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前回の「みちのく急ぎ旅 前編」から続く後編です。

後編では、1日目のメインイベントである最上川の舟下り、その夜は日本海側へ出て鶴岡市内にある安いビジネスホテルで一泊、翌2日目は、日本海沿いを新潟方面に向かい、笹川流れ、朱鷺メッセというコースをたどります。

また個人的な趣味により観光地というより、トイレ休憩や土産物購入など、なにかと便利で、地方の高齢化ニッポンを支える「道の駅」がやたらと出てきます。

今回もテキストは極力控えて画像中心で。前回同様ゆるめなのはご愛敬。

一級河川で、日本三大急流のひとつ最上川


今回の旅の目的の中心は松尾芭蕉も舟で下った最上川を見てやる!が最初でした。


最上川三難所の中のひとつ碁点


日本三大急流とは、富士川(長野、山梨、静岡)、球磨川(熊本)と、この最上川です。


道の駅 むらやま


ちょうど観光バスの到着と重なったみたいで、ジジババの団体観光客でたいへん賑わっていました。お土産の品揃えはまぁまぁだけど、レジに並ぶ殺気だったジジババの長い行列をみて早々に退散。


道の駅 とざわ


観光用?の韓国風の大きな立派な建物が併設されていましたが、それもあってかなにか異様なムードを発していて、ソフトクリームだけ買って先へ急ぐ。おそらく全国有数の客が少ない道の駅。平日とはいえ従業員と関係者以外は人の気配なし。


最上川遊覧船

結局、乗船時間に間に合わずに、逃してしまいます。ホームページに書いてあった出航時間はいい加減なもので、客がある程度揃えば適当に出航という感じです。そういう鷹揚なところがいかにも田舎の流儀で、別に腹も立ちません。


庄内町清川にある松尾芭蕉銅像と句碑




銅像の背後に見えるのは映画ロケに出てきそうな古めかしい廃校になった校舎と井戸。井戸の蓋はしっかり閉じられていましたが、中をのぞいてみたかったなぁ、、、貞子とかお岩とか。
夏にお化け屋敷のイベントをこの廃校で企画すれば大儲けができそうです。


道の駅 庄内みかわ


野菜など地元特産品が豊富にありましたが、観光客向けの土産物は少なめで、地元民御用達って感じ。


酒田市内のホテルがなぜか満室で、隣の鶴岡市で予約したビジネスホテルは、寝るだけの部屋ですが、意外と綺麗でベッドも広く快適でした。
翌朝部屋を出ると、合宿か試合かで、体育会系男子高校生が廊下をウロウロしていました。我々の中高校時代は、遠征でも汚い旅館か民宿で雑魚寝(以下自粛)



道の駅 あつみ しゃりん


ここまではまだ広い山形県の範疇です。道の駅の駐車場へ入るとパトカーと警官が待ちかまえていたので、「?」と思ったら、山形県警協力の下、交通安全キャンペーンを実施中でした。私?もちろん安全運転をしていたのでヤクルトと眠気覚ましのガムをもらいました(全員に配っている)。

道の駅の売店は観光客用のお土産物の種類はイマイチですが、野菜や水産物など地元特産品は充実。立地場所は景観もよく、観光客や通りすがりの客をもっと呼べそうなのに、いかにもお役所主導の運営って感じで、垢抜けず、商売気も薄く、全体に面白味に欠け、ちょっと残念な感じの道の駅。

デキる民間業者に委託すれば来客数2倍、売上3倍ぐらいはすぐにできそう。例えば、売店で獲れたての新鮮な魚を格安で売っているけれど、さすがに観光客は家に帰るまでに時間がかかり、買うのは無理。

しかしその場でサクッと握りか丼にして出せば、小腹が空いている人や目の前の新鮮な魚に目を奪われた人にザクザク売れるはず。ちょうど高速のサービスエリアでアメリカンドッグやたこ焼き、おにぎりなどが飛ぶように売れるのと同じ。地元の漁師アガリでそういう漁師飯を作るのが得意な高齢者もいそうなのですぐに始められそう。


