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1575
よく言われることですが、人生には何度か進むべき道を選べる機会というのがあります。

例えば進学や進路、就職、結婚など大きなイベントやセレモニー的なものもあれば、もっと小さい友人関係や仕事の進め方といったことでも、やるかやらないか、前に踏み出すか留まるか、手を挙げるか挙げないか、声をあげるか黙殺するかなど日々選択する機会があります。

失敗した人の多くは、「あそこでこうしておけば良かった」と後悔が残り、それが経験となりますが、「どうでもいいや」となにも考えない、反省しない人もいます。

選択した結果について、「もし違う方法をとっていたら?」と常に考える習慣をつけていなければ、経験値は積み上がっていきませんし、同じ過ちを何度も繰り返し「できないヤツ」に成り下がっていくしかありません。

そして何年に1度か2度、非常に重要な選択の場面に出くわします。小さな選択で成功と失敗の経験値を重ねて積み上げていれば、そうした重要な局面でうまく機会を捕らえてチャンスを得る機会は確実に上がっています。社会人で言えば昇進や抜擢です。

私の経験上のことで、話しをすれば、まず社会人になってから良き先輩に巡り会えて、その人を師匠として教えには反発や抵抗ではなく、忠実に守ろうと決めたのがその後の人生に大いに役立ちました。

その先輩は、ちょっと社会人としてははみ出し気味で独自の世界を持っていた人で、何度か転職を繰り返したあと私が新卒で入社した会社に1年ほど前にやって来た人でしたが、学生気分が抜けず仕事の本質もなにもよくわかっていない私に対して、いろいろ細かく気がついた点についてアドバイスしてくれました。

一見すると豪放磊落な先輩でしたから、最初はそうした細かいことは気にしないで放置し、好きなようにさせてくれるように思っていましたが、いつもよく気にかけてくれて、社会人として、営業職の仕事について、上司との付き合い方、お金の使い方など、様々な面でアドバイスをくれたのはその後の私にとって大きな基本指針となりました。

もしそういう経験がなければ、そのわずか数年後に抜擢されてリーダーとして全国各地を部下を率いて支店の開設や新しい仕事を任されるようになりましたが、取り返しの付かない大きな失敗や、無知や経験不足で恥ずかしい思いをしたと思います。

ところがその先輩はと言うと、私が異動していってまもなく、やはり一箇所に落ち着けなかったようで、大きな借金をを残してすぐに退職してしまいました。

個人的な考えですが、その先輩は人には正しいことをキチンと説明ができるのに、それを自分に当てはめて行動することが苦手なのだと思います。恩人ですが連絡先も告げず知らない間に去ってしまったのでその後の行方は知りません。

その時には教わらなかったことで、大きな失敗をしたことがあります。

それは人の上手な使い方です。

人というのは、部下だったり同僚だったり上司だったり、友人だったりしますが、自分の力だけではなく、人の力を期待して、頼り、相談し、依頼をして仕事や物事を計画的に進めていく術です。

入社してから数年は、小さな企業の営業職と言うこともあり、なにごとも自分一人で解決していくという習慣が付いてしまいますが、その後、次第に業績が向上していき、新しい社員が急増しても、なかなか人に協力を依頼して任せていくという仕事ができず、なんでもひとりで解決するのが当たり前、それを美徳とする孤独なビジネスマンでした。

またある一定の規模や仕事だと、それが普通にできちゃうんですよね。

そして、やがては自分が育ててきた子会社の社長を任され、規模も大きく拡大していたに関わらず、周囲の人に頼ることができず、そのことである大きな失敗をして、今でもその時のことが頭をよぎり、嫌な悔しい思いと同時に、めちゃ恥ずかしい記憶がよみがえります。

結局、その頃(40代初め)が職業人としてピークを迎え、その後は淡々と余生のごとく過ごすことになり、流されるままリストラ退職も経験しながら、表舞台からフェードアウトしていく人生となりました。

