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定年まであと4年となってきて、この先のことをいろいろと考えるようになってきました。

そのひとつは、60歳で会社を辞めたあともリアルに付き合っていける人(友人)は何人ぐらい残っているかな?と。このような現実的な自問自答が繰り返し頭の中をよぎります。

現在の法律では60歳定年の規程であっても、希望をすれば65歳まで(私の場合は経過措置があるので63歳まで)は義務的に会社に雇ってもらうことは可能ですが、どうせ非正規社員になる(通常は定年後は1年ごとの契約社員や嘱託)のなら、積極的には働かないという選択肢や、働くとしても(できるかどうかは別として)なにか別の仕事をと考えたりしています。

いやいや、特に財産と言えるような貯金もなく、40歳過ぎで転職しているのでまとまった退職金もなく、住宅ローンは62歳まで続き(途中で5年間の延長をしたため)、今から子供に経済的な世話になるのもはばかられるし、さらに60歳過ぎて気前よく雇ってくれるところなんざそうはないと確信をもって言えるので、いずれにしてもこの老体にむち打りこのまま可能な限り今の勤め先で働かなくてはいけないのは確実な情勢ですが、なぜか仕事のことよりも先に、プライベートで気軽につきあえる友人・知人のほうへ頭が先にいってしまいます。

4月に読んだ小説「ダイスをころがせ」では、43歳の主人公が、ずっと疎遠にしていた高校時代の同級生に、「今度の国政選挙に地元から立候補するので秘書兼選挙参謀になって欲しい」と頼まれるところから始まります。

そのことがなければ一生涯その同級生と再び言葉を交わすこともなかったハズですが、偶然も重なり元同級生という存在から、大きな目標へ向かって一緒に目指す親友の関係へと変化していきます。

それを読んで、金や権力(昇進など)がついて回る会社の同僚や先輩・後輩なんかより、高校や大学の同級生や、クラブの先輩・後輩といった関係、つまりは途中で何度も途切れながらでも、結果的には何十年と続いてきた細い糸の縁のほうが、実はずっと価値があるというのは、自分に当てはめて考えても確かかもしれないなぁとあらためて感じた次第です。

一般的によく言われるように、会社を定年で辞めると年賀状の枚数が一気に減ってガッカリするという、ちょっと古い会社人間の例をひくまでもなく、会社を辞めると友人・知人が仕事関係を中心に大きく減ってしまうのは普通のことでしょう。

幸い私の場合、40過ぎで転職後、20年間勤めてきた以前の会社の人達の多くと、仕事上ではまったく関係がなくなっているに関わらず、今でも年賀状やFacebookでのつき合いが細々と続いているのと、現在勤務している会社では、社風と言うこともあり社員同士の年賀状のやりとりはほとんどしていないので、例え今すぐ会社を辞めたとしても、それだけで年賀状の数が減るということはなさそうです。

ただこの歳になると毎年、高齢の恩師や先輩、親戚などから喪中葉書によって訃報が届き、賀状の枚数がその分は確実に減っていくのは寂しい限りです。

但し「年賀状=友人」というのは短絡的で、実際にそういう人に連絡をとってみても「ではすぐに会おう!」となるかどうかはお互いが思っている距離感の相違や、年賀状という一種の虚礼のつながりだからこそ続いているというケースもあるでしょうからなんとも言えません。

私にとって親友と呼べるのは、やはり高校や大学の時の同級生で今でも時々会う友人や、海外赴任中に知り合った同年代の人達、そして前の会社に勤務していた20年間をともに苦労をしてきた同期生ぐらいなのかなぁと。

残念ながら仕事を通じて知り合った人や会社の先輩後輩と言った人の中では、知人レベルや気楽な友人はいても、親友と呼べるような関係はありません。

ずっと昔、そう、小・中学生の頃から「親友を作れ」「親友を呼べる仲間を増やせ」という言葉をよく耳や目にしました。

しかし、この「親友」という言葉にはなにか引っかかりがあり、その時は本当に親友と呼べるのは誰?という答えが出ませんでした。

今から考えると「そりゃそうだ」と思うのですが、要は相手が自分をどのように思っているかは無関係に、自分が「お前は親友だ」と勝手に決めてしまえばそれが親友にもなるし、卒業したり、クラスが変わったりして数年経って自然に関係性が消滅した頃にはまた別の親友と思い込む相手ができているだろうし、その時々で定義なんていい加減なものです。

ところがこの歳になってくると、大学時代は同級生という程度でそれほど親しくなかったのに、卒業して30年以上も経過した今でも平均すれば年に何度かは一緒に食事をしたり遊びにいくような関係が続いている相手は、まさに親友と呼んでも誰に恥じることはないでしょう。

つまり本当の親友というのは一時的にでも過去を共に過ごしてきた歴史が作りあげるものだというのが最近になってわかりました。

一番わかりやすいのは、男女の関係では「金の切れ目は縁の切れ目」って言いますが、男同士の友情や交流も、概してそういうところがあり、「あの人と知り合いになっておけば、そのうちなにかいいことあるのでは?」とか「あいつは顔が広いので頼めば客先からの注文を取りやすい」と言った「なにか役立つ(かもしれない)」という思惑で続いている縁は、やはり退職や引退で切れてしまうというもの。

一方、学生時代の知人で、共通の友人がいて、お互いの仕事ではなにも利害関係はなく、話題も趣味のことや家族、共通の友人のことばかりという友人は、お互いになにも損得勘定や遠慮もなくつきあえるので、やがては一生のつきあいになっていきます。

ただ悲しいことにそれって学生時代にはわからないことで、今思えば「まさかあいつとこんなに長い縁ができるとは!」って思うこともあり、人の縁なんて摩訶不思議なものとしか言いようがありません。

海外で知り合ってその後20年以上交友が続いている友は、お互いに周囲に日本人が誰もいない環境の中において、違う文化、違う言葉、違う風習でともに苦労を味わい、ふとプライベートで偶然知り合って意気投合した相手で、おこがましい言い方をすれば「死ぬか生きるかの戦争を一緒に戦った戦友」みたいな強い絆と同種のものでしょう。

通常なら帰国後、勤務場所も遠く離れ、仕事も関係性がなければつながりは自然消滅するのですが、上記のように尋常ではない場所で生まれた縁は、その後もなぜか切れることなく続いていくもので、そうした関係は平和な世の中では極めて稀なケースでしょうけど、確かに存在することがわかりました。

若い人にアドバイスができるとしたら、

・若いときに親友がいないなどと悩む必要はまったくない。また無理に作る必要もない。親友は必然性と歴史が作ってくれる。
・苦境の時、困っている時に気にかけてくれたり、変わらずつきあってくれるのが本当の友人で、逆に羽振りのいいときに近づいて来るのはみな偽物と疑え。
・仕事を通じての友人は、プライベートで深いつき合い方ができた人だけが残り、その数は決して多くはない。

ってことでしょうかね。


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