笹川流れ




「笹川流れ」とは美空ひばりが歌う名曲でもなく、また「カッパの川流れ」とも関係なく、この辺りの天然景勝地のこと。

岩場が多いと言うことは海水も綺麗に浄化され、昔ながらの方法で海水から塩を作っている塩田が点在しています。

そう言えば「敵に塩を送る」で有名になった当時越後を支配していた上杉氏からライバル甲斐の武田氏へ塩を送ったという話しは、この豊富に取れる笹川流れの塩を送ったのかも知れません。


道の駅 笹川流れ(夕日会館)


別名「夕日会館」とあるように、ここの海岸から見る日本海に沈む夕陽がとても綺麗らしい。道の駅と海岸を結ぶ横断橋+展望台の上には、夕陽を見に来たカップルが付けたと思われる無数の南京錠が。フランスのどこかの橋みたく、鍵の重さで崩落しなければいいのだが。


新潟(朱鷺メッセ)


天気が好いと佐渡島が綺麗に見えるというので無料展望台へ上がるも、霞んでいてよく見えません。しかし東京や大阪とは違い、周囲に高い建物がないので360度視界がひらけていて上から見下ろす優越感に浸れます。帰りのエレベーターは高校生風カップルと一緒になり、31階から一気に降るエレベーターが珍しいらしく、二人のテンションは上がりまくりで、ほのぼのとしました。1回待って二人だけにしてあげればよかったとあとで反省。


新潟ラーメン「ときめきラーメン万代島」


新潟ラーメンとはなに?と期待を膨らませたけど、ま、普通の魚介類系ダシと醤油味のラーメンでした。それにしてもこのエリア、他にはひとりも客の姿はなく、シャッターが降りた店ばかりで、幽霊が出るかと思ったぐらいに寂れていました。

地方ではこうしたどちらかと言えば若い人向けの店舗やサービスは、よほど尖ったものでない限り、成立しなくなっている感じ。ここで遅めのランチを食べて、他にも寄りたいところがありましたが、雨も本降りになりつつあり、家路につきました。最後のオチはありません。

みちのく急ぎ旅 前編へ


【関連リンク】
816 2050年に向けてのグランドデザイン
719 道の駅は次の段階へ進めるか
711 地方が限界集落化していく
706 高齢化社会の行方
678 東北巡り
583 人口が減るのもいいんじゃない



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846
昨年は1月と8月に2度、主として東北の太平洋側沿岸地域を回ってきましたが、今年の夏休みは趣向を変え、福島から東北の中央部を北進し、その後最上川に沿って日本海側へと回ってきました。

本当は、山形、秋田、青森、岩手と東北を縦断したかったのですが、1泊では単にひたすら走るだけになってしまいそうで、今回は少し観光地にも寄りたいので、距離を縮め、福島(磐梯、喜多方)と山形(米沢、最上川、鶴岡)、そして新潟に絞りました。

それでも2日間で走行距離が約1200km(内高速道路約500km)ほどのドライブとなり、ゆっくりと観光をしている時間はなく急ぎ旅となってしまいました。

相変わらず貧乏なので、できるだけ支出を抑えるため、行きの高速は真夜中のETC深夜割引を使い、ガソリンは自宅近くのスタンドが一番安いので、満タンで出掛け、帰宅したらカラになっているようにうまく調整、泊まるホテルは酒田、鶴岡で安いビジネスホテルを探してルームチャージだけで宿泊と、涙が出るような工夫をしています。

今回と次回は夏休み仕様のため、普段よりゆるい書きようとなっていますのであらかじめご容赦ください。

以下、写真を中心に。

磐梯吾妻スカイライン










磐梯吾妻スカイラインは一切経山や吾妻小富士などモクモクと湯気が立ち上る活火山のすぐ近くを走るため、普段味わえない独特の雰囲気と臭気があります。が、私、嫌いじゃないです、この雰囲気と臭気。

猪苗代湖から見る磐梯山


あいにく低い雲(もや?)が立ちこめていてよく見えません。海水浴ならぬ湖水浴にはまだ早い時間で、人も白鳥もネッシーもいませんでした。

町営磐梯山牧場から見た磐梯山


ピンクの傘は開いていません。


喜多方ラーメン「あべ食堂


早朝とはいえ観光客が喜多方に寄ってラーメンを食べないのは一種軽犯罪です。人気の店舗は朝7時頃から堂々開店しています。

道の駅 喜多方の郷


レストランで人気?の「喜多方ラーメンバーガー」は開店前で食べられず、しょぼい見本だけ。

喜多方でラーメンを食べるというひとつの目的を果たしたあと、北進して初めて足を踏み入れる山形県に突入、米沢市の米沢城跡地にある上杉神社へ向かいました。戦国時代にはあの独眼竜の伊達政宗がこの米沢城で生まれ、江戸時代には上杉氏の本拠となります。