もし新入社員の頃に指導を受けたよき理解者であり仕事や対人関係に厳しい先輩がもっと長く身近にいて、いろいろアドバイスを受けられたら、そうした恥ずかしい失敗は犯さずもっと違った人生になっていたかもなぁーって思います。

そうした大きな深い後悔をしないためにも、経験を積んでいき自分の行動規範にすることと同時に、有頂天で周囲が見えなくなったとき、嫌なこともズケズケとアドバイスをしてくれる良き指導者(師匠)やパートナーに巡り会う機会を逃さないことが重要です。

【関連リンク】
903 私の想像を超えるビジネスマナー崩壊
869 働かないおじさんと年功序列
792 ビジネスにおける私的リーダー論

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1573
私が社会人1年生になってビジネスオフィスに出入りをするようになったのは1980年(昭和55年)のことです。

顧客先のオフィスへ行くことが多い営業職でスタートしましたが、東京には大手町ビルとか新大手町ビルのような、中に入ると迷子になりそうな巨大なオフィスビルがいくつもあることにまず圧倒されました。

丸の内や大手町にそびえ立つ三菱地所のオフィスビルは、戦後に建設されたものがほとんどですが、大手町ビルと新大手町ビルは1958年に当時東洋一のマンモスビル(高さではなく延べ床面積)として完成しました。つまり私とほぼ同年齢というロートル組です。

同じく三菱地所が建てた名古屋駅前にある大名古屋ビルヂングは、6年前の2015年に建て替えられましたが、その前のビルは1965年に建設されたもので、そのビルに一歩入ると、設えというか構造、意匠など、雰囲気が、大手町ビルとそっくりだったことを思い出します。当時の最先端オフィスビルがそのイメージだったのでしょう。

大手町ビルで思い出すのは、暑い夏、寒い冬、雨が続く梅雨時など、外回りの営業マンのちょっとした息抜きのオアシスとなる大きな書店「紀伊國屋書店」が入っていて、週に1回はその書店で新刊本のチェックなどをしていました。

当時大手町や丸の内、八重洲あたりは、神保町(三省堂や書泉グランデ)や新宿(紀伊國屋書店)、赤坂(文教堂)、渋谷(大盛堂や三省堂、紀伊國屋)、恵比寿(有隣堂)と並ぶというかそれ以上の大型書店のメッカでした。

丸善は元々日本橋に本店がありましたが、その後丸の内オアゾ(2004年~)の中に本店を移し、規模も大きくなりましたし、八重洲には八重洲ブックセンター(1978年~)がありました。

その中でも大手町ビルの1階に入っていた紀伊國屋書店が一番のお気に入りだったのは、巨大な大手町ビルのフロアを生かしてワンフロアにすべての書籍が並べられていて、他の大型書店のように種類によってフロアを上下行き来する必要がなく、文庫も新書も単行本も雑誌も一気にサクッと見ることができました。

さて、その大手町ビルですが、80年代の頃、ビルの中に入ると、薄暗い廊下のあちこち隅っこに、小さな金属製の丸いゴミ箱のようなものが置いてありました。

最初はなんだかわかりませんでしたが、あるときこれが痰壺なのかぁーって気がつきました。

若いときってほとんど痰が出てくることもなく、まったくそれが必要とは思いませんでしたが、年配の人が時々立ち止まってペッと吐いていることを見たことがあります。

しかし痰壺ですよ~今のオフィスからすれば考えられません。オフィスビルから徐々に痰壺が消えていったのはおそらく80年代後半ぐらいだと思います。

さらにオフィスビルのエレベータの前にはどこも灰皿が当たり前のように置いてありました。

なぜエレベータの前?ってことですが、エレベータの中は一応禁煙ですので、そこでタバコを捨ててエレベーターに乗るわけです。今からすると信じられない行動様式です。

オフィスの中、自分のデスクでタバコを吸うのは当たり前で、誰も文句を言う人はなく、オフィス内が煙でもうもうとしていることもしばしばありました。

今から思えば、すごい時代ですね~

80年代半ばに仕事のため香港にしばらく滞在した時にはもっと驚きました。

なんと、エレベータの中に灰皿が常備されていたのです。つまりエレベータ内でもタバコが吸えたのです。

さらに、休日に映画を見に行ったとき、上映途中、煙がもわーと上がるのですが、映画を見ながらタバコを吸うことができました。

映画館の席には灰皿なんかありませんので、吸ったタバコは足下に捨てていくというもう無茶苦茶な感じでしたが、それが特に違法でもマナー違反でもなく、普通だったのです。ちょっとカルチャーショックでした。

