次の若い人達を旧来の喫茶店へうまく取り込めなかったのも敗因のひとつでしょう。

回転率を上げる工夫がされているセルフ型カフェの逆を張って、「長居上等!」「どうぞごゆっくり」と頑張っている銀座ルノアールやコメダ珈琲のチェーンは、座ればウェーターやウェートレスがお冷やとおしぼりを持ってきてくれる従来の喫茶店のいいところを取り入れていますが、飲み物以外に利益率の高い軽食を充実させることで、客単価を上げる工夫がなされています。

ちょっと小腹が空いたとサンドイッチと飲み物を頼めばそれだけで軽く千円は超えちゃいます。

また私を含め旧人類が好んだ、目立たない場所にあって、部屋の中は照明を少し落として薄暗く、なんとなく今までの人生に苦労をしてきたようなマスターがいて、古いジャズやクラッシックが静かに流れていて、スポーツ紙全紙と多種類の週刊誌などが無造作に棚に置かれ、タバコの煙が充満し、常連さんがたむろしているような喫茶店では今の若者には受け入れらそうもありません。

私が昔よく通ったオフィス街の喫茶店へは、近くを通ったときなどに懐かしくてつい寄ってみますが、店舗はあってもすでに喫茶店でなくなっているか、建物自体が建て替えられてしまって跡形もなかったりしているのがほとんどで、統計上の減少が大いにうなずけるところです。


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814
先日「観光後進国日本の現実」というブログを書きました。

要約すると、日本は観光で出国する人数と比べて外国人が入国する人数は極端に少なく、他のアジア各国や先進G8諸国と比べてもはるかに見劣りするひどさで、クールジャパンで盛り上げようとしているけれど、まだまだ出国超過の割合が高く、今後世界中に日本文化や日本人への理解を進め、また縮小していく内需を少しでも食い止めるためにも外国人観光客を呼び込む抜本的な対策をやっていくことが必要だというものです。

ただ「外国人観光客数(外客数)が他国に比べて少ない!なんとかしろ!」と書くのは小学生でもできると言われそうなので、今回はその外国人観光客誘致対策をいくつか考えてみることに。いつものように独断と偏見と薄っぺらな知識を元にしていますので、つっこみどころや批判のしどころは満載ですが気にしません。

外客数を増やすには?と通常お国が考えることと言えば「短期入国ビザ不要」にするとか「入国基準の緩和」や、天下りの外郭団体を使って「ジャパンフェア開催」「国際イベントへの出展」のようなことぐらい。

それらが不要とはいいませんが、もっと多くの人、しかも学者や官僚ではない市井の人を巻き込んで、ベンチャースピリットあふれる小さな施策をいくつも同時並行でやっていく必要があるのではないかと思うわけです。というのは外国旅行する人の目的は人それぞれで、誘致策としてこれが正解という方策なんてものはないのですから。

(1)例えば、国内には外国語を学びたい、学んでいるという日本人が大勢います。そういう人に対しネイティブの友人を作ろうと働きかけ、ボランティアホームスティ制度やボランティア観光ガイド制度を設け、外国の客と一緒に国内を旅行をしたり、自宅に招いてパーティを開いたり、環境が整っている家ではホームスティもできる仕組みを作るとか。

宿泊費や食費を抑えて少しでも長く日本を旅したいと思って安い宿泊所に泊まっている個人観光客には、気軽に日本人宅へホームステイやホームパーティにいけるとなれば、日本の生活を直に体験することもでき、大いに人気が出ると思います。

外国人旅行者が負担するのは一定の食費など実費分だけ。子供はすでに独立し、自宅の部屋がいくつも空いている団塊世代や、シェアハウスだけど今は部屋が空いているという若者にもうってつけのボランティアではないでしょうか。

国や自治体が負担するのは、世界に向けてネットでその仕組みをPRし仲介することと、「我が家へ泊まってください」「一緒に国内旅行へ行きましょう」というボランティアを募集することだけです。

そして双方から体験談をもらい公表することで、柔軟によりうまくいく方法を模索していくのです。初年度は1000人、翌年度は5000人ぐらいの規模で、オリンピックが開かれる6年後には50万人ぐらいの外国人観光客が、ボランティアによってお・も・て・な・し・が可能かも知れません。

(2)例えば、外国人に興味のある大相撲や歌舞伎なども、高い料金を払ってずっと最初から最後まで鑑賞するのは、よほど興味がないと退屈して難しいでしょうけど、外国人体験チケットを作り、30分~45分だけ見られる格安の席を準備し、外国人だけに販売するとか。例え30分でも見たという経験は外国人にとって非常に嬉しいものです。