上杉神社参道


本殿には上杉謙信と上杉鷹山が奉られていますが、上杉一族の墓所はまた別のところにあります。元々はここにあったそうですが、明治新政府の神仏分離政策のもと移されたとのこと。
「毘」の旗は上杉謙信が戦の神である毘沙門天の生まれ変わりと信じていたこと、そして戦において総攻撃の際に使っていた「龍」の二つの旗が謙信公のトレードマークです。

上杉謙信公の像


上杉鷹山(ようざん)公の像


「なせばなる、なさねばならぬ、なにごとも・・・」の人です。関係ないけど「米百俵」の話しは長岡藩の藩士小林虎三郎です。

NHK大河ドラマ「天地人」の放送記念とかで安直に建てられた上杉景勝と直江兼続の像


上杉謙信公家訓十六ヶ条


「心に欲なき時は義理を行う」「心に堪忍ある時は事を調う」など、なかなか教えられます。

米沢牛の串焼きと米沢牛コロッケ




お参りしたあとは、なぜかお腹が空きます。無料駐車場横の売店で売ってます。 (゚д゚)バカウマー(牛だけど)


最上川下り、各種道の駅、笹川流れ、朱鷺メッセは後編へつづく
 
 
【関連リンク】
814 日本に外国人観光客を呼ぶ
802 観光後進国日本の現実
706 高齢化社会の行方
486 マイカーで東京から京都まで旅行する場合 その2
485 マイカーで東京から京都まで旅行する場合 その1
280 高速道路料金無料化?その2
279 高速道路料金無料化?



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764
先日録画しておいた映画「慕情 」(原題:Love Is a Many-Splendored Thing)を、ゆっくりと鑑賞しました。この映画は私の生まれる少し前の1955年(昭和30年)に劇場公開されたヘンリー・キング監督のアメリカ映画です。

主演は当時人気絶頂中のハリウッドスター、ジェニファー・ジョーンズとウィリアム・ホールデンの二人。舞台は日本の敗戦で再び英国の植民地となっていた香港です。

なぜ今頃この映画を見たかというと、25年前に香港へ数ヶ月仕事で渡ったときに、現地の人に何度か「慕情」を観たか?と聞かれたことがありました。おそらく地元の人が「ここがあの時のシーンで使われた場所だ」とかを自慢したかったらしいとあとになって気がつきましたが、その時は「香港が舞台の古い有名な映画があったんだ」ぐらいにしか知りませんでした。私の年代で香港が舞台の映画といえばブルース・リーやジャッキーチェンが主演の映画が代表的なものです。

今の香港しか知らないと、この60年近く前のこの映画に出てくる街や海岸を見ても、それがいったいどこなのかはさっぱりわからないでしょうけど、雰囲気がなんとなく戦後間もない頃の日本の地方の風景と似ています。今なら数え切れないほど建っている高層ビルも当時はありません。

そして当時は、日本の敗戦後、東アジア情勢は再び緊迫してきており、香港のすぐ近くで起きていた中国の国共内戦が拡大し、香港へも多数の難民が押し寄せているという時代です。さらにはその後勃発する朝鮮戦争が、主人公の二人に降りかかる悲劇をもたらす結果となります。

ヒロインのジェニファー・ジョーンズは物語では中国人と英国人のハーフという設定で、共産党が勝利しつつあり、親戚が住む中国本土に戻るか、それともこのまま英国領の香港に留まるかという選択を迫られますが、アメリカ人ジャーナリストへの愛を選択し香港に居続けます。しかしどうみても派手な面立ちでいかにも欧米人然とした立ち振る舞いのヒロインが、衣装だけチャイナ服を着ていても違和感があります。