その他、オフィスビルで見かけなくなったのは、オフィスの中ですが、応接室に白いレースのカバーがかかった大きなソファです。

80年代頃までは、企業の応接室には当たり前のように、白いレースカバーをかけたやたらと柔らかなソファがどこでもありました。

そのソファとセットでテーブルの上にも白いレースがかけられていて、大きなガラスの灰皿と、タバコ入れが置いてあるのが普通でした。

仕事の先輩が応接室に通されて、顧客の担当者が来るまでのあいだに、そのテーブルに置かれたタバコを持ち帰ろうと数本まとめて手に取ったその瞬間に担当者が入ってきて気まずかったという話しは今では笑い話です。

それもやがては、資料やPCを置きやすい背の高い作業しやすいテーブルとイスのセットに置き換わっていきます。

別にそれらが懐かしいというわけではありませんが、現在国を挙げてリモートワークが推進している中で、現在のオフィスのあり方も急速に変化しています。

あと10年もすると、「2020年以前のオフィスってチームごとに島になっていて笑える~」とか「2020年までは自分の決まったデスクとチェアがあったのね?」となるのかも知れませんね。

【関連リンク】
1541 トイレの記憶
700  なにもかも懐かしい新入社員の頃
364  灰皿の行方と健康被害

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1571
来週、9月23日(木)は秋分の日です。

一般的には昼と夜の長さが同じになる日と言われていますが、日の出と日の入りの時刻を見ると実際は昼のほうが少し(十数分)長い時間となっています。

理由は、日の出は太陽の一部が見えたとき、日の入りは太陽が全部見えなくなったときなので、太陽の直径分昼間が長くなるのと、水平線付近では空気の屈折の関係で浮き上がって見えることでさらに昼間の時間が長くなるという理由です。

秋分の日は昭和23年(1948年)に制定された祝日ですが、その趣旨としては「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」ということになっています。

同時に制定された春分の日の趣旨は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」となっていますから、ご先祖やお世話になった方々へのお墓参りはお盆と秋分の日が相応しいですね。

以前、ウォーキング中に、変わったお墓を発見しましたが、あの有名な漫画家、藤子不二雄さんのひとり藤本弘さんの家のお墓でした。



この墓苑は、市営の広大な霊園で、宗派は問わず、したがって十字架やマタイ伝が彫られた墓石の隣に南無妙法蓮華経が彫られていたり、墓石の形状も球体や仏像など千差万別でユニークなものもあり、ウォーキングでは興味を持って墓石を見ながら歩いています。

さて秋分の日ですが、その前後の三日間を含み(計7日間)「お彼岸」と言い方をします。最初の日を「彼岸入り」。最後の日を「彼岸明け」とも言います。

彼岸とは仏教用語で「あの世(向こう側)」のことで、仏教においてはこの七日間があの世とこの世が近づく(つながりやすくなる)日ということです。但し仏教というか日本独自の風習だそうです。

そしてお彼岸に食べるものとしては「おはぎ」が有名です。

地域によって違ったり、また諸説ありですが、一般的にはあんこでくるんだお餅で、見た目は同じものでも、春の彼岸に食べるのは「ぼたもち」で、秋の彼岸は「おはぎ」と呼ばれます。