私が以前仕事でカリフォルニア アナハイムへ行ったとき、当時長谷川投手が所属していたメジャーのエンジェルスの試合が見られるチャンスがあったものの、仕事が終わる時間の都合上、もし観戦できたとしても開始から2時間以上経った終わり間際にしか行けず、それなのにまるまる1席分の高額なチケット(+往復のタクシー代)を購入せざるを得なかったので断念したことがあります。せっかくの本場メジャー野球をチラッとでも観戦する機会を逃してしまいたいへん悔しい思いをしました。

そういう悔しい思いをしなくてもいいように、日本らしい観光コースをコンパクトにまとめたスピード観光コースをいくつも用意して海外の旅行代理店やネット直販でPRしてもいいのではないでしょうか?はとバスなんかはすでにそうしたコースを持っているようですけどね。

(3)例えば、国内には様々な国の人が仕事や日本人との結婚などで大勢住んでいます。それらの外国人に、自国からの観光客を誘致するためのアイデアを募り、優秀なアイデアには賞金を出し、またそのアイデアを実行するためのビジネスを立ち上げるならそれに投資または無利子で融資、さらには期限を決めて職員を無償で派遣するという仕組みを作るのはどうでしょう。

もちろん在日している外国人だけでなく、仕事で外国に長く住んでいた日本人で、いまは仕事から引退しているような人からもアイデアを出してもらうわけです。そうした引退した人にとっては、長く住んで現地に友人も多い第2の故郷と、再び関われるチャンスでもあり、手を挙げる人は多そうに思えます。

(4)例えば、中国本土には日本に入国する外国人の約6倍の外国人観光客が毎年訪れています。香港を含めると8倍もの外国人が訪れています。その8100万人の約30%は日本人旅行者ですが、残りの約70%、約5600万人(韓国、アメリカ、ロシア、マレーシア、シンガポール、オーストラリアなどからの観光客)が、せっかく日本のすぐ近くの中国まで来ているので、それらをみすみす逃す手はないわけです。

世界中の旅行社に対して東アジアへ行くならお得な「中国&日本セットツアー」をスタンダードとするムード、イメージを作るのです。通常の観光客はもちろん、ビジネスで中国に用事がある人にも、ついでにちょっと日本へも立ち寄ってもらおうという戦略です。中国の格安航空会社をうまく使えば中国-日本間の費用は格安で済むでしょうし、日本のLCCも客さえ増やせれば新たに日中航路を作るでしょう。

アメリカ西海岸を訪れる観光客の多くが、ロサンジェルスへ行ったついでにサンフランシスコやシリコンバレーに寄るという感覚と同じです。ロス-サンフランシスコ間は約1時間半、上海-福岡間は約1時間40分です。「中国だけじゃもったいない。」が世界中の観光客に向けたコピーです。日本語じゃダメですけど。

(5)例えば、2020年に東京でオリンピックが開催されます。開催期間中は世界中からマスコミや観光客が日本に押し寄せるでしょうけど、そうした一過性のもので終わらせてはいけません。

以前ブログにも書きましたが、世界にはまだオリンピックでメダルを獲得したことがない国が数多くあります。東京でおこなわれるこの機会に、アジアの国を中心に、自国の中では能力や素質があっても高度な科学トレーニングや長期的な選手育成が難しいという国に全面協力します。

そうした将来メダルに届きそうな有望な選手を日本の体育大学や選手育成に理解のある企業で預かり、それらの国からメダリスト(=国民の英雄)を出すために開催国・地である東京と国が公費負担をしてでも支援します。

サッカーでもインドネシアの選手を入団させたJリーグのチームの試合には、その国から多くの観光客や応援団が訪れたという例があるように、オリンピックレベルの選手を日本が育てていけば、その国の中で話題となり、公開練習や競技の時には多くのマスコミや自国の応援団が来日してくれるでしょう。

そしてそれらの国で自国の選手が日本で生活する様子がテレビや新聞で取り上げられる回数が増えれば、日本に親しみがわき観光客も増えていくでしょう。

以上、ざっくりと外国人観光客を増やすための5つの方策を考えてみました。

これらのことはすでに実行されていることもあるでしょうけど(あえてググっていません)、少なくとも私の耳や目には入ってきていません。ということはもしすでにおこなわれていてもその規模は限定的で、滅多にニュースにも取り上げられることがない地味な施策ということでしょう。

ぜひ国や自治体が箱ものや利用者の少ない無駄な公共工事を削ってでも、日本とアジアの未来のため、架け橋となってくれる外国人観光客誘致にもっと力を入れてもらいたいものです。

そして日本を訪れ、日本人とふれあい、感動し、満足して帰った外国人は、きっと日本に対する理解を深め、口コミでも拡がり、観光だけでなくその後のビジネスや外交関係などにもよい影響を及ぼすのではないかと考えています。


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