でも、ストーリーとしてはよくできた面白い映画で、香港で暮らす上流階級のエキゾチックな雰囲気も楽しめ、映画が大ヒットした理由もわかります。
 


欧米人にすれば東洋の真珠といわれていた香港という街の蠱惑的な魅力と、当時はまだ人種的差別も普通に残っていただろう中で小柄なアジア人を下僕のように使い、周囲で戦争(内戦)が起きていても我関せずで(ベトナム戦争もまだ起きていない)、王様のような特権階級に身を置く欧米人が、優雅な生活をおくりながら暇つぶしのようにする悲恋は、さぞかし現実離れしたファンタジーだったでしょう。

アジア人からすると、アジア人の血が半分入った(とされる)ヒロインへの思い入れで感情移入し、妻がいるものの、ハンサムでこまめに愛情を注いでくれるアメリカ人男性に対し、儚くかなわぬ恋が破れ去りきっと多くの女性が同情し涙したことでしょう。

と、映画「慕情」を観た後、その時たまたま読んでいた村山由佳著の小説「ダブル・ファンタジー 」に、旦那のいる主人公がテレビ取材ロケハンのため香港を訪れてスターフェリーに乗っていると、偶然昔の恋人とバッタリ出くわし、そのまま関係を復活させるというシーンがありました。映画「慕情」では男性に妻があり、この小説では女性に夫がありと、どちらも不倫の関係であるところがなにか印象的です。香港の魅力の中では倫理観や道徳心も消し去ってしまい、男女の欲情を高ぶらせるなにかがあるのでしょうか。

この小説では「慕情」の5年後の1960年に公開された、やはり香港が舞台の映画「スージー・ウォンの世界」(英・米合作)の話しが出てきます。主演は同じくウィリアム・ホールデンなので、おそらく「慕情」の大ヒットで二匹目のどじょう狙いだったかも知れません。

話は変わって、私が香港で仕事をしていたときに、偶然知り合った同い年の友人とは、結婚式に招かれたり、帰国後も時々食事をすることがありますが、先日会ったときには「あと5年で定年になれば、香港へ渡って事務所を開こうと思っているので、一緒に来ない?」と声をかけてくれました。

もちろん社交辞令ですが、25年前香港で知り合ったときには全然別の仕事をやっていましたが、なぜか気が合い、海千山千の香港人相手に苦労をしながら一種戦友的な友情が育っているようです。

そう言えば、香港にいる間、普通なら日本人駐在員グループで住まいもアフター5も集まりたがるところ、彼も私も日本人がひとりもいないアパートに住み、休みの日は他の日本人同士で遊ぶことはなく、現地で親しくなった香港人と一緒に遊びに行くのが楽しみで、そういうところがお互い共通していました。

股関節を傷めていて、ろくすっぽ歩けない私には、東京以上に激しく行動的な香港へ行ってなにか一仕事をするのは無理ですが、それでも時に懐かしい香港の猥雑としたけん騒を時々思い出すことがあり、こうした映画や小説に香港が出てくると、おもわず嬉しくなる今でも十分に魅力ある街です。

【関連リンク】
735 遠い夏の記憶
706 高齢化社会の行方
611 海外移転で製造業の労働者はどこへいったのか?
578 外国人研修制度という名の移民政策
486 マイカーで東京から京都まで旅行する場合 その2
485 マイカーで東京から京都まで旅行する場合 その1
479 国内で地震から逃れることができるか?
471 日本人の道徳感
333 節分の思い出は、、、
270 なぜ日本人は海外メディアの評判を気にするのか?
139 ラスベガスの思い出1




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751
自動車事故は様々な要因で起きます。まずは運転者の操作ミスによる事故、飛び出しなど被害者側にも責任がある事故、自然災害や道路陥没などで起こる事故や、トンネル天井落下や道路に大きな落下物がありそれを避けようとしての事故など様々です。

1970年には日本の交通事故死亡者(事故から24時間以内に死亡した人の数)は1万6千人を越えていましたが、その後様々な死亡事故防止対策や救命医療体制の発達により、年々減り続け2012年には4411人と1/3以下に減りました。

特に1985年(昭和60年)に高速道路でのシートベルトの(前席)着用義務化が施行され(翌年には一般道においても前席着用義務化)、違反者は減点されるようになったことや、1980年代にバイクのヘルメット着用義務、それらとあわせてクルマの乗員安全性の研究と成果が進んできたことが大きく関係しています。