一説では、春に花が咲く「牡丹(ボタン)」に似せて作ったので「ぼた(ん)もち」、秋に咲く萩の花に似ていたので「おはぎ」という説があります。

コロナで遠出を控えなきゃいけないし、両親が眠るお墓は県外で遠いし、今度のお彼岸は近所の空き地からススキでも手に入れて、月を見ながら、亡き両親や親友のことを思いながらおはぎでも食べましょうかね。

【関連リンク】
1460 時計を必要としない世界
1337 土・日曜日、及び祝祭日は休日?
1289 昼夜の時間が逆転する今日が冬至
1102 あまり役には立たない曜日の話し


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1569
以前、コロナ禍が収束したあとに待っているのは、東日本大震災後に新たに作られた復興税と同様新たな増税案だろうという話しを書きました。

新型コロナワクチン接種を受けながら考えたこと 2021/7/10(土)

その前に、「数年後、日本経済は危機的な状態になりそう」というのが下記の記事です。

財務省の「人災」で、これから日本経済に「倒産ラッシュ&大不況」がやってくる!(現代ビジネス)
「奇妙だな」と思うニュースを耳にされた読者も多いかと思います。7月5日に財務省は2020年の税収が過去最大の増収になったと発表しました。コロナ禍で大幅に減収すると政府が予想していた法人税が、その逆で増収になったことです。政府予想からすると3兆円以上も上ぶれしたのです。
(中略)
赤字企業の売上に合わせて費用をカットすることでした。売上規模に応じて人材をカットし、販促費や広告費をカットし、品質も落とす。それをやると赤字の事業は単年度では黒字化します。
(中略)
人材を減らし、広告を減らしということは、その年の業績には影響しないけれども、数年すればそのツケが必ず回ってきます。
(中略)
品質を下げるというと問題外に思えますが、コールセンターの席数を減らす、顧客サービスのメニュー(現代風に言えばポイント制度など)を改悪する、アテンドする社員の数を減らすなど、顧客から見えないところで品質を下げる方法はたくさんあります。
これも実は投資削減です。今のサービスを減らすことで、未来の顧客のリピートを確実に減らします。

この記事では主に内需(国内でのビジネス)を主として書かれていますが、大枠では今の日本経済は、高齢化と人口減少し縮小してきている内需で回っているのではなく、80年代のバブル以前と同様外需で回っています。

しかしコロナ禍で経済が疲弊しているのは世界共通のことなので、日本だけが今後輸出を増やしていけるとも思えません。

それだけに、上記の記事のように企業の税収が伸びているというのは異常とも思えますが、記事にもあるように、工場や販売拠点を閉鎖または縮小し、人員をカット、海外出張やPR活動を中止、積極的な投資活動も延期、中止するなど、経費を大幅に圧縮することで、思わぬ利益が出てしまったということがありそうです。

そのツケは今後どのように出てくるのか?記事の通り長い不況に陥ってしまうのか?顧客が尻すぼみで事業として成り立たなくなっていくのか?はわかりませんが、可能性はありそうです。

ただなんとなくわかっているのはアメリカの経済が好調に推移すれば、それに引きずられて輸出が伸びる(維持できる)可能性があるのと、中国などアジアの新興国がどれだけ日本の工業品などを買ってくれるか?というのがキーポイントかなと思ってます。

アメリカが日本から輸入をしてくれないと日本経済はガタガタになってしまうことは明らかで、アメリカ経済次第という他力本願なのと、誰が大統領でも貿易不均衡は見逃してくれそうもないので、輸出を増やした分、兵器購入などなにかでお返しをする必要に迫られます。すでにコロナの医薬品で大判振る舞いはしていますが。

また貿易相手国として指導者の考えや国民感情で突然政策やルールが180度転換してしまう可能性がある中国に頼るのも大きなリスクです。

その他、近隣の新興国も、自国の産業振興をメインとしてくるでしょうから、日本から輸出できるのは特殊な製品やサービスに限定されるので、日本の企業数の中で99.7%を占める中小企業にとってあまり魅力的な相手ではありません。