その他ではやはり医療技術や救急救命の体制が整い、従来なら生きてはいなかったであろう、意識不明の瀕死の重傷者でも延命装置を施し24時間以上生きながらえさせることができるようになり、統計上24時間以内の死亡者が発生しにくくなったこともあります。24時間を超えてから、どうなったかは過去と現在で比較する資料がないので不明です。

最近ではスバルのアイサイトをはじめとする衝突防止装置を装着するクルマが続々と登場し、ドライバーの脇見などによる追突事故や、アクセルとブレーキを間違って踏んでしまう暴走事故などにたいへん有効なプレ・セーフティ装置として大きな期待が寄せられています。

ただ残念なことにそのような装備は、後付けで装着できるものはなく、新車にオプションという割り増し価格で購入する必要があり(標準装備というのもありますが)、本来なら一番使って欲しい高齢ドライバーや免許取り立ての初心者が、わざわざ高いお金を出して新車や高額オプションを購入してくれそうもなく、行き渡るようになるまでにはまだだいぶんとかかりそうです。

この衝突防止装置は乗員の安全はもちろんですが、一部には自転車や歩行者などの飛び出しに有効なものもあり、従来のように乗員の安全さえ守られればそれでいいという身勝手な安全装備だけではなく、クルマの歴史からみて、初めて乗員以外の安全にも配慮した装置として大きな意義のあるものです。

と言うと、すでに何年も前からボンネットの形状や材質などは、人と衝突したときに跳ね飛ばされた人の衝撃を和らげる工夫をしているとか言われそうですが、実際には事故の状況は実験室の想定とは大きく違っていて、付け焼き刃的な対応ではエンジニアの自己満足でしかなく、気休め程度の効果しかないでしょう。

クルマの歴史は、スピードや乗員の快適性の追求とともに、安全性の追求の歴史でもあります。

衝突の際の衝撃を和らげる衝撃吸収バンパーや、一般的に2点式だったシートベルトをボルボ社が開発して特許を無償でオープンにした3点式シートベルト、ハンドルの中に埋め込んだエアバッグ装置。その発展型で助手席エアバックやサイドエアカーテン、制動時に滑りやすい路面で不安定となる姿勢を安定させる4輪アンチロックブレーキシステム、さらにはカーブで不安定になるのを防ぐ横滑り防止装置など、自動車そのものの安全に関わる装備や装置はこの20~30年のあいだにずいぶん進化してきました。

しかし同じ車種でもそれらの安全装備のいくつかはオプション設定となるケースが多く、同じ車種であっても安全性能に差ができます。本当に有効な安全性の装備はなにとなにか?と聞かれるとそれを証明するデータがなく、我々はメーカーが主張する広告を信用するしかありません。作った会社が一方的にいいと主張するものほどアテにならないものはありません。

例えば衝突防止装置も各メーカーがそれぞれ別々に開発し、光学カメラ、レーザー、赤外線などを組み合わせていますが、実際にそれらを公平な第3者機関が様々な状況で徹底的に検証したものはありません。テストには莫大な費用がかかり、また条件設定などにより装置の有利不利などが起き、比較されるのを嫌がるメーカーからの協力も得にくいからです。

また効果が一番得られると言っても、その装備を付けるのに車両価格の1割以上も占める高価なものだとなかなか普及は進まないでしょう。

もっと具体的に言うと、登場して間がない前方衝突防止装置は、例えばですが、前方に障害物があることを俊敏に検知して自動的に急ブレーキをかける能力が優れていると、それによって後続のクルマの制動が間に合わず追突してしまうことさえ懸念されます。後を走るクルマに衝突防止装置が付いていないことが多いからです。

上記の場合、装置の誤認識だったり、本来ならハンドルを少し切ることで避けられ、急ブレーキをかける必要がない場合でも、衝突防止装置が働き余計な事故を増やしてしまう本末転倒の結果が出ることも考えられます。流れの中で十分な車間距離をとることができればいいのですが、必ずそういう場面ばかりではありません。阪神高速などを走行していると、前のクルマとホンの10mも空けていると、すぐに2~3台が割り込んできます。

私は重大な交通事故の検証・調査を警察が事件性の検証をするだけではなく、第三者機関が車種と安全装備の有無、車体の色、使用年数、走行距離、整備状況、タイヤの摩耗度、運転者の習熟度(過去の運転歴とその事故を起こしたクルマの運転歴)、その他に事故が起きた道路状況や事故発生の時刻、天候・気温などを総合的に検証し、できるだけ多くの事故のデータを公表する必要があると前から主張しています。

安全なクルマとそうでないクルマ、安全な装備とそうでもない装備、車内の乗員の安全性と歩行者など車外にいる人の安全性、運転習熟度によって選ばれるクルマの違い、事故が起きやすい車種、車体の色、時間、天候、整備状況、運転者の詳細など様々な角度から第三者が検証します。

損害保険会社には、過去の事故や盗難など、車種ごと、運転者の年齢ごとに保険の支払に関するデータが残っていて、車種や年齢など条件によって保険金額のランクが違っていたりするのは普通です。

つまり保険会社のデータにさらにもっと条件を付加して公平中立な機関がデータを蓄積していけば、保険会社が個々に調べる必要もなくなりますし、消費者にとってはクルマを選ぶ際に、スピードや快適性などより、乗員安全性を求めるならこの車種と装備の組み合わせというのがわかります。

また前席の乗員に死亡者が多いクルマや、逆に後席の乗員に死亡者が多いクルマ、夕暮れに追突されやすいクルマの色、スリップ事故の起きやすい車種やタイヤのメーカー、過去○年間、ひとりの死亡者も出していない車種と言った有意義な情報が得られます。メーカーにとっては困るでしょうけど。

下記は最近起きた自動車事故のうち自損と考えられる転落事故です。

フェンスを突き破って40m下まで転落するも軽傷
道路右側のフェンスを突き破って、約40m下まで転落する事故が起きた。転落によって車両は大破したが、運転していた42歳の男性は軽傷だった。

駐車場で暴走のクルマ、フェンスを突き破って15m下に転落
金属製のフェンスを突き破って、約15m下を流れる川へ転落する事故が起きた。クルマは大破し、乗っていた2人が死傷している。

ヘアピンカーブを曲がりきれなかったクルマ、約25m下に転落
ガードレールを突き破って、約25m下の雑木林に転落する事故が起きた。運転していた30歳代とみられる男性が重傷。

ガードレール突き破って50m下に転落、運転者が意識不明の重体
道路右側のガードレールを突き破り、約50m下の谷に転落する事故が起きた。運転していた21歳の男性はヘリコプターで救出された。

このように40m転落しても軽傷で済んだケース、15mの転落で死傷者が出たケースと様々です。事故の様々な状況にもよりますが、それに加えて事故を起こしたクルマの車種や安全装備、シートベルト着用の有無、運転者の運転経験度などを数多く蓄積することにより、事故の原因や死亡原因、そしてクルマの車種別、装備別の安全性などがわかってくるはずです。そしてそれらは警察だけの秘密情報ではなく、広く公開すべき情報だと思っています。

多額の広告料でマスコミを押さえている大メーカーの自動車会社は、そんなレベル分けをしてもらっては商売に影響があるということで猛反対するでしょうけど、毎日十数名の死亡者や多くのけが人を出し続けている凶器とも言えるクルマを作って売る以上は、もう経済性や乗員安全性ばかりを主張するのでなく、自動車メーカー同士互いに切磋琢磨して乗員や歩行者ともに安全で、事故が起きにくく、またドライバー(=自社の製品のユーザー)の安全教育にも力を入れるようにしていくのが当然の義務ではないでしょうか。

そしてそれが世界の市場に対して日本車が他国の安いけれど安全でないクルマと差別化できる数少ない優位な点となります。

それでもまだ事故の車種別公表に反対するのであれば、美味そうに吸うタバコの広告が禁止されたように、音も出さず誰もいない綺麗な海岸線を違法スピードに違いないハイスピードで走り抜ける自動車のコマーシャルなどは即座に禁止し、「このクルマは昨年交通事故により○○人の死亡者を出しました」という表示をCMに入れるよう義務付けするのが妥当という気がします。


【関連リンク】
661 乗用車の平均車齢と平均使用年数
658 自転車のマナー違反が特にひどい
557 運転免許証の取得推移と乗用車保有台数推移を並べてみる
518 7月11日の高齢者の交通事故
467 見過ごせない自賠責保険料の大幅値上げ
466 若者のクルマ離れと東京オートサロンの活況
449 電車の事故遅延について
428 報道は弱いモノの味方なのか?
303 交通事故を減らすための公共事業