日本の脱工業化は当面まだ難しそうで、アメリカや英国などのようにうまく転換できる術はなく、総理大臣が誰に替わってもその過去の成功体験を元とした製造業重視の方向性は揺るがないでしょう。

そうしたことを総合的に考えると、株価も含め日本経済は今後下がっていく要素ばかりで、上がる可能性はどうも低そうです。

もし、日本再浮上を考えるなら、国際ビジネスや投資、金融に明るい人をトップや閣僚や事務官に登用し、脱工業化に邪魔な規制をすべて取っ払って自由に活動させることでしょうけど、80代、70代の高齢の政治家や企業トップがまだ権力をもっている中では反対勢力も強力でしょうから、それに対抗できるとも思えません。

どうやれば一気に政治も企業も世代交代が進み、一番経験があって頭が働く40代のリーダーが出てくるのか、それに期待したいところです。

【関連リンク】
1552 新型コロナワクチン接種を受けながら考えたこと
1544 コロナ禍で零細企業は生き残れるか
1505 日本のEVシフトは環境問題ではなく経済問題
1360 縮小経済と進むべき道



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1567
リタイアしたのは昨年6月なので、すでに1年以上経ちました。その間に起きた、マネー関連についての出来事を書いておきます。

早期リタイアは、リストラや会社の倒産のように、ある日突然通告(通知)されて、明日から路頭に迷うということはなく、特にマネーについてはあれこれ考え、「これならいけそう!」となれば初めて踏ん切れるものです。

頼れるのは、私の場合、一部は63歳から受給できる年金と、今まで貯めてきた貯金、投資用の株式ということになります。

私は退職時には役員に就いていたため、失業保険は受給できませんでしたが、雇用保険に加入していれば、ハローワークへ行って「再就職する気は満々です!」という姿勢を見せつつ、失業保険はもらうべきでしょう。

ハロワの職員達(窓口にいるのはほとんど非正規)は、できれば払いたくないという雰囲気で、偉そうにしていて険悪なムードですが、そういうのは一時の我慢です。

株式の評価額は、当然日々変動するのと、売却後には利益に対して税金がかかることもあり、決して大きくは見込まず、ここ5年間ぐらいの推移をみて「これよりは下がらない」という線と、売却益の2割の税金分を念頭に置いて計算しておきます。もし実際に浮けばちょっとしたボーナスです。

さらに株式は売る(売れる)タイミングというものもあり、すぐに引き出せる普通預金とは違います。これは結構重要な点です。

そして、退職後に待っている大きな支出です。

その前に、あっさりしていますが、下の記事が参考になります。

退職後に訪れる「3つの支払い」放置で起こり得る最悪の事態(Mocha)

その要点は、

(1)退職後の健康保険は国民健康保険に切り替わる
(2)退職後の年金は国民年金に切り替わる
(3)退職後の住民税は後払いシステム

です。

(1)の健康保険は、退職すると、多くの場合はそれまで加入していた健保の任意継続する人が多いかも知れません。これは国民健康保険料と比較してどちらが安く済むか?を計算してすぐに選択しなければなりません。

写真上:前年分の住民税が一括して請求
写真下:健保の任意継続請求(6ヶ月分)
任意継続の場合、今まで支払っていた保険料は半分を会社が負担していたため、会社を辞めると支払い額は基本倍額になりますが、上限があり一定額以上にはならないので、単純に倍額になるということではありません。加入している保険組合に聞けば教えてくれます。

国民健保は収入に応じた保険料が決まっているので、市区町村のサイトを見て計算することが可能です。

その二つを並べて選びますが、健保組合によっては様々なサービス(直営の健診設備や格安保養所、スポーツ・旅行補助金など)が充実している場合もあり、もし僅差なら健保組合のほうがお得な場合があります。

ただ気をつけないといけないのは、収入が一切なくても毎月結構な額の請求(引き落とし)が来ることになります。

また私のように扶養家族がいる場合、当然その分も加算されます。

私は、収入がないのに毎月支払う(振り込む)のも面倒なので、任意継続で、最初の2ヶ月分(8.6万円)と、その後6ヶ月分(約25.5万円)を前納しました。思わぬ金額のデカさに青くなって貯金をまとめて引き出すことになりました。