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678
この冬休みを使って岩手、宮城、福島の東北3県の沿岸地域をひとりでまわってきました。

まず東北へ行くにあたり、被災地を含むエリアへ観光気分で出掛けるのが果たしてどうなのよと心の葛藤がありましたが、まもなく2年が経過するこの時期であれば、言われているように自粛するよりも被災地や観光地に寄って少しでもお金を使うことで役に立てることもあるのでは?と解釈しました。

訪問先は岩手県陸前高田市、宮城県気仙沼市、南三陸町、石巻市、女川町、大川町、松島市、福島県いわき市などです。

観光といえば、15年ぐらい前に安芸の宮島、昨年には天橋立を訪問していますので、今回松島へ行って日本三景コンプリートです。

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写真1:観光船乗り場

その松島ですが、震災後の津波で観光船の半分ぐらいが壊れてしまったそうですが、被害は他の地域とくらべると少なかったそうです。宿の方に話を聞いたところ、松島湾の内外にある多くの島や岩が防波堤になって助かったとのことでした。

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写真2:伊達政宗の菩提寺でもある国宝瑞巌寺

松島を初めて訪れる人の目的は、宿の人に聞いたところによると多い順に、
1)松島湾からの眺めを鑑賞
2)伊達政宗にゆかりある寺社へのお参り
3)松尾芭蕉にゆかりのある場所への観光
だそうですが、それらの観光するエリアが割とコンパクトに集まっているので便利です。

 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇

被災地で比較的大きな都市でもある石巻市や気仙沼市は一見するとすでに震災や津波の傷跡はかなり復旧されていて、少なくとも表面上は気をつけて見ないとわからないぐらいまでに回復してきています。もちろんよく見ると土台だけが残された建物跡や倒壊こそしていないが、完全に水が浸かって窓ガラスがすべて壊れたままの学校などまだそのままになっている状態が見られます。

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写真3:石巻市街地

逆にそれらより小さな町や集落ではなかなか復旧工事が進んでいないようで、がれきこそ一カ所に集められているものの、倒壊したり流された建物のあとがそのまま放置されている箇所を多く見かけました。

報道でもよく登場する石巻市から少し離れた女川町、さらに北上して気仙沼市や陸前高田市、その他海岸沿いの小さな漁港などには以前そこに建物があったとさえわからないぐらいになにもなくなっています。2年経った今でもその光景と、この場所で多くの住人の方が無念にも亡くなられたことを思うと胸が詰まります。

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写真4:陸前高田市(岩手県)

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写真5:南三陸町(宮城県)

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写真6:女川町(宮城県)

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写真7:石巻市立大川小学校

東北3県を中心に1万8千人以上の死者・行方不明者を出したこの東日本大震災が残していった大きな爪痕は、写真や動画で見る以上にずっと激しくまた無慈悲なことだったでしょう。そして生き延びることができた人にも心に大きな傷を残していっただろうと容易に想像がつきます。これからの数年間は復興の工事も大切でしょうが、遺族の方々や被害に遭われた方々の心のケアがとても重要になるのではないでしょうか。

 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇

福島県内は原発事故の影響で立ち入り禁止区域が多く、海岸沿いに下道で縦断するのはあきらめ、ずっと陸側を遠回りをしていわき市へ。小名浜港周辺をまわったあと、そのまま海岸沿いに茨城県へ。

北茨城市にある岡倉天心の住まいの一部だった海岸に建築された美しい六角堂も津波で全壊し、昨年新しい六角堂が再建されていましたので見学をしてきました。住居は少し高い場所にあるので被害はなさそうでしたが、茶室も兼ねていた小さな六角堂は住居のずっと下の岩場にあり、基礎部分だけを残し完全に津波に持って行かれたそうです。

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写真8:五浦六角堂(茨城県)

今回の東北行脚については、被災された方にはすまない思いがずっとありましたが、思うところもあり半ば観光気分の急ぎ足で表面だけを見て回ってきました。阪神淡路大震災の時にもそうでしたが、具体的になにか行動を起こせない自分を恥じ、とてもいらつきますが、ここで見たこと、聞いたこと、感じたことを家族や友人に伝え、そして今後の東北の復興、そして安全な町作りが行われることを願うばかりです。




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