(2)の厚生年金から国民年金に変更については、私の場合、退職時にはすでに年金の支払期間60歳を過ぎているので新たな費用は発生しません。

もし60歳以前に退職した場合は、その月から第1号被保険者として国民年金保険料(1ヶ月16,610円)が必要です。さらにそれまで扶養家族の第3号被保険者の妻がいた場合、その妻の国民保険料も新たに必要です。

つまり扶養家族の妻がいる場合、退職して無職(無収入)になると、いきなり毎月二人分33,000円の国民年金保険料を負担することになります。1年間で二人分だと約40万円が必要です。デカいです。

(3)の住民税ですが、忘れがちですが後払いになっています。新卒で就職すると1年目は住民税の負担がなく、「意外と手取りが多い!」と喜び、毎月キッチリ使っていると、2年目から住民税がしっかり引かれて手取り額が減り「あれれ?」となってしまう経験をした人もいるでしょう。ハイ私のことです。

住民税は、勤務時代は前年分を毎月(12ヶ月)均等払いで給料から差し引かれていますが、退職して無収入になったとたん、御無体にも残り分(次の3月分まで)が一括して請求されます。

私の場合、6月退職なので、7月~翌年3月までの9ヶ月分の住民税(県民税、市民税)、およそ11万円(自治体や前年の所得によって違います)が一気にやってきました。

まだそれだけではありません。

退職後の4月以降、新たな住民税額の計算は前年4月~3月までの所得で計算されます。

私の場合は、前年度は4~6月まで3ヶ月間の勤務だったので、年間所得は少なく救われていますが、もし1月の退職で9ヶ月間の所得を元に住民税を計算されると、退職して無収入なのにその年の住民税額は結構な額になります。退職後すぐに払うか、翌年に払うかの違いだけですけどね。

たまに、大ヒットした漫画家さんが、一攫千金の慣れない高収入を手にして、家を買ったり高級車を買ったりして使いまくった後、翌年に住民税がドカッとやってきて慌てたという話しを聞きますが、これですね。

退職後1年以内にやってくる請求額は年間合計すると、下記の通り、約102万3千円にもなります(私の場合は60歳を超えての退職のため国民年金保険料は払わないので、約627,000円)。

健康保険料 510,000円(任意継続の場合、夫婦)
国民年金保険料 396,000円(60歳未満で退職の場合、夫婦)
住民税(前年の所得額と今期未払い期間による) 117,600円(私の場合)

退職直後の大きな出費は以上ですが、その他にも、

・通勤定期(現物や相当額)を支給してもらっていた人はそれがなくなる
・PCや携帯電話の貸与を受けていた場合は返却
・会社の福利厚生施設や割引購入、団体割引加入などが使えなくなる
・会社の寮や家賃補助があった場合は、引越したり、それがなくなる

などなど。

当たり前のことばかりですけど、今まで当たり前だった事柄が、退職して初めて気がついて不便になると言うことがありそうです。

例えば、昔、住宅を買った時に住宅ローン減税を受けるためと、足の手術をした時に高額医療費控除の確定申告をした時以外は年末調整で済ませてきましたが、退職後は自分で調べながら確定申告をする必要があります。これが結構面倒です。

最後に良かった話しとして、確定申告をした際、その年に支払った任意継続保険料(翌年3月までの半年分一括)の額が大きく、昨年度4~6月の3ヶ月間だけ働いて支払った所得税の一部が戻ってきたり、その前年の所得から保険料が差し引かれて大きく減じ、今年の住民税が下がりました。

面倒なことはなんでもやるべきです。それが身を助けます。

【関連リンク】
1547 リタイアして1年
1542 退職後初の健康診断は残念な結果に
1465 リタイア後、日々やってきたこと
1394 あと半年に迫ったリタイア準